第59話 癒やしとスリル、大事です!
「――で? なんで、ラルフを連れ帰ってきたワケ?」
「知らん。相談があるとしか聞いていない」
夕食後。
女子旅の夢が露と消え、やさぐれた様子で尋ねるヴィンスさんに、旦那様がおざなりな返事をする。
ラルフさんは困ったように眉を下げ、二人に向かって神妙に頭を下げた。
「退勤後にお時間をいただいてしまい、本当に申し訳ありません。できれば団の外で、秘密裏にご相談したかったのですが――……」
言いよどむラルフさんを見て、ヴィンスさんがぷっと噴き出す。頬杖をついて、向かい側に座る旦那様をからかうように見つめた。
「さては、仕事が終わったらすぐ嫁に会いたいこの男が、さっさと帰っちゃったんでしょ? それで家までついてくる羽目になったとか?」
「はあ……。まあ……」
眉根を寄せて肯定して、ラルフさんはちらりと旦那様の様子を窺った。旦那様は完全に黙殺して、無表情にお茶を口に運ぶだけだったけれど。
居心地悪そうに身を縮めつつ、ラルフさんがもごもごと口を開く。
「……実は、そのう。なんとも偶然なのですが……僕の話というのも、温泉についてなのです」
「ええっ!? 何なに、詳しく聞かせてみなさいよっ」
胸ぐらを掴まんばかりの勢いで、ヴィンスさんが隣に座るラルフさんに詰め寄った。ラルフさんが目を白黒させる。
「ア、アルスター温泉街はご存知ですか? 僕の父は慢性的な腰痛持ちで……。アルスター温泉街に、定宿を持っているのですが……」
話の邪魔をしないよう素知らぬ顔をしながら、私も興味津々で耳を澄ませる。
ヴィンスさんから誘われた時点でわかってはいたけれど。
どうやら、こちらの世界にも温泉があるらしい。知ってさえいれば、大食い勝負の報酬に「温泉に連れて行って」と頼んでもよかったかもしれない。
ちょっぴり残念に思いつつ、隣に座る旦那様の袖を引く。即座に察してくれたようで、淡々と補足説明してくれた。
「アルスターは王都の北東にある、歴史の古い温泉街だ。湯は神経痛や関節痛に効能がある。それと……確か、名物は白い蒸しパンだったか」
「蒸しパン! 食べたいっ」
手を叩く私を見て、旦那様はふっと瞳をなごませる。おおっ、さては旦那様も行く気になってますね!?
期待に目を輝かせながら、私はふと疑問を感じた。
(でも……。確かラルフさんのお父さんって、子爵様だったよね?)
貴族の偉い人が、庶民的な温泉街に行くものだろうか。
そう尋ねてみると、全員が呆気に取られた顔で私を見る。
「いや、だから。父は腰痛持ちなんだ」
「ミア。温泉っていうのは、療養の必要な人間が集まるものよ。身分の差なんて関係ないわ。……まあ、たまにはアタシみたいに、美肌を求めて行く人間もいるけどね」
……なるほど。
どうやらこの世界の人々にとって、温泉に対する思いは日本人とは違うらしい。癒しや遊び目的ではなく、メインはあくまで病気療養ということか。
「――それで。アルスター温泉がどうしたというんだ」
旦那様の軌道修正に、全員が慌てたように姿勢を正した。ラルフさんも再び真剣な面持ちになる。
「実は、父が定宿の主人から相談を受けたのです。露天風呂を使った客から、何者かの視線を感じるという訴えが、ここ最近連続してあったそうで――」
「きゃあ!? 覗き、覗きなのねっ?」
恐ろしそうに身をよじるヴィンスさんに、ラルフさんがげんなりと首を横に振った。
「違います。露天風呂を囲む板塀は高く、隙間もないそうですから。……それに、訴えは男風呂と女風呂、両方からあるそうなんですよ」
私達はなんとも微妙な顔を見合わせる。
うぅん、そうなると――
「飛翔型の魔獣か」
「オチムシャねっ!?」
旦那様とヴィンスさんの台詞がかぶった。えええっ!?
私はわたわたと立ち上がり、テーブルを回り込んでヴィンスさんの手を握る。
「どうしようヴィンスさんっ。リアル落ち武者に襲われちゃうかも!」
「やだミア! アタシ怖いわ!!」
二人できゃあきゃあ騒いでいると、旦那様とラルフさんが無言で顔を見合わせていた。その瞳は、「なんだコイツら」と言っていた。
はっと気付いたヴィンスさんが私の手を放し、上気した顔でおくれ毛をかき上げる。己の胸をドンと叩いた。
「わかったわ、ラルフ。アタシとミアに任せなさい! ジーンも誘って、女子旅ついでに見事オチムシャを退治して――」
「駄目に決まっているだろうっ。本当に魔獣かオチムシャが出たらどうする!」
声を荒げる旦那様を、私も席に戻って必死に説得する。腕を掴んでぐいぐい揺さぶった。
「でも、私も温泉に入ってみたいです! それに落ち武者にだって会ってみたいし! シリル様も一緒に行きましょうよ~!」
「って待ちなさいミア! それじゃあ女子旅じゃなくなっちゃうじゃない!?」
……いや。
主催者がヴィンスさんの時点で、すでに女子旅じゃありませんから。
苦笑する私をよそに、旦那様は無言で考え込んでいる。ややあって険しい顔を上げ、鋭くラルフさんへと視線を移した。
「……ラルフ。最初に言っていた『秘密裏に』とはどういう事だ」
「あっ……。それは……!」
なぜか首をひねっていたラルフさんが、慌てたように旦那様を見る。
「宿屋の主人は、悪い噂が広まる事を恐れているのです。それで、僕の父が気を回し――自分の息子は魔法士だから、息子にこっそり退治させる、などと勝手に請け負ってしまいまして……」
「あー……。息子自慢しちゃったワケね」
あるある、と言わんばかりのヴィンスさんに、ラルフさんが途方に暮れたように頷いた。せわしなく瞬きを繰り返すと、両手で顔を覆ってがっくりとうつむく。
「……ご存知の通り、僕の魔法は空を飛ぶ魔獣と相性がよくありません。しかも、これは魔法士団として正式に受けた依頼ですらない。どうするべきか、困り果ててしまって……」
旦那様が小さく吐息をついた。
「……仕方が無い。依頼主をお前にして、書類の体裁だけ整えろ。お前とヴィンスの二人で行って、速やかに片付け――」
つんつん。
人差し指で旦那様の肩をつつき、私はわくわくと旦那様を見上げる。何かお忘れじゃございませんか?
旦那様はすうっと目を細めて私を見返した。しかし、私も目を逸らさない。睨み合う事しばし、旦那様が重いため息をついて白旗を上げた。
「……わかった、俺も行く。お前は退治が終わるまで、絶対に露天風呂に入らないように」
「やたー! 了解ですっ」
テーブルから大きく身を乗り出し、ヴィンスさんと喜びのハイタッチを交わす。温泉楽しみ、グルメ楽しみ、オバケ楽しみっ!
喜びのあまり、私の頭の中からは、秘密基地の事などすっかり抜け落ちてしまった。
はしゃぎまくる私とヴィンスさんを尻目に、ラルフさんがなんとも珍妙な表情でポツリと呟く。
「……オチムシャって、何なんだ……?」




