第6話 取引契約を交わしましょう!
やばい、やばすぎる……!
一体どこから聞かれてた……!?
ビシリと凍りつく私達を冷たく見回し、氷の魔法士団長がテーブルに歩み寄る。
底冷えする瞳でマシューおじさんを見下ろした。
「その娘の身柄を隠すならば、お前達全員を連座させる。――我が身が可愛いならば、余計な行動は取らぬことだ」
「…………」
安堵のあまり、全員が脱力してテーブルに突っ伏した。
良かったあああ!
奥様とライラさんの誹謗中傷は聞こえてなかったっぽいーーー!!
「……皆さん。何の話をしていたのですか?」
私達の様子から察したのか、副官さんがため息混じりに問いかける。もちろん無視、無視、無視だ! ワタクシ達、何も聞こえませーん!!
氷の魔法士団長は、私の前にペンと二枚の紙を置くと、空いている椅子を引いて腰掛けた。鋭い眼光で、射抜くように私を見る。
「――確認したらすぐに署名しろ」
有無を言わさぬ口調で命じられ、おずおずと紙を引き寄せた。どうやら同じものが二部あるようだ。
何やら長い文章が書かれており――
「…………」
「え、何ですか。……まさか、文字が読めないとでも?」
紙とにらめっこする私を不審に思ったのか、副官さんが呆れたように言いながら私の背後に立つ。慌てて振り返り、助けを求めるように彼を見上げた。
「いえ、読めます! 読める、んですけど……。意味が、全然わかりません……」
「ええっ? 貸して頂戴、ミア」
ライラさんが私から紙を受け取り、眉根を寄せて紙に見入る。特に意見を言うでもなく、そっと向かい側の奥様に手渡した。奥様も首をひねって町長にパスする。
「……これは……契約書、ですな」
町長が重々しく言って、額の冷や汗をぬぐった。
……契約書?
「よいか、ミア。甲というのがお前のこと、乙というのが閣下を指すのだ」
町長から説明を受けて、再び紙を受け取った。
―取引契約書―
甲と乙は、婚姻関係について、以下の通り契約する。
(目的)
第一条 本契約は、甲と乙が互いの得意分野における等価交換を行うことで、互いの健やかな生活を持続させる事を目的とする。
第二条 甲と乙は協議の上、互いの役割分担について、書面をもって確認するものとする。
(適用範囲)
第三条 本契約は、甲乙間において締結される婚姻契約に適用する。
…………
「……さっぱりわかりませぇん……」
第三条まで読んだあたりで力尽きた。
まだ第四条、第五条と、文章は延々と続いているのだけれど……。もうダメ、目が滑るぅ。
「――理解力の足りない頭ですね。人がせっかく、冷血漢を説得してここまで持って来たというのに」
副官さんが柳眉を逆立てた。
おバカですみません……。
「良いですか? あなた方の結婚はあくまで表向きのもの、要は契約関係なんです。後々行き違いが起こらないよう、事前に取り決めをしておいた方が良い。内容について簡単に説明すると――」
気取ったように人差し指を天に向ける。
副官さんがてきぱきと解説してくれた内容をまとめると、以下のようになった。
・契約更新は一年ごと。ただし両者共に解除の意思がない限り、契約は自動的に更新される。
・私が魔法士団長の余分な魔力を消す代わり、魔法士団長は私に快適な衣食住を提供する。じゅるり。
・寝室は別。魔法士団長は私に一切手を出してはならない。
・王族の体裁があるので浮気は厳禁。やるならバレないようにやれ。
・魔法士団長の体調が許すならば、私は月に一度里帰りしても構わない。
「……他にも細かいところはありますが、まあざっとこんなものですね」
長い説明を終え、副官さんがふうと吐息をついた。ありがとうございましたっ!
「――理解できたのなら、今すぐ署名しろ。二枚ともにだ」
威圧的に命じられ、ぎくしゃくとペンを握る。
名前を書こうとしたところで、「駄目よ、ミア!」とローズが悲鳴を上げた。
「契約で結婚だなんて、絶対に駄目! お願いだから、あたし達に気なんか使わないで!」
「……ローズ……」
私を思いやってくれる友達の言葉が嬉しくて、ぐっと胸が詰まる。
ローズの気持ちは心底ありがたい。
……でも、断るなんて出来ないだろう。この家から離れたくはないけれど、私が拒否すれば町長一家に迷惑をかけることになる。そんなの絶対にゴメンだった。
(……それに……)
目つきの悪い魔法士団長をそっと盗み見る。
青白い顔、真っ黒な隈。
眉間に刻まれた深いシワは、まるで形状記憶されているかのよう……。
本当に、力いっぱい、心の底から体調が悪いのだ。そりゃあ周囲に当たりたくもなるというもの。
ぎゅっと目を閉じてうつむき、覚悟を決める。
顔を上げると、にぱっと元気よくローズに笑いかけた。
「ありがと、ローズ。でも私、とりあえず一年やってみるね!」
「――ミアッ!?」
血相を変えたローズが立ち上がる前に、殴り書きで署名を済ませる。勢いよく振り返り、背後の副官さんに手渡した。ヘイお待ちっ!
「……ええ、確かに。一通はあなた自身で保管してくださいね。……――良かったのですか? もう取り消しは効きませんよ」
「はい、もちろんっ! 私でお役に立てることなら、力になりたいですっ」
満面の笑みで氷の魔法士団長を見つめる。
魔法士団長から、何だコイツはという顔で眉をひそめられたけれど、そんなことちっとも気にならない。
家族同然のみんなの顔を見回すと、町長とマシューおじさんは苦渋の表情をしていた。奥様とライラさんは蒼白になっている。ローズはもはや半泣きだ。
(……ごめんね、ローズ。でも……)
自分の身体が自分の思うようにならないこと。
痛くて苦しくてたまらないこと。
それを周囲にわかってもらうのは難しいこと。
前世で病気だった私には、魔法士団長の気持ちが痛いほどわかる。だから、彼を放っておけるはずがない。
ガタンと音を立てて椅子から立ち上がり、氷の魔法士団長の側に歩み寄る。胡乱な目で見返されたけれど、そんな彼に構わず心からの笑顔を向けた。勢いよく頭を下げる。
「……ミアっていいます! これからよろしくお願いします、旦那様っ!!」