第57話 今日から秘密ができました!
「奥方様。もし、よろしければ……。本日、わたくしにお付き合いいただけないでしょうか?」
仕事に行く旦那様を見送った朝。
執事のジルさんが改まったように頭を下げる。なんとなく声をひそめるその様子に、内心首を傾げつつも気軽に頷いた。
「はい、大丈夫ですよ! 今日は特に予定はありませんから」
お掃除バイトもお休みだし。
ジルさんはほっとしたように頬を緩めると、「では、後程」とせかせかと去っていく。
いったん部屋に戻った私は、クローゼットを開いて使用人時代の普段着を取り出した。どうやらナイショのお出掛けのようだから、目立たない格好の方がいいかと思ったのだ。
ちょうど着替え終わったタイミングで、自室の扉がノックされた。
「――ジルさん?」
扉を開くと、コートをはおったジルさんが立っている。しいっと唇に人差し指を当てる彼に頷きかけ、私もコートを手にしてそっと部屋を抜け出した。秘密めかした行動に、まるで冒険に出発するような高揚した気分になる。
二人で目配せを交わし合いながら、使用人の皆さんに見つからないよう、カサコソと慎重に廊下を突き進んだ。
***
徒歩で屋敷を出発した私達は、辻馬車を拾って大通りまで出た。
馬車から降りた後は脇道に入り、蔦の絡まった壁と壁の狭い隙間を通り抜け、緑の多い閑静な住宅街に行き着く。物珍しさに、私はきょろきょろと辺りを見回した。
「……王都にも、こんなに静かな所があるんですね」
「ええ。大通りから近くて便利な割に、落ち着いた場所でしょう? ――こちらです」
またも緊張した顔つきになったジルさんから先導され、奥まった場所にある一軒家に辿り着く。ジルさんが慣れた手つきで門扉の鍵を開け、二人ですばやく敷地内へすべり込んだ。
三角屋根が可愛らしい一軒家の庭には、雑草が元気にはびこっている。玄関の扉に鍵を差し込むジルさんが、はにかみながら私を振り返った。
「手入れが行き届いておらず、お恥ずかしい限りでございます。ですが、中はまめに掃除をしておりますので――」
どうぞ、とうながされ、私は興味津々で家の中へと足を踏み入れる。
ジルさんは広々としたリビングに私を案内すると、大きな窓に掛けられたカーテンをさあっと開いた。白い壁に陽光が反射して、室内が一気に明るくなる。
大きな革張りのソファに、真っ赤な絨毯。洗練されたデザインで、なんだかとってもお高そう。
それなのに、ソファの前にあるのは手作り感あふれる木のテーブル。もしや脚の長さが違うのか、微妙に傾いているような気がする。思わず下を覗き込んだ。
(……ん……?)
テーブルの下には、巨大なうさぎのぬいぐるみが行き倒れていた。助け起こしてみると、あかんべえと舌を出している。
緊張したように立ち尽くすジルさんを振り返り、いたずらっぽく笑いかけた。
「素敵ですね。ジルさんのおうち」
ちょっぴり意外ですけど。
うさぎを抱き締めてからかうと、ジルさんは慌てたように首を振って否定する。
「いいえ、いいえ! わたくしの家ではございません! ここは……そのう……」
言葉を濁すジルさんに、私はきょとんと室内を見回した。
「じゃあ、誰のおうちなんですか?」
「それはっ……」
ジルさんは再び言いよどみ、せわしなく瞬きを繰り返す。ごくりと唾を飲み込んで、聞こえるか聞こえないかの声で「奥方様の家なのです」と囁いた。
「私の?」
「あっ、そうではなく! いえ、そうなのですが!」
どっち?
煮え切らない返事に首を傾げていると、ジルさんはポケットから慌ただしく鍵束を取り出して、私の手に押し付けた。
「門扉用、玄関用、勝手口用の三つでございます。どうぞ、旦那様――シリル様には、見つかりませぬようご注意くださいませ」
「――えええっ!?」
それってもしや――隠れ家ってやつですか!?
もしくは別荘! はたまたセカンドハウス!?
大混乱してまくしたてる私を見て、ジルさんはやっとおかしそうに笑う。
「いいえ、アトリエでございます。……もっとも、奥方様は『秘密基地』とお呼びでございましたが」
「……私?」
己を指さして間抜けな声を上げる私に、「いえ、そうではなく!」とぶんぶん手を振り回す。先程から同じ会話を繰り返している事に気付き、私達はまじまじと顔を見合わせた。同時にぷっと噴き出す。
「申し訳ありません。この家は、奥方様――クロエ様が、アトリエとしてお使いだったのですよ。今は空き家なのですが、人が住まない家は荒れてしまいますから。わたくしがこっそり手入れをしておりました」
にこやかに説明してくれるジルさんに相槌を打ちながら、いつ疑問を口に出すべきかと迷う。
……クロエ様って、どちら様?
首をひねる私に気付かず、ジルさんは上品に微笑んだ。
「シリル様からお聞きかもしれませんが、クロエ様は多趣味なおかたでございました。特にお好きだったのが絵画なのです。この家の屋根裏部屋を、アトリエ代わりにお使いだったのですよ」
ほうほう。
クロエ様は絵画がお好き、と……。
わかったような顔で頷く私から目を逸らし、ジルさんは表情を陰らせた。苦しげに視線を下げる。
「実は……わたくしは、クロエ様と密かに連絡を取り続けておりました。――僭越かとは存じましたが、ミア様とシリル様のご結婚についても、報告させていただきまして……」
「……ふむ。して、クロエ様は何と?」
今更「誰ですっけ?」とも聞けず、私も真剣な表情を作る。雰囲気に合わせて淑女しゃべりも取り入れてみた。ちょっと間違った気がしないでもないけど。
ジルさんは沈痛な表情で私を見返し、小さくかぶりを振った。
「クロエ様は……大層案じておいででした。平民出のミア様が、身分の違いに苦しまれるのではないかと。――かつてのご自分が、そうであったように」
「…………」
うん、ちょっと待って?
私と同じく平民出身で。
旦那様との結婚の事を、報告する必要がある相手って――
「もしかしてっ!! クロエ様って……シリル様のお母さんですかぁ!?」
「は、はい。勿論」
ジルさんの返答を聞き、私は床に崩れ落ちた。そのままゴロゴロと悶絶する。
イカーン!
私、旦那様のお母さんの名前すら知らなかったぁ!!
打ちひしがれる私に、ジルさんが慌てたように手を差し伸べた。溺れる者の心境で、その手にヨロヨロとすがりつく。
「あ、あの。それで、クロエ様はこのアトリエをミア様に差し上げるとおっしゃったのですよ。いざという時、逃げ場があった方が安心だからと」
「差し、上げる……」
茫然と広いリビングを見回した。
「クロエ様が王都を出られて以来、この家は空き家同然でございます。ですから、これからはミア様がお好きな時にお使いくださいませ。わたくしがお供いたします。なるべく、近所のかたに気付かれぬよう注意する必要はありますが……」
「で、でも」
途方に暮れて、握った手に力を込める。
「シリル様には――秘密、なんですよね?」
それは困る。よろしくない。
実のお母さんの秘密基地を私が勝手に使うのは心苦しいし、何より私は隠し事が壊滅的に下手くそだ。
必死で訴える私に、ジルさんはうんうんと頷いた。
「でしたら、どうぞクロエ様に手紙をお書きくださいませ。クロエ様は現在南部にお住まいですから、返事が届くまでは日数がかかるでしょうが」
……そっか。
なら、クロエ様の許可が出るまでの間ぐらい。
この秘密基地の事は、立派に旦那様に隠し通してみせようじゃないか!
秘密のミッションに、メラメラと闘志を燃やす私であった。




