~幕間~ そうだ、里帰りしよう
アビーちゃんの誕生日パーティーが無事に終わり、決闘騒動も解決した平和なある日。
今日、私は初めての里帰りをする。
昨夜張り切って用意したトランクは、今にもはち切れんばかりに膨らんでいる。一泊だから着替えは多くないけれど、大量のお土産をこれでもかと詰め込んだのだ。
主に……というか、ほぼほぼお菓子ばかりなり。お土産とは言いながら、私も一緒に食べたいなり。
浮かれる私とは対照的に、なぜか旦那様はむっつりしていた。もしかして、今日は仕事に行きたくない気分とか?
朝食の席でも無言だった旦那様は、玄関で見送ろうとしている今も、超絶不機嫌大爆発といった面持ちだ。体調が悪いのかと心配になるけれど、特にそういった様子はなさそうだ。
首を傾げつつ、出勤する彼に元気よく手を振る。
「行ってらっしゃいシリル様! 私も、もう少ししたら出発します」
しかつめらしく頷き返し、旦那様は無言で出て行った。そして即座に戻って来た。
「……明日は昼過ぎに迎えを寄越す。町長の家で待っているように」
「はいっ」
敬礼付きで返事をすると、旦那様は重々しく頷いて出て行った。そしてやっぱり即座に戻って来た。
「…………町長の」
「はい?」
きょとんとする私を怒ったように見つめ、旦那様はもどかしそうに口を開く。じっと耳を傾けて待つけれど、旦那様は一向に言葉を発する気配がない。
「あの……?」
「――行ってくる」
ぷいと踵を返し、今度こそ本当に出発してしまった。
隣に立つ執事のジルさんと、思わずまじまじと顔を見合わせる。
「……どうしたんですかね?」
「さあ……?」
首をひねる私達であった。
***
「ただい……じゃなくて。お邪魔しまーすっ」
「もう、ミアってば! そこは『ただいま』で正解でしょう!?」
扉をくぐった瞬間に怒られて、私はてへへと頭を掻いた。
怒り顔で腕を組んでいたローズも、つられたように頬をゆるめる。ぱっと駆け寄ると、力いっぱい私を抱き締めた。
「……っ。お帰りなさい、ミア……!」
くぐもった涙声のローズに笑い返し、その背中をぽんぽん叩いて慰める。
町長夫妻や使用人のライラさん、マシューおじさんも玄関に大集合してくれていた。ローズの体を静かに離し、瞳を潤ませている彼らにもぴょこんと頭を下げる。
「ただいま戻りましたっ。今日から一泊お世話になりまーす!」
「どうぞ、奥方様をよろしくお願いいたします」
付き添ってくれたジルさんは如才なく挨拶すると、町長宅を後にする。明日の昼に迎えに来てもらうまで、早速久しぶりの里帰りを満喫することにした。
ぞろぞろとリビングへ移動し、用意したお土産を次々にテーブルへと広げる。
「まずはこちら! 王都で見つけた、可愛いクッキー!」
猫型にくり抜かれたクッキーには、にゃんこの可愛らしい表情がアイシングされている。笑っていたり怒っていたり、泣いていたり眠っていたり。かじるのにちょっと勇気のいる姿形だ。
奥様とライラさんも、「食べるのが勿体ないわ」とはしゃいだ声を上げた。
「そしてそして! バターサンドクッキー! 濃厚で美味しいらしいですっ」
ドライフルーツの挟まった、こってりバタークッキー。王都土産の鉄板である。
「追加でもひとつっ! チョコラスク~!」
白と黒の二種類あるよ!
「さらにさらにっ! 歯痛を感じるほどの激甘マカロン・全味制覇――」
「脳みそが砂糖漬けになるわっ!! 一体どんだけ買ってきてんのよ!?」
ローズの空手チョップが脳天に炸裂した。……くっ、相変わらず良いチョップだ……!
「だってぇ。全部美味しそうだったんだもんー!」
頭を押さえつつ抗議する私に、奥様とライラさんが笑い転げる。マシューおじさんがいそいそとお茶を用意してくれたので、午前中だというのにみんなでお土産のお菓子を囲んだ。
それからパン屋のフィンに会いに行ったり、孤児院に顔を出したり。
夜には町長家の嫡男・テッド兄さんも帰ってきて、再会を心から喜び合った。久しぶりに会う彼からは嬉しい報告も聞けて、幸せ気分のお裾分けまでしてもらった。
その夜はローズの部屋に泊まり、深夜まで二人で飽きることなくおしゃべりを楽しんだ。うーん。私にとっては、町長宅が実家のようなものかもしんない。
――満ち足りた気持ちで眠りについた。
***
翌日。
楽しい時間はあっという間に過ぎて、後は屋敷からの迎えを待つばかり。
ローズは早くも涙目になっている。ドアベルが鳴った瞬間、彼女はビクリと体を震わせた。
「……じゃあ、私行くね?」
一度ローズの手をぎゅっと握り、町長宅のみんなに深々と頭を下げる。みんな感極まったように頷き返してくれた。
全員で玄関まで移動し、勢いよく扉を開ける。扉の前で待ってくれているであろう彼に、満面の笑みで挨拶する。
「お迎えありがとうございます、ジルさ――えええええっ!?」
てっきりジルさんが迎えに来てくれるとばかり思っていたのに。
目の前に立っているのは、眉間に渓谷のような深いシワを刻んだ旦那様だった。私は慌てて軽くなったトランクを放り出す。
「シリル様っ!? お仕事は!?」
「……午後から休みを取った」
ぶすりと告げて、旦那様が鋭く私の背後を見回した。その視線がある一点でひたと止まったので、私も慌てて振り返る。
敵意のこもった視線の先には――茫然と立ち尽くすテッド兄さんの姿があった。なぜに?
私と旦那様がこの家で初めて会った時、テッド兄さんは仕事で不在だった。だから二人は初対面のはず。……なのにどうして、こんなにもロックオンされているのだろう?
他のみんなも怯えたように視線を交わし合う。旦那様の不機嫌の理由は不明だけれど、これは一刻も早く撤収しなければ。
焦った私は改めてみんなに別れを告げて、ぐいぐいと旦那様の腕を引っ張った。が、旦那様は微動だにしない。眉間のシワが、これ以上無理というくらい深まっていく。
「……町長の、息子」
「ははははいぃっ!」
直立不動になるテッド兄さんに、旦那様は吐き捨てるようにして続けた。
「婚約者の」
……婚約者?
何の話?と首をひねっていると、一瞬固まったテッド兄さんが、あわあわと腕を振り回す。
「もっ、申し訳ありません! 僕の婚約者は、今日は仕事で……ここにはいなくて……っ。あっ、もしや紹介した方がよろしかったでしょうかっ」
「……なんだと?」
旦那様がすっと目を細めた。
「もう、新しい婚約者が居るのか」
「…………」
あ。
私がはたと手を打つと同時に、それまで無言だった町長が「あああああ!」と悲鳴を上げる。転がるように前に出て、旦那様に向かって土下座する勢いで頭を下げた。
「――申し訳ありません、閣下! 息子とミアが婚約しているというのは、あの時とっさについた嘘と申しますか……方便と申しますか……!」
そう。
あの時――旦那様が私を王都に連れ帰ると告げた時。
町長は私を助けるため、私をテッド兄さんの婚約者だと偽ってくれたんだっけ。
思い出して苦笑しながら、私は旦那様の袖を軽く引く。
「シリル様。私も昨日聞いたんですけど、テッド兄さん結婚が決まられたそうですよ。幼馴染の彼女さんと」
旦那様は驚いたように瞳を瞬かせる。しばし黙り込み、やがて無表情に頷いた。
「……そうか。それはめでたい」
「はいっ」
にぱっと笑いかけ、私は取り落したトランクを拾う。すぐに旦那様が受け取ってくれた。そして大真面目な顔でみんなに会釈する。
「妻が世話になった。また、来月よろしく頼む」
「次回の里帰りも、楽しみにしてますね!」
ぽかんとしているみんなに元気よく手を振って。
懐かしい『通過の町』に別れを告げ、帰路につく私と旦那様であった。
 




