第49話 今宵はゆっくり休みましょう!
屋敷に戻って苦しいドレスを脱ぎ捨て、やっと深々と息をすることができた。
早めの夕食を済ませた後は、これまた早めにお風呂に入る。
湯船に体を浸けた途端、手足の強ばりが緩んでいくのを感じた。やはり慣れない場でかなり緊張していたらしい。
「は~。極楽、極楽……」
広い湯船で手足を思いっきり伸ばし、日本人の定番台詞をこっそり呟いてみる。
ゆっくり温まっていると、くあぁと大きなあくびが出た。
お洒落すること自体は嫌いじゃないけど、もうしばらくはドレスなんて見たくもない。小さく苦笑しながら、ヒールで痛んだ足を揉みほぐす。
あれから。
傷心のヴィンスさんは、ジーンさんとリオ君が送ってくれる事となった。二人ともパーティーを満喫できたようで、ニコニコ笑顔でご機嫌な様子だった。
三人に手を振って別れた後の、旦那様と二人きりの馬車の中、ずっと気になっていた事を聞いてみた。別行動の間、旦那様は何をしていたのかを。
旦那様の答えは至極あっさりしたものだった。
「知り合いを見かけたから挨拶に行った」
この一言で終わってしまった。
(……でも。それにしては、様子がおかしかった気がするんだけど……)
湯船の中で膝を抱え込み、ぼんやりとあの時の事を思い返す。
顔色を変えて、ジーンさんに私を託して――かなり、急いでいるように見えた。少なくとも、会えて嬉しい相手だったとは思えない。
「……よしっ」
ざばんと勢いよく立ち上がる。
気になるのなら。
――もう一度、聞いてみればいい。
***
旦那様の入浴が終わった頃を見計らい、旦那様の部屋へと急ぐ。
今日は何もかも前倒しで、わんこそばタイムもいつもよりだいぶ早い。ゆっくり話をする時間があるというものだ。
ノックをして部屋に入ると、旦那様はいつも通り私をベッドへと導く。私が疑問を口にするより早く、ひょいと私の前髪をかき分けた。
「――疲れているだろう。今日は、俺がする」
言うなり、手先に魔力を込め始める。
最近では私が魔力を吸う方が多かったので、このわんこそばスタイルは久々だ。
旦那様が私の額に魔力を移すのを見ながら、そっと彼の夜着の裾を握った。
「……シリル様。知り合いって、誰だったんですか?」
問いかけた途端、旦那様が手を止める。
返事を辛抱強く待つけれど、旦那様は一向に口を開く気配がない。私は戸惑いながら彼を見つめる。
そうして、気付いた。
正確には、旦那様は答えようとしてくれてはいた。けれど、そのたび苦しげに口をつぐんでいたのだ。
「――ごめんなさい! やっぱりいいです!」
慌てて旦那様の手を握る。
問答無用で手を下ろさせ、私はぽんぽんと自分の膝を叩いた。
「もう聞かないから、その代わり。今日も私が魔力を吸いますっ」
旦那様は驚いたように目を瞬かせる。
実は練習の甲斐あって、額ではなく手からの魔力吸収もできるようになったのだ。だから、本来なら膝枕はもう必要ない。
――必要、ないのだけれど。
今日の旦那様は……なんだか、つらそうに見えた。疲れているのなら、せめて今だけでもゆっくり休んでほしい。
碧眼の瞳をじっと覗き込むと、旦那様は静かに頷いた。
私の膝に頭を乗せて、大きく息をついて目を閉じる。
しばらくはお互い言葉を発さず、部屋には時計の秒針の音だけが響いた。私は少しずつ魔力を吸いながら、旦那様の柔らかな銀髪を撫でる。
「……すまない。いつかは、話す」
目を閉じたままで、旦那様が囁くように告げた。
私はじんわり嬉しくなって、旦那様には見えないというのに何度も頷いた。
「はいっ。話せる時で大丈夫です! ――いつまでだって、待ちますから」
くしゃりと髪をかき混ぜると、旦那様はやっと目を開く。手を伸ばし、お返しとばかりに私の髪を軽く引っ張った。
くすぐったさに思わず笑い出す私に、旦那様も瞳をなごませる。
「……お前の方は、何も問題はなかったか。俺が、離れている間に」
「大丈夫です、ジーンさんが一緒だった……し……。――あああああっ!!!」
忘れてたぁぁぁぁっ!!!
突然叫び出した私に、旦那様が顔色を変えて飛び起きる。すかさず私は彼の胸ぐらを引っ掴み、ぐらんぐらんと揺さぶった。
「問題ありましたっ! ジーンさんがっ決闘なんです! ラルフさんと! 三日後!」
「…………」
されるがままだった旦那様は、眉をひそめて虚空を睨む。
「……ラルフ? 奴もパーティーに居たのか?」
私の手を握って揺さぶりを止め、怪訝そうに覗き込んだ。私はコクコクと頷く。
「そうか。……で。なぜ、ジーンとラルフが決闘する?」
「ラルフさんが私の事、平凡とか凡庸とか言ったらジーンさんが怒っちゃったんです! 私は別に気にしてないから、シリル様の方からなんとか――」
二人を止めてください。
そう言いかけたところで、息を呑んだ。
旦那様がすっと無表情になり――その身のうちから、恐ろしいほどの怒気が滲みだしてきたから。
強制クーラーこそ発動していないものの、部屋の酸素が一気に薄くなった気がする。
「……あ、の。シリル、様……?」
引きつりながら様子を窺うと、旦那様は鋭い目で私を見た。
「――ああ。わかった」
わかってくれたのか。
ほっとして笑顔になる私に、旦那様は吐き捨てるように言い放つ。
「ジーンの代わりに、俺が奴の相手になろう」
「なんでそうなるんですっ!?」
全然わかってないじゃないですか!!
「決闘なんかしちゃ駄目ですよ!? シリル様も、ジーンさんも!!」
必死で訴えると、旦那様は明らかにムッとした表情になった。無言のまま、ぷいと私から顔をそむける。
私は立ち上がって回り込み、旦那様の顔を正面から覗き込んだ。
「無視しないでくださいっ。あさって掃除に行く約束だから、ジーンさんは私が説得します。シリル様はラルフさんを説得してください。絶対ですよ!?」
ぐぐっと眉間に力を入れて、至近距離から旦那様を睨みつける。
旦那様は怒ったように私を見返すばかりで、返事すらしてくれない。お互い引くに引けず、にらめっこ状態になってしまった。
……って事は、笑った方が負け?
不意にひらめいた私は、自分の両頬を思いっきりつまんだ。歯をイーッと見せて、渾身の変顔を披露する。
旦那様はグッと呻いて崩れ落ちた。
――フッ。
どうやら、私の勝ちのようですね?




