第39話 お仲間発見、逃しません!
辻馬車を拾って屋敷に戻ると、張り詰めていた気持ちが一気に緩んだ。玄関に足を踏み入れた瞬間、へなへなと腰を抜かしてしまう。
「――奥方様ッ!?」
執事のジルさんの悲鳴が聞こえ、大丈夫だと答えたいのに声が出ない。
手のひらで顔を覆ってしゃがみこんでいると、旦那様が側にかがむ気配がした。ふわりと頭を撫でられ、いたわるように告げられる。
「……嫌な思いをさせて、すまなかった」
私はぶんぶんと首を横に振った。
嫌な思いは、確かにした。
身分なんてどうしようもない部分で侮蔑され、怖かったし悲しかった。
ついでにケーキの味がわからないのも切なかった。ああジルさん、食レポできなくてごめんなさい……。
(……でも……)
そんな、負の感情は。
――何があろうとミアを手放す気は無い。
あの台詞で全部全部、空の彼方まで吹っ飛んだ。
「……ミア」
苦しげに名前を呼ばれ、私は恐る恐る手をはずす。心配そうに瞳を揺らす旦那様と目が合って、ぶわわ、と頬が熱くなる。
「……シリル様」
掠れた声で呟くと、旦那様は耳を傾けるような仕草をした。私はコクリと唾を飲み込んで、美しい碧眼の瞳を覗き込む。
「また、行きましょうね……? 次はゆっくり食べたいです。……二人だけで」
ナイショ話のように囁きかけると、旦那様はふっと瞳の色をやわらげた。無言で頷いて、私の腕を優しく引いて立たせてくれる。
「旦那様。奥方様は――……」
「問題無い。――ジル。今度、お前の贔屓のカフェを教えてくれ」
すれ違いざまに旦那様から声をかけられ、ジルさんは目を白黒させて固まった。
旦那様に支えられて通り過ぎながら、私は振り返ってジルさんに目配せする。ジルさんははっとして動き出し、感動したように目を潤ませた。
「ええ、喜んで! わたくし、カフェには一家言がございますので!」
元気いっぱいのジルさんの声が追いかけてきて、思わず大きく噴き出してしまう。
今日は旦那様とお出掛けして。
アビーちゃんの誕生日プレゼントも買えたし、縫い物をする珍しい旦那様まで見られた。
(それに、それに……!)
ものすごく破壊力のある言葉をもらってしまった。
傍らの旦那様をこっそり眺め、私はだらしなく顔を緩ませる。
今日はすっごく楽しくて、温かくて、幸せな一日だった。
終わりよければ全てよし、だ。
***
「はあっ!? 何よそいつ! あたしがガツンと言ってあげよっか!?」
カフェでの一幕を打ち明けた途端、ジーンさんは真っ赤になってこぶしを振り上げた。
私は慌てて掃除の手を止め、彼女をなだめにかかる。しまった、雑談としては不適切だったか。
「ありがとうございます、でも大丈夫ですっ。……シリル様が、ガツンと言ってくれたから……」
てへへと照れ笑いすると、ジーンさんもホッとしたように腕を下ろした。それでも、その顔はまだしかめられたままだ。
「そいつ、絶対貴族よねぇ。魔法士団にはそもそも貴族が多いのよ。王侯貴族って血筋的に魔力が高いもんだから」
あーあ、とジーンさんは机に突っ伏す。
「シリルのお母さんまで持ち出すなんて、本当に嫌なヤツ。鉄拳制裁加えるべしべし」
「ジーンさんは……シリル様のお母さんに、会った事ありますか?」
ためらいがちに聞いてみると、ジーンさんは体を起こしてあっさりと首を横に振った。机に頬杖を付き、物憂げに目を伏せる。
「会った事はないし、シリルのお父さん――前の王様が見初めた平民女性で、当時結構叩かれたって事くらいしか知らないわ。前の王妃様はとうに亡くなられていたんだし、そもそも平民で何が悪い?って感じだけど」
眉根を寄せるジーンさんにつられ、思わず私も大きなため息をつく。と、ジーンさんが慌てたように身を乗り出した。
「――ダメよミアちゃん、早まっちゃあ! シリルにはあなたが必要なんだから!」
……はい?
きょとんしていると、ジーンさんはますます焦った様子で立ち上がる。私の肩に手を置き、ユサユサと揺さぶった。
「ヴィンスがやっと告白できたのだって、ミアちゃんのお陰なのよ!? あたしが何度正直に話せって言っても、のろのろモタモタしていたあのヴィンスが!!」
「あ、ああ……。あの事、ジーンさんも知ってたんですね?」
驚きつつ尋ねてみると、ジーンさんはハッとしたように目を瞬かせる。それからしゅんと眉を下げて頷いた。
「うん……。卒業してすぐぐらいかなぁ、ヴィンスから打ち明けられたのは。あたしも、シリルに黙ってた事になるよね……」
でも、あたしが言ったら、告げ口みたいになっちゃうと思って。
ずぅぅぅんと暗くなるジーンさんに、今度は私が慌ててしまった。一生懸命彼女の背中を撫で、大げさなくらい明るい声を出す。
「大丈夫ですよっ。シリル様も、ちゃんと自分が確かめるべきだったって言ってたし! ……それに――」
にぱっと笑ってみせる。
「それに、さっきのジーンさんの心配も大丈夫です。私、シリル様から離れるつもりないですから。……だって。私が、そうしたいって思うから……」
言っているうちに恥ずかしくなってきて、最後はモゴモゴと言葉を濁した。ジーンさんは目を丸くすると、笑い声を上げて抱き着いてくる。
「わわっ……?」
「ありがと、ミアちゃん! あたしともずっとよろしくね! そしてお掃除も!!」
いたずらっぽくウインクされて、私もつられて噴き出した。
しばし二人で笑い合った後、ジーンさんはパッと私から離れる。スカートをつまんで、気取ったようにお辞儀した。
「そんで、直近だと王女殿下の誕生日パーティーでお世話になりますっ! やー、ミアちゃんもシリルもヴィンスもいるなんて、あたしもリオも心強いわぁ」
「……はいぃ!?」
愕然とする私に、ジーンさんはニヤニヤと笑む。机の引き出しから豪奢な封筒を取り出すと、得意気に掲げてみせた。
「じゃじゃんっ、招待状でーす! ……って、招待されたのはリオなんだけどね。教師がひとり付き添う必要があるから、無理やりねじ込んじゃった!」
聞けば、王立学院は王宮との結びつきが強いため、公的なパーティーに学院の生徒を招待する事があるらしい。成績優秀者に対するご褒美のようなもので、大抵は大学生から選ばれるそうだ。
「リオは飛び級だし、学費免除の特待生だから当然よね。あたしも昔選ばれた事あるんだけど、風邪を引いて行けなかったのよぅ! 美味しいもの、たくさんあるわよねー? 楽しみ楽しみっ」
「…………」
うぅん、と私は苦笑してしまう。
ジーンさんとリオ君がいるならば、私だってすごく嬉しい。
……でも。
「ジーンさん……。もうドレスは用意しました?」
「ううんっ。明日ヴィンスに見立ててもらう予定!」
うきうきと答える彼女に、私はぴっと人差し指を立てた。真面目くさった表情を作り、たっぷりと間を置いて重々しく告げる。
「予言します。――私達は、食べられません」
ジーンさんの笑顔がビシリと凍りついた。
「ドレスが苦しくて、うふふと笑ってお茶を飲むしかないそうです。ヴィンスさんが言っていました」
ジーンさんの全身がカタカタと震え出す。
絶望的な表情で、崩れ落ちるように膝を突いた。
「――うっそぉぉぉぉぉぉっ!?」
本当です!
仲間ができて嬉しいでーすっ!!
 




