第27話 契約に修正を加えましょう!
「――よぉし、これでいいわね。さっ、二人とも署名するのよっ!」
ヴィンスさんの号令で、私は神妙に、旦那様は無表情にペンを手に取った。「変更契約書」と書かれた紙に、さらさらとサインする。
最初に交わした契約から、内容を修正することになったのだ。
変更点は二つ。
一つ、お互い浮気は一切許されないこと。
一つ、お互い他の人間とは魔力譲渡を行わないこと。
契約書の効力は、今この時点から。
サインをしたことで、私の心はほっと軽くなった。自然と笑みがこぼれる。
「よかったぁ……。改めてよろしくお願いします、旦那様っ」
「……ああ」
旦那様がむっつりと答える。……ありゃ、まだ機嫌悪い?
首を傾げていると、ヴィンスさんが呆れたように旦那様を見た。
「なに拗ねてんのよ、シリル。――もしかして、ミアに手を出しちゃダメって条項を変えなかったのが不満? ……でも、それはアンタの自業自得よ。始まり方を間違えたんだもの。挽回したいなら、せいぜい誠心誠意を尽くすことね」
「煩い。……俺が聞きたいのは、こいつに魔力を渡した相手の名だ」
旦那様の声音は平坦だけれど、なぜだか爆発寸前な響きを感じる。思わずヴィンスさんと顔を見合わせ、私はふるふると首を横に振った。
「駄目です、旦那様。断らなかった私が悪いんだもん。相手のことは教えられないです」
「…………」
旦那様はむっと眉根を寄せたけれど、こればかりは私も引けない。じっと旦那様を見返すと、ややあって彼は仕方なさそうに頷いた。
さあ、とヴィンスさんがパンパンと手を叩く。
「ミア。良い機会なんだから、他にもシリルに要望があるなら言いなさいよ。きっと、今ならなんでも聞いてくれるわよ?」
「……えぇと……?」
要望、要望……。
旦那様にして欲しいこと。何かあるかな?
悩んだ末に、ぽんと手を打つ。
期待を込めて旦那様を見つめた。
「旦那様っ。私も、名前で呼んでほしいです!」
私の言葉に旦那様は動きを止め、ヴィンスさんはプッと噴き出した。
「ヴィンスさんとジーンさんのことは名前で呼ぶのに、私だけ呼ばれたことないんですー!」
必死で訴えながら旦那様の腕をユサユサと揺さぶると、彼はぐっと言葉を詰まらせる。
しばし黙り込んだ後で、お前こそ、と呻くように応じた。
「お前こそ……ヴィンスの事は名で呼ぶくせに、俺の名を呼んだ事は無いだろうっ」
「…………」
たーしーかーにーっ!!
こういうの、何て言うんだったっけ?
青天の霹靂。じゃなくて、人の振り見て我が振り直せ?
いや違う、この格言じゃない。
とにかく。
名前を呼んで欲しいなら、まず自分から呼ぶべきだった!
私は心から反省し、旦那様の腕を放して深呼吸する。旦那様にずいっと近寄り、綺麗な碧眼の瞳を覗き込んだ。
「……シリル様」
そっと呟くように、出会って初めてその名を声に出す。
旦那様の、湖面を思わせる瞳にさざ波が立った。
旦那様は躊躇うように口を開きかけ、何も言わずに唇を引き結ぶ。同じ動作を彼が何度も繰り返す間、私は辛抱強く待ち続けた。
そうしてやっと、真剣な表情の旦那様が言葉を発する。
「――ミ」
み?
続く言葉はもちろんアだよね!とわくわくしていると、不意に粘着質な視線を感じた。一心に見つめ合っていた私と旦那様は、勢いよく視線の主を振り返る。
にやにやと笑み崩れているヴィンスさんだった。
ヴィンスさんははっとしたように顔を引き締め、私達に向かってひらひらと手を振る。
「あぁら、いいのよアタシのことは気にしないで。さっ、続き続き!」
「…………」
や、死ぬほど気になるんですけど?
私が微妙な顔をしていると、旦那様が椅子を蹴倒して立ち上がった。
「俺は今から魔法士団に戻る。事務処理があるからな」
えっ? えっ?
混乱する私を放置して、旦那様は乱暴にヴィンスさんの肩を掴む。
「お前もだ、ヴィンス。――そもそも、まだ仕事中だろう。なぜ抜けてきた?」
「それはアンタもでしょーがっ。通過の町から帰還した連中に、アンタが一度帰宅したって聞いて焦ったのよ! ……素知らぬ顔でウソをつくなんて器用な真似、ミアには不可能だってことに気が付いたから……」
ヴィンスさんが遠い目をする。
……うう。返す言葉もないです……。
「っていうか、今から戻ったところで、あと一、二時間しかないじゃない! やぁよアタシ!」
抵抗するヴィンスさんを無言で引きずり、旦那様は強引に部屋を出て行こうとした。私は慌ててその腕にしがみつく。
「シリル様っ。何か忘れてないですか!?」
ジト目で見上げると、旦那様はわざとらしく咳払いした。
駄目です、誤魔化されてあげません。
払うもの払っていただかないうちは、絶対に逃がしませんから!
もはや気分は完全に借金取りである。
「そうよぉ、シリル。可愛い嫁に、何か言うことあるわよねぇ?」
またもニヤニヤ笑うヴィンスさんに、旦那様はすぅっと無表情になった。
電光石火の早業でヴィンスさんのほっぺたをつねり上げる。ヴィンスさんは、激しく両手を振って悲鳴を上げた。
「いひゃひゃひゃっ!? ひひょひ、ひゃへーひゃひひょーひょひょひょっ」
「黙れ。何が家庭内暴力だ」
「ひひゃっ! ひょひょひょひょひょひょひょへへひょーひゃいっ!」
「なんてっ!?」
ヴィンスさんが私に視線を移し、何やら訴えているのはわかったけれど、その内容はちんぷんかんぷんだ。思わず盛大に突っ込んでしまった。
……ていうか旦那様、さっきのよく理解できたな。
感心して立ち尽くしていると、旦那様がしがみつく私からするりと腕を引き抜いた。ヴィンスさんを部屋の外に放り出し、いかめしい顔で私を見下ろす。
「見送りはいい。夕食までには戻る」
「……はぁい。行ってらっしゃい、旦那様」
……思わず嫌味を言ってしまった。
気まずさにそっぽを向くけれど、旦那様は私のことなど気にした風もなく、さっさと踵を返した。
「行ってくる。――ミア」
告げられた言葉にはっと顔を上げた瞬間、音を立てて扉が閉まる。
私はしばらく茫然と扉を見つめ、それからぶはっと噴き出した。
お腹の底から、次から次へと笑いがこみ上げてくる。笑いすぎて涙すらにじんできた。
(……うん。次の目標は、目を見て呼んでもらうことかな!)
クスクス笑って心に決める。
どうやら、人間の欲望とは限りないものらしい。
一回目「いたたたっ!? ひどい、家庭内暴力よっ」
二回目「ミアっ! この男をとめてちょうだいっ!」




