第36話 爽やかな朝、ではないですね?
翌朝、朝食の席で。
旦那様とヴィンスさんはゾンビとなっていた。
フォークすら手に取らない二人をよそに、私は一人モリモリと朝食を平らげる。初めて見る光景に、興味津々で目を輝かせた。
「なるほど、コレがいわゆる二日酔いってやつですねっ」
「怒鳴らないでッ、頭に響くッ!!」
……怒鳴ってないもん。
というか、今のヴィンスさんの方がよっぽど大きな声だったし。
むくれながら旦那様へと視線を移すと、蒼白な表情で胃のあたりを押さえていた。えっ、大丈夫!?
慌てて背中を撫でるけれど、旦那様は全くの無反応。例えるなら、この世の終わりのような顔をしている。……二日酔いって大変なんだな。
額を押さえてうつむいていたヴィンスさんが、半笑いを浮かべた顔を上げる。
「ふ……ふふ……。シリルの二日酔いなんて初めて見たわ……。やっぱり、昨夜はかなり酔っていたのね。だって、アタシがいるのに膝枕――」
「黙れ」
ビシッと空気が冷たくなった。
「やめっ……。寒さで、頭痛に拍車が……。……ぐふっ」
ばったりとテーブルに倒れ伏した。
寝るなぁーっ、寝たら死ぬぞぉーっ!
「――旦那様、ノーヴァ様。どうぞ、スープだけでもお召し上がりくださいませ」
執事のジルさんが気遣わしげな表情で、大きなマグカップをゾンビ達の側に置く。
二人はしばらく嫌そうにカップを眺めるだけだったが、再度ジルさんからうながされ、諦めたように手を伸ばした。
スープを飲んだことで、二人の顔に少しずつ赤みが差してくる。
私はしかつめらしく二人を見比べた。
「お酒は適量を守らないと駄目ですよっ」
「……いるのよね。飲んだことないくせに説教するヤツって……」
ヴィンスさんがいじけたように呟く。
あーあ、と大きく伸びをして立ち上がった。
「アタシ、そろそろ出勤するわ。ホントは病欠したいとこだけど、今日は休めないのよね……」
ため息をつき、私と旦那様にヒラリと手を振って行ってしまった。
行ってらっしゃい、と見送って、私はきょとんと旦那様に視線を移す。
「シリル様は、お仕事は?」
「……今日は、休みだ……。元からな……」
呻くように、途切れ途切れに言葉を発する。
私は再び旦那様の背中を撫でながら、どうするべきかとしばし迷う。
本当は今日やりたいことがあったけれど、体調の悪い旦那様を置いていくのは心苦しい。明日にしようかと考え込んでいると、旦那様がじっと私の方を見ていた。
「……どこか、出掛けるか。二人で」
「や、駄目ですよっ。体調悪いんだから!」
慌てて旦那様を止めて、でも、と私は首を傾げる。
「今日じゃなくてもいいんですけど、なるべく早く買いたいものがあるんです」
「……なら、午後から行くぞ。それまでに、治す……」
言うなりカップを置いて立ち上がり、フラフラと食堂を出て行ってしまった。私は思わずジルさんと顔を見合わせる。
「……大丈夫ですかね?」
「旦那様がご無理の時は、わたくしでよければお供いたしますよ」
ジルさんからにこやかに告げられ、胸を撫で下ろした。
――よかった。思い立ったが吉日って言うしね。
***
「――それで、何が欲しいんだ」
「ええと。欲しいのは、私の物じゃなくて――あっ、シリル様! あのお店に入りたいです!」
可愛らしい雑貨屋さんを発見した私は、隣を歩く旦那様を引き止めて腕をぐいぐい引っ張った。
午後。
宣言通り、旦那様の顔色は随分マシになっていた。どうやら午前中ずっと寝ていたらしい。
旦那様はそれでも心配する私を説き伏せて、王都で買い物することになったのだ。朝と違ってお昼はしっかり食べていたし、おそらく本当に大丈夫なのだろう。
「この鉛筆とかどうかな……。や、色鉛筆の方がいいかも。うぅん、それとも筆箱……?」
雑貨屋さんでうんうん頭を抱える私を、旦那様が不思議そうに覗き込む。
はっと気付いて顔を上げ、色鉛筆の箱を掲げてみせた。
「アビーちゃん、王立学院に編入するらしいんです! 今度の誕生日パーティーで、どうせなら学院で使えそうなものをプレゼントしようかなって」
と言っても、鉛筆はさすがに実用的すぎるかもしれない。でも、この色鉛筆は外箱もお洒落だし、候補に入れておこう。
うきうきと計画を立てる私を見て、旦那様がためらうように口を開く。
「……プレゼントなら、ジルに用意するよう命じてあるが……」
「あ、これはミア叔母さん個人からなので! 使用人時代に貯めたお金からだから、たいしたものは買えないけど。気持ちですから」
照れ笑いする私に、旦那様はふっと目を細めた。
「……別の店も見てみるか」
「はいっ、ぜひ!」
旦那様から肩を抱かれ、雑貨屋さんを出る。
ふと視線を感じて振り返ると、店員さんがあんぐりと口を開けて旦那様を見ていた。
(……うーん……)
思わず暗澹たる気持ちになってしまう。
想像していた以上に、旦那様は王都で有名らしい。ここに来るまでの間にも、道行く人から何度も振り返られた。そして逃げ出すような勢いで道を空けられた。
怖い人じゃないのに、と唇を尖らせていると、旦那様が静かな瞳で私を見下ろす。
「平民にとって、王族など近付きたくもない相手なんだ。下手に関わって、厄介事に巻き込まれたら目も当てられない」
「……でも、シリル様は。皆を守ってくれる、魔法士団の団長なのに」
ぶすりと吐き捨てて道端の小石を蹴った私に、旦那様は小さく肩を震わせた。……んんっ!?
「――今っ! 笑いました!?」
「笑ってない」
即座に平坦な声音で否定された。
ええ~、絶対笑ってたと思うのに~。
納得できずに一生懸命に旦那様の顔を覗き込んでいると、ぐいっと頭を前方に戻された。
「ちゃんと前を向いて歩け」
「はぁい。……でもやっぱり、さっき笑っ」
「てない」
てないかー。
残念に思いながら、またてくてくと歩き出す。
とりあえず第一候補はさっきの色鉛筆だけれど、可愛いノートとかもいいかもしれない。女の子は交換日記が好きだから。店を物色しながら、一方的に旦那様にあれこれ話しかけた。
ほとぼりが冷めたころ、またも旦那様の顔を見上げる。
「……でも本当の本当は、さっき笑っ」
「てない」
てないかー。
そぉかー。




