第22話 この症状には覚えがあります!
記念すべき初仕事は、旅行から戻って二日後のことだった。
張り切って朝の身支度を終え、旦那様と共に馬車へと乗り込む。
私を王立学院へ送ってから旦那様も出勤するそうなので、いつもより時間が早くなってしまった。「眠くないですか?」と尋ねると、旦那様は「ああ」と静かに頷く。
「よかったぁ。最近、顔色良くなりましたよね」
「……お前が居るからな」
そっかそっか。
軽く目を細めて答える旦那様に、嬉しくなって頬が緩む。
魔力ゼロ体質でそれなりに苦労してきたけれど、そのお陰で今、誰かの――旦那様の役に立てている。
幸せな気分のまま王立学院に到着し、旦那様と二人で立派な正門をくぐった。
城と見紛うほど巨大な建物を見て、私はぽかんと口を開ける。
「すっごく大きな学校ですね!」
「初等科から高等科まで同じ建物だからな。大学だけ離れた場所にある。――こちらだ」
敷地内をずんずん進み、古びた赤レンガの建物に辿り着く。
旦那様は勝手知ったる様子で、案内も乞わずに中へと入った。三階に上がって廊下を突き進み、やっと足を止める。
「ここだ」
短く告げて、扉をノックした。
「…………」
返事がない。
廊下にしんとした静寂が満ちる。
「……早すぎましたかね?」
心配する私に、旦那様は「いや」とかぶりを振った。こぶしを握り締め、今度は殴りつけるように扉を連打する。えええっ?
ガラガッシャン、と物が倒れるような音が聞こえ、部屋の中から勢いよく扉が開いた。旦那様が素早く私を後ろに引き寄せる。
「――はいはいっ! ごめんなさい起きてますっ!!」
砂色の短髪をぴょんぴょんハネさせた女の人が、転がり出るようにして迎えてくれた。
呆気にとられて彼女を見返すと、口元によだれの跡がついている。
「……ジーン。お前、また大学に泊まり込んだのか」
旦那様が呆れたように眉をひそめた。
……って。
ジーンさんって……女の人ぉ!?
***
「ごめんごめん。改めまして、ジーン・ハイドです。よろしくミアちゃん!」
顔を洗ってきたジーンさんが、てへへと照れ笑いしながら挨拶してくれた。急いで私も頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いしますっ」
「やー、助かるわぁ。ご覧の通りの惨状だから」
「…………」
確かに。
それなりの広さがある室内には、ところ狭しと本が積まれ、書類があふれ、ホコリが舞い踊っていた。……うん、まずは窓を開けようか。
「でもさ、ホントにいいの? 王族の奥方様に掃除なんかさせちゃって」
「構わん。お前のところならば安心だ。……ただし、目は離さないでくれ」
旦那様の言葉に、ジーンさんは目を丸くした。
瞳にからかうような色を浮かべ、さもおかしそうに笑う。
「うぅっわ、過保護ぉ~。冷酷非情と名高い魔法士団長サマは、一体どこへ消えてしまったのかしらー?」
「昼ごろ屋敷から迎えが来る。それまでこの部屋から出ないよう」
ジーンさんを完璧に無視して、旦那様が私に声をかける。そのまま部屋を出ていこうとして、怪訝そうに私を振り返った。
「……どうした」
ハッと我に返り、慌てて笑顔を作る。いけない、いけない。
「なんでもないです! 旦那様もお仕事がんばってくださいね!」
「…………」
探るような目で私を見る旦那様を、にこにこ笑って見上げた。ややあって、旦那様はやっと踵を返す。
「ああ。……行ってくる」
手を振って彼を送り出し、扉がバタンと閉じた瞬間、ためていた息をぷしゅうと吐いた。
……なんか。お腹の底が気持ち悪い、ような。
朝ごはん……食べすぎたかな。
「――ミアちゃん?」
気が付けば、私の背中は完全に丸まっていた。
心配そうに私を覗き込むジーンさんにぎこちなく笑い返し、しゃんと背筋を伸ばす。
旦那様に無理を言って見つけてもらったお仕事だ。
食べすぎになど、負けている場合ではなーい!
決意も新たに、私はきりりとエプロンをつけた。
今日は使用人時代の服を着てきたから、いくら汚しても大丈夫!
「じゃ、早速お掃除開始しますね! まずは本棚の上からハタキをかけよっかな。……かなりホコリがたつけど、大丈夫ですか?」
「大丈夫、大丈夫。あたしはホコリと共に生きる女だから! むしろオトモダチ!」
「……住み分けしましょ?」
苦笑いしながら突っ込んで、部屋の窓をバタバタと開けてまわる。
黙々と掃除をしていると、ふと視線を感じた。
振り返れば、ジーンさんが一心に私を見つめている。
「……えぇと……?」
戸惑いながら見返す私に気が付いたのか、ジーンさんは誤魔化すように姿勢を正した。その拍子に机の上の書籍をドサドサ落とす。
「わわわわっ!? ……ごめぇん、ミアちゃん。あのシリルが電撃結婚したものだから、あたしってば興味津々で~」
てへっと舌を出すジーンさんに、私は金縛りにあったように動けなくなった。
(……シリル……)
また、お腹の奥が気持ち悪くなる。
しゃがみ込みそうになるのをなんとかこらえて、ぎゅっと目を閉じうつむいた。
「――ミアちゃんっ!? やっぱ具合い悪いの!?」
「……ねえ、君。どうしたの?」
突然、静かな声が割って入った。
そっと目を開けると、砂色の髪の少年が、眉根を寄せて私の顔を覗き込んでいる。ふわりと良い香りがして、魅入られたように彼の瞳を見返した。
「うわわ、リオ! 乙女の部屋に入る時は、ちゃんとノックしなさいよ!」
「したよ、何度も。それから乙女じゃなくて教師ね。もしくは従姉」
しれっと言い放ち、少年は私に向かって柔らかく微笑んだ。サラサラの髪が少年の動きに合わせて揺れる。
ああ、と彼は手を打った。
「もしかして、朝ごはん食べてないとか? ――それなら、よかったらコレどうぞ」
手に持っている紙袋から何かを取り出す。
パカッと割って半分手渡してくれたそれは、黄金色の――……
「……焼き芋?」
ほかほか湯気が立って、とっても美味しそう。
……じゃなくて!
良い香りの正体、コレでしたかっ。




