第28話 恋を自覚…するのです?
「遅くなってごめんなさいっ。おはようございます、だん……じゃなくてシリル様っ」
まだはっきりと目が覚めないまま、寝間着のままで玄関に立つ。
今朝は思いっきり朝寝坊してしまって、朝食を旦那様と食べることができなかった。こんなことは初めてである。
「……具合いでも悪いのか。今日は、ジーンの所に行くのは取り止めに……」
眉をひそめて問う旦那様に、慌ててぶんぶん首を振った。
「違います! ローズに手紙を書いてたら、なんだか長くなっちゃって……。すっごく分厚い超大作が出来上がったんですよー」
なんとなく得意になって胸を張る。
旦那様経由で受け取ったローズからの手紙には、私を案じる言葉が切々と綴られていた。なんなら涙で文字すら滲んでいた。
……これはイカンと、血の気が引いていく思いがした……。
だから昨夜、私は気合いを入れて机に向かった。
この屋敷に来てからのすべての出来事を、余すことなく書き連ねたのだ。
旦那様が別荘に連れて行ってくれたこと、元素魔法を見せてくれたこと。
ヴィンスさんがしょっちゅう遊びに来てくれること、屋敷の皆が親切なこと。
今は大学で掃除のお手伝いをしていること、野菜をもらうのが楽しみなこと。
結構な分量になってしまったから、読むのは大変かもしれない。けれど、これでローズが安心してくれれば嬉しい。
「もっと早く、手紙を書けばよかったです。里帰りの時にたくさんおしゃべりしよう、としか考えてなくて……」
ここに来るまで、私の世間は通過の町だけで。
そもそも手紙を送る習慣がなかったのだ。ローズには本当に申し訳ないことをしてしまった。
反省してしゅんと眉を下げる私を、旦那様が静かに見下ろす。
「町長の娘も、この屋敷に手紙を送っていいものか思い悩んでいたらしい。……好きに送って構わないと伝えてあるから、これからやり取りすると良い」
「……っ。はいっ、ありがとうございます!」
頬を緩める私に頷きかけ、旦那様は仕事へと出発した。
大きく腕を振って見送った後、お腹がぐうと鳴る。
今日は午後から、掃除のお仕事第二弾っ!
まずは着替えて腹ごしらえしなければ。
自室に戻るべく、私はうきうきと踵を返した。
***
午後。
軽い昼食を済ませ、使用人時代の服を身に着ける。
意気揚々と玄関に向かうと、執事のジルさんが待ち構えていた。
「奥方様。旦那様からのご命令で、本日よりわたくしがお供いたします」
深々と頭を下げられ、思わずきょとんと彼を見返した。馬車で送り迎えしてもらうのだから、お供は必要ないと思うのだけれど。
首をひねる私に、ジルさんは小さく微笑みかける。
「ハイド先生のお部屋までお送りして、帰りはお部屋までお迎えにあがります。決してお一人で室外に出られませんよう」
「…………」
大変だ。
旦那様の過保護が加速している。
これはますます、リオ君のことを知られるわけにいかなくなった。
固く心に誓い、ジルさんと共に馬車へと乗り込んだ。
「――奥方様。ご迷惑でなければ、どうかこちらをお持ちくださいませ」
馬車の中、ジルさんがごそごそと紙箱を取り出す。はにかむジルさんを不思議に思いつつ、ぱかりと箱を開けてみると、黄金色に焼き上がったお菓子が入っていた。
「わっ、美味しそう! ありがとうございます! ジーンさんとおやつにしますねっ」
手を叩いて喜ぶ私に、ジルさんはますます照れたように笑う。実は、と彼は頰を掻いた。
「わたくしが焼いたのです。……いつか、王都で小さなカフェを開くのが夢なのですよ」
「ええっ? すごーい!」
驚いて、もう一度まじまじと焼き菓子を観察する。
ふっくらした焼き菓子は、表面もなめらかでひび割れひとつない。惚れ惚れする出来栄えで、とても素人技とは思えなかった。
「絶対、絶対叶いますよ! 今日のおやつが楽しみ……!」
はしゃぎながら目を輝かせると、ジルさんは嬉しそうに目元を赤くする。
それからカフェ談義に花を咲かせているうちに、馬車が大学へと到着した。
一昨日来た道をジルさんと二人で辿り、ジーンさんの研究室をノックする。今日はすぐに反応があった。
「いらっしゃいミアちゃん! 待ってたよー……ん……」
扉を開け放ったポーズのまま、ジーンさんが呆けたように動きを止める。ジルさんを見つめ、ぶわわわわ、と一気に頬を赤く染めた。
「お久しぶりでございます、ハイド先生。奥方様のこと、どうぞよろしくお願いいたします」
「ハ、ハイッ! モチロンデス!」
「よろしければ、こちらをお召し上がりくださいませ。ほんのお口汚しでございますが」
「マ、マアッ! ウレシイワァ!」
「…………」
顔どころか耳や首まで真っ赤にして、ジーンさんはカクカクとロボットのような動きをする。
私が唖然としている間に、ジルさんは優雅に一礼して退出してしまった。
部屋に入ると、ジーンさんはへなへなと床に座り込む。ああっ、そこホコリがっ!
ぐいぐいと腕を引っ張って立たせようとする私を、ジーンさんはでれっと笑って見上げた。
「不意打ちだったから緊張しちゃったぁ! ジルさんてば、相変わらず素敵だねっ?」
……へ?
ジルさんは確かに素敵な紳士だと思う。
でも、ジーンさんのこの反応は……。
なんだか覚えがある気がした。
孤児院の女の子達が、こんな風に顔を赤くして、きゃあきゃあ騒ぐのを何度も見た。
そう、それは――……
答えに辿り着き、私ははっと目を見開く。
「ジーンさんっ。さてはジルさんに恋してますねっ?」
「えっ……!?」
ジーンさんは絶句して、己の胸に手を当てた。
驚愕に目を見開いて、自問するように小さく呟く。
「……これが……恋……?」
勢いよく肯定しようとしたところで、再び研究室の扉がノックされた。口髭を生やした、白髪のダンディな男性が入室してくる。
「ごきげんよう、ハイド先生。――おや、そちらの女性は……。例のお手伝いのかたですかな?」
「ハ、ハイ! そうなんですぅ、学院長っ」
またも真っ赤になったジーンさんが、身をくねらせながら高い声で答えた。ダンディ紳士はふわりと微笑む。
「そうでしたか。お邪魔して申し訳ない。お借りした本を返しに来ただけなので、すぐに退散しますよ」
言葉通り、重そうな本をジーンさんに渡すと、紳士はすぐに出て行った。
ジーンさんが息を荒げて私を振り返る。その瞳は熱を宿して潤んでいた。
「……これも……恋……?」
「はっ、はい! 多分!!」
ジーンさんは、二人の男性に同時に恋をしているのだ。
初恋もまだの私には、その心境は想像すらできない。ドキドキと胸を高鳴らせていると、またもや扉がノックされた。
今度は、五十代くらいの苦み走った男性が入室してくる。
「――失礼、ハイド先生。明日の早朝会議、忘れないよう注意してください。……まったく。あなたときたら、毎回遅刻するのですから」
言葉は厳しいが、ふっと苦笑しながら告げる彼に、ジーンさんは「ハイ、気をつけますぅ……」とうっとり呟いた。
苦み男性が退出すると、ジーンさんはカタカタと震えながら私を見つめる。
「……そして、これもまた恋……っ?」
「違うと思います」
私はきっぱりと否定した。
ジーンさんがときめくのは、みんな年配のステキ紳士たち。
――つまりソレって、単なる好みのタイプかと!!




