第47話 平和的解決は無理なのですか!?
私は鼻を押さえたまま、ラルフさんは手を差し伸べたままのポーズで固まっている。
断じて、私達は見つめ合っていたわけではない。お互いただ思考停止して、言葉を失っただけなのだ。
……それなのに。
私とラルフさんとジーンさんだけこの場に残し、周囲の人々は潮が引くように離れてしまった。
素早くいくつかのグループに分かれた貴婦人達から、興奮したような囁き声が聞こえてくる。
――まあ、閣下がいらっしゃらない間に……!
――禁断の恋、ですわね……!
――なんて情熱的……!
「…………」
ちっがーーーうっ!!!
「……っ。ラルフさぁぁぁぁぁんっ!!」
「うわっ!? ななな何だっ、僕に触れるな!!」
思わずラルフさんの胸ぐらを引っ掴んで、力の限り揺さぶった。平民の分際で~とか思われたとしても、それどころじゃないんですよぅ!
私は息を荒げて彼を睨みつけた。
「噂、聞きましたっ? ラルフさん、私に横恋慕してることになってるんですっ。お願いですから否定してください!」
平民の私が主張するより、貴族の――まして当事者であるラルフさんが否定する方が、はるかに説得力があるはずだ。
必死に言い募る私を見て、ただでさえ青ざめていたラルフさんの顔から、ますます色が抜けていく。カタカタと激しく震え始めた。
「……横、恋慕……? この僕が……君のような平民に……? し、しかも上司の奥方なんだぞっ?」
茫然と呟いたかと思うと、両手で頭を抱え込み、崩れ落ちるように膝を突く。
「あり得ないだろうっ! 誰が好き好んで、こんな平々凡々、十人並み容姿の凡庸顔に――!」
「…………」
言い方を変えてるだけで、要は普通顔ってことですよね?
ぶうとむくれる私の横から、それまで無言だったジーンさんがすうっと進み出た。驚いて彼女を見ると、いつも天真爛漫な彼女らしくなく、柳眉を逆立てて口を真一文字に結んでいる。
「――女性に対して、随分と失礼な物言いですね? 今すぐ取り消して、彼女に謝罪してください」
旦那様ばりの無表情、硬い口調で言い放った。
化粧の威力も相まって、普段のジーンさんからは想像もできない迫力だ。
ラルフさんは驚いたように彼女を見ると、立ち上がってごくりと唾を飲み込んだ。
「な、なんだ君は……」
たじろぐラルフさんに、ジーンさんはますます距離を詰める。作り物のような白い顔で、鋭く彼を見据えた。
後ずさりしかけたところで、ラルフさんははっと我に返ったように動きを止める。精一杯ふんぞり返ってジーンさんを見下ろ……そうとしたようだが、見下ろせていない。
かろうじてラルフさんの方が高いものの、彼らの身長はそう変わらなかった。
……ありゃ。
もしやラルフさんてば、意外と背が低い?
私の心の声が聞こえたわけではないだろうけど、ラルフさんは顔を真っ赤にしてわめき出した。
「なぜ僕が、平民ごときに謝罪せねばならないっ」
「……そう。なら、仕方ないですね」
ジーンさんは心臓を撃ち抜くかのように、人差し指をラルフさんの胸にトンと当てる。薄く笑って彼の瞳を覗き込んだ。
「――三日後、十九時に五番街の時計塔前で。あたしとあなたで勝負して……あなたが負けたなら、彼女にきっちり謝ってくださいね?」
「な……っ!?」
目を白黒させるラルフさんから体を離し、ジーンさんは私の腕を掴む。問答無用で歩き出すと、笑みを消して彼を振り返った。
「……まさか、逃げたりなんかしませんよね? 平民の女から勝負を挑まれて」
「あっ、当たり前だ!」
怒鳴りつける彼を鼻で笑い、ジーンさんはヒールを鳴らして足を早める。腕を引かれた私は付いていくだけで精一杯で、口を挟むことなどできなかった。
パーティー会場から廊下に出ても、ジーンさんは前しか見ていない。私は抵抗するように彼女の腕を引っ張った。
「――ジーンさん!」
私のために、勝負なんてしてほしくない。
謝罪なんか必要ないから、今すぐ戻って撤回しましょう。
そう訴えようとした瞬間、足を止めたジーンさんが勢いよく振り返った。睨むように私を見据えたかと思うと、迫力満点のモデル顔があっという間に崩れ去る。……へあっ?
「ジーンさ……!?」
「ミアちゃぁぁぁぁぁんっ!! トイレ、トイレ! トイレどこだろぉぉぉぉっ!?」
調子に乗って飲み食いし過ぎちゃったー!
私の肩を激しく揺さぶりながらの突然の大号泣に、思わず目が点になる。
さっきまでの格好良いジーンさんは、夢マボロシでございましたか……?
***
「やー、ごめんごめん! 生き返ったわぁ~」
「ジーン、アンタね! しとやかに振る舞えって、アタシあれほど言ったわよねっ!?」
ぎゃんぎゃん説教しながらも、ヴィンスさんは甲斐甲斐しくジーンさんのドレスを整える。
一体どこから取り出したのか、ふくらんだポーチから道具を取り出して、化粧直しまで始める始末。私とリオ君は顔を見合わせ苦笑してしまう。
女子トイレから出たところで、折よくヴィンスさん達と合流できたのだ。
ヴィンスさんは変わり果てた姿になっていたけれど、ドレスを着崩したジーンさんを見て、一気に瞳に光が戻った。
今は会場の喧騒から離れた、温室の一角のベンチに四人で座っている。
「――で? シリルの様子がおかしくて、ジーンがラルフに決闘を申し込んで? ちょっとアタシがいない間に、なんでそんな事になってんのよ……」
「…………」
や、『ちょっと』じゃないと思う。
まあでも、再会した時のヴィンスさんはうつろな目で、口からは魂が抜けかけていた。時間感覚がなくなっても仕方ないのかも。
ひとり頷いていると、ジーンさんがぷっと頬を膨らませた。
「だぁって、アイツ失礼だったんだもん! 本当なら、落ち着いて諭すべきだったのかもしれないけどっ。……そんな悠長なことしてる暇、無かったし……」
それに、とちらりと私に視線を移す。
「シリルからよろしく頼まれたんだからっ。ミアちゃんはあたしが守るの!」
「ジーンさん……」
感動に目を潤ませる私をよそに、ヴィンスさんはますます目を吊り上げた。手早く化粧道具を片付けると、ジーンさんの頭に手を置き、至近距離からひたと彼女を見つめる。
「だからって! アンタが決闘だなんて無、茶……」
言いかけた言葉を止めて、突如ヴィンスさんの表情が凍り付いた。ジーンさんはきょとんと目を丸くして、「おーい?」とヴィンスさんの顔を覗き込む。
「ギャアッ!? 近いわジーンッ!!」
「――ヴィンセント様。ご生還、心よりお祝い申し上げますわ」
冷え冷えとした美しい声が聞こえて、私達は驚いて振り返った。ひとり動かないヴィンスさんの額から、つうっと汗がしたたり落ちる。
「……エマさんっ!」
立ち上がりかけた私を目顔で制すると、エマさんは静かにジーンさんに歩み寄る。にっこりと手を差し伸べた。
「初めまして。エマ・ライリーと申しますわ」
ジーンさんも慌てたように立ち上がり、エマさんのほっそりした手を握り返す。しげしげとエマさんの顔を見つめると、ほうっと感嘆の吐息をついた。
「王立学院で教師やってます、ジーン・ハイドです。……ええと確か、エマさんってヴィンスの恋人……ですよね?」
「全く違いますわ。わたくし達、食うか食われるかの関係ですの」
「…………」
何その殺伐とした関係。
愛の告白はどこへ消えてしまったの……?
首を傾げつつヴィンスさんを窺うと、彼はビクリと身をすくませる。目を潤ませて、チワワのようにぷるぷると震え出した。
 




