第26話 罪悪感が襲うのです!
翌日、午後。
旦那様が戻られたとメイドさんから告げられ、私はコクリと唾を飲み込んだ。出迎えるため、意を決して自室から出る。
玄関へ向かおうとしたら、ちょうど旦那様がこちらに歩いてくるところだった。執事のジルさんを伴い、なぜか二人そろって難しい顔をしている。
「――おっ、お帰りなさい旦那様! 怪我とかしてないですか? 通過の町は大丈夫でしたかっ?」
笑顔を作って立て続けに尋ねると、旦那様は「ああ」と短く答えるだけで、どことなくうわの空な様子だった。
そっと手を伸ばし私の額に触れる。深かった眉間のシワが、少しだけ緩んだ。
「……熱は、無いようだな」
……熱?
きょとんとしていると、ジルさんが安堵したように微笑んだ。
「左様でございましたか。――よろしゅうございました。奥方様が食欲があられないようでしたので」
ジルさんの言葉に戸惑ってしまう。
朝から食欲がなかったのは本当だけれど、それがバレるはずはない。
なぜなら。
「……私、ちゃんと全部食べましたよ?」
人がせっかく作ってくれたごはんを残すなど、罰当たりな事はできない。
いつでも完食、それが私のモットーなのだ。
首を傾げる私に、ジルさんがカッと目を見開いた。
「いいえ、いいえ! 奥方様がお代わりなさらないなど、当屋敷に来てくださってから初めての事でございます! 使用人一同、ご心配申し上げておりました!!」
「…………」
もしかしなくても、普段の私って食べすぎですか?
遠い目をしていると、旦那様が私の肩を抱いて部屋へとうながした。
慌ててぎくしゃくと足を動かし、彼の部屋に二人で入る。
……怪しすぎたのか、隣の旦那様からビシバシ視線を感じる……。
顔を上げられないでいると、旦那様が私の腕を引き、いつも通り二人並んでベッドに腰掛けた。
「……『通過の町』は問題無い。魔獣は一匹だけだったし、既に駆除も完了した」
「ありがとう、ございます……」
静かに告げられ、ぎこちなく頭を下げる。
旦那様は無言で私を見やり、しばらくして懐から何かを取り出した。
「町長の娘から、お前宛ての手紙を預かった。返事を書いてやると良い」
「…………」
ローズからの手紙。
普段の私なら、飛び上がるほど喜ぶのだろうけど。
今は、微笑み返すだけで精一杯だった。
のろのろと手紙を受け取る私を、旦那様がじっと見つめる。
不意に手を伸ばされ、指で顎をすくわれた。眉根を寄せた旦那様に、真正面から顔を覗き込まれる。
「……えと、旦那様……?」
だらだらだら。
冷や汗が出てきて、目線は自然と斜め上に行ってしまう。後ろめたくて、旦那様の顔を見ていられない。
旦那様はそんな私をますます怪しんだようで、すうっと視線を鋭くした。
「――何を隠している」
断定形で問われ、私はビシリと固まった。
はくはくと口を開けるけれど、言葉が一切出てこない。
(どどどど、どうしよう……っ)
リオ君の魔力を受け取った事を謝りたい。
でも、契約と世界平和を守るため、嫌でも嘘をつかねばならない。
「……別に。何、も……。隠してない、です」
「嘘をつけ」
即座に否定され、ひゅっと息を呑む。
旦那様がさらに距離を縮めてきたので、私はただ碧眼の瞳を見返すことしか出来なくなった。
「――答えろ」
地を這うような低い声で問われ、私は誤魔化そうと口を開きかけ――
(……ああ、駄目だ……)
胸がぎゅっと苦しくなる。
ヴィンスさんとの約束を、破ってしまうことになるけれど。
誤魔化すためにはまた嘘をつかなければならない。もうこれ以上、嘘を重ねることは出来なかった。
決心した途端、条件反射のように涙があふれてくる。みっともなくボロボロと泣きながら、必死で言葉を絞り出した。
「……ごめんなさい、旦那様……。私……私、契約違反しました……っ。――浮気、しちゃったんです……!」
旦那様の顔を見ていられなくて、逃げるように目を閉じる。頬をつたう涙がポタポタ落ちるのがわかった。
…………
…………
…………?
旦那様はなぜか一言も発しない。沈黙を不審に思って、おずおずと目を開けた。
てっきり強制クーラーが発動すると思ったのに。
「――って旦那様ぁっ!?」
旦那様は凍りついたように動きを止めていた。
なまじ美形で無表情な分、こうしていると等身大の人形にしか見えない。血の気も完全に引いているし。
ビックリしすぎて涙が止まった。私は顎から旦那様の指をはずし、ゆさゆさと彼を揺さぶる。
「だーんーなーさーまーっ!」
「…………」
駄目だぁ、完全にフリーズしてしまったぁ!
こうなったら、強制的に電源を落とすしかっ。電源ボタンはどこですかっ?
立ち上がって旦那様の背中や後頭部をさすってみると、旦那様がビクリと身じろぎした。おお、再起動成功!?
座ったままの旦那様が、ギギギギと首だけ動かし私を見た。
「……浮、気……?」
固い声でカクカクと呟かれ、私は胸をなでおろす。
やっと言葉を発してくれて安心した。
浮気してしまって申し訳ない。
相反する感情を持て余しながら、私は深々と頭を下げた。
「はいっ。……旦那様以外の人の、魔力をもらってしまいました!」
「……なんだと?」
呆けたように口を開ける旦那様を不審に思いながら、私は背筋を伸ばしてはきはきと繰り返す。
「旦那様以外の人の、魔力をもらいましたっ。魔力はいつも通りすぐ消えちゃったけど、本当にごめんなさい!!」
「…………」
旦那様は再び固まった後、がっくりとうなだれてしまった。
そんな彼をおろおろと眺めていると、旦那様は不意に顔を上げた。腕を強く引かれ、ベッドの上に押し倒されてしまう。
「わわっ……?」
「他には。……魔力を受け取った以外に、何かしたのか?」
衝撃に一瞬閉じていた目を開くと、旦那様が私に覆いかぶさっていた。ギシリとベッドが軋む。
至近距離から顔を覗き込まれ、私はぽかんと彼を見上げた。
「ほか……? 焼き芋、もらいました。それで全部、かな」
「…………」
旦那様は無表情に私を見つめると、脱力したように私の上に倒れ込んだ。って重っ!?
「旦那様っ? 大丈夫ですか、しっかりしてくださいっ」
旦那様の重みで起き上がる事のできない私は、バンバンと彼の背中を叩く。それでも無反応なので、今度はゆっくりさすってみた。
何度も背中を撫でるうち、少しずつ旦那様の体が弛緩してきた気がする。
なんだかほっとして、包み込まれて温かくて。
背中を撫でながら、私もそっと目をつぶる。小さなあくびが出たところで、突然ノックもなしに扉が開け放たれた。
蒼白な顔のヴィンスさんが、転がるように駆け込んでくる。
「――ミア、無事ッ!?」
「……あ。ヴィンスさ……」
彼の名を呼んだ瞬間、あくびの反動でポロリと涙が落ちた。
ヴィンスさんはひゅっと息を呑み、ワナワナと震え出す。白かった顔色が真っ赤に変わり、般若の形相でカッと口を開いた。
「このっ……このっ……ド変態ムッツリ破廉恥サイテー男がぁぁぁぁぁッ!! 今すぐミアから離れなさーーーいッ!!!」




