第18話 遠足といえばコレでしょう!
別荘に戻ると、再び顔面蒼白となったホワイト夫妻が出迎えてくれた。
ぎくしゃくと首を動かして、旦那様と帽子の女の子とを見比べる。
「ひ、姫様っ?」
あ、やっぱり。
身なりが良いし、何よりここは王族の別荘だもんね。
人生で初めて会うお姫様をよく見たいのだけれど、大きな帽子に隠されて、彼女の表情は窺えない。
残念に思っていると、お姫様が進み出て優雅に会釈した。
「……ごきげんよう。またお邪魔しに、参りましたの……」
どんよりと暗い声ながら、しっかりと挨拶する。うぅん、小さいのに立派だなぁ。
感心して眺めている私を無言で引っ張って、旦那様はまっすぐ別荘に入ろうとする。私は慌てて足を踏ん張った。
「待って待って旦那様!」
旦那様は怪訝そうに振り返り、意外とあっさり足を止めてくれた。ほっとしてホワイト夫妻に視線を移す。
「ただいま戻りました! ……あのぅ、厨房をお借りしてもいいですか?」
お姫様が何故ここに、とか聞きたいことはいろいろあるけれど。
何よりもまず、空腹が限界です。
己の欲望に忠実な私にドン引きしたのか、ホワイト夫妻とお姫様はあんぐりと口を開けた。
色白美人さんだけは、面白そうに目を瞬かせる。
私はてへへと頭を掻いた。
「……お前が作るのか」
旦那様からぼそりと問いかけられ、私は大きく頷いた。
「はいっ。普段はほとんど料理しないんですけどね。でも、ローズから『独創的な味ね』って褒められたこともあるんですよー」
「…………」
旦那様が思いっきり眉をひそめる。……どうしました?
「あ、あの奥様。昼食でしたら、私がご用意いたしますので……」
おずおずと口を挟むホワイト夫人に、笑ってかぶりを振った。
ありがたい申し出だけれど、ここは緑の美しい別荘地。ならば、やるべき事はただひとつ!
「せっかくだから外で食べたいなぁと思って。パンとかチーズとかハムとか分けてもらえたら、適当に切って持って行きますから」
なぜかお姫様がピクリと反応した。
肩を震わせ、「外で、食べる……?」と小さく呟く。その様子に首を傾げ、はたと思い至って手を打った。
「あっ! 良かったら、お姫様達もご一緒にどうですか? 外で食べるごはんは美味しいですよっ」
にこにこ笑いながら腰をかがめ、お姫様の顔を覗き込む。彼女は息を呑んで私を見返し、カタカタと震え出した。
「……でも……でも……っ」
目線を合わせたことで、やっとお姫様の顔がはっきり見える。
ふわふわとカールした蜂蜜色の髪に、美しい碧眼の瞳。笑ってくれたらすごく可愛いに違いないのに、今はその大きな瞳を不安げに揺らしている。
今にも涙がこぼれそうなその様子を見て、やっと私は自分の浅はかさに気付く。いけないいけない、相手はやんごとなき身分のおかたでしたっ。
慌てて姿勢を正し、勢いよく頭を下げる。
「ご、ごめんなさいっ。私ってば失礼なこと――」
「違うのっ! わたしは……っ」
お姫様は叫ぶように言った後、はっと口を押さえた。指の隙間から、ふえ、と声があふれ出す。両目からはぼろぼろと涙をこぼれさせた。
「……う、わあああああんっ!!」
えええええーっ!?
私、また何かやっちゃいましたぁーーーっ!?
***
「ひっく……。ごめん、なさい……」
「いえいえ、こちらこそっ。――はい、こちらミルクジャムをたっぷり塗ってみましたぁっ! こっちはハムとチーズ! 安定の美味しさですよっ」
ホワイト夫人が青くなりながらバスケットに詰めてくれた、ピクニック料理一式。
ジャムや具材が色々あるので、組み合わせは無限大だ。その他にも果物や瓶詰めのピクルス、オレンジジュースにぶどう酒もある。……私はお酒は駄目かな、やっぱり?
別荘から少しだけ離れた木陰に腰を下ろし、やっと涙の止まったお姫様の世話を焼く。
木に寄りかかって座る旦那様も、じっとお姫様を見つめていた。
「良かったですわね、姫様。甘いもの、お好きですものね?」
プラチナブロンドの色白美人さんが、おっとりと微笑む。
そういえば、まだきちんと挨拶できていない。私はペコリと二人に頭を下げた。
「あの、私はミアっていいます。で、こちらが旦那様の――」
「……シリル叔父様」
お姫様が固い表情で、呟くように言う。
しまった。
叔父さんなんだから、旦那様の紹介はいらなかったよね。
眉を下げる私を、お姫様が潤んだ瞳で見つめる。
「わたし……わたくし……アビゲイル、と申します。それから、こちらが……」
お姫様の視線を受けて、色白美人さんがふわりと微笑んだ。
「わたくしは姫様の側仕えを務めております、エマ・ライリーと申しますわ。どうぞ、お見知りおきくださいませ」
うぅん、ひと目見たときから思っていたけれど。
(エマさん、綺麗~!)
同性でもうっとりしてしまうくらいの美女である。雰囲気も上品というか、優雅というか。
にへらと笑み崩れる私とは対照的に、暗い表情のお姫様がパンを受け取る。大きな帽子をさらに目深に被り、うつむくようにして口に運んだ。
「……お姫様? 良かったら、帽子は取りませんか?」
食べにくいだろうと思って声をかけたのだが、彼女は激しく首を横に振った。
スカートの上に、またもポタポタと涙が落ちる。わわっ!?
「駄目、なの……。日に、焼けてしまうから……。また、バカにされちゃう……っ。お父様からも叱られるしっ」
「ええっ!?」
慌ててエマさんに目をやると、エマさんは相変わらずふんわりと微笑んでいる。人差し指を頬に当て、可愛らしく小首を傾げた。
「姫様は、幼いころ気管支が弱くていらっしゃいましたの。それで、お母上である王妃様の生国――ルーナ公国で、長いこと療養されていたのですわ」
「ルーナ公国……」
……って、確か隣国?
旦那様を振り返って助けを求めると、旦那様は淡々と口を開いた。
「ルーナ公国は緑の楽園と名高い、自然に恵まれた平和な国だ。領土は狭いが農耕と酪農が盛んで、食料自給率が高い」
すごーい、旦那様てば生き字引っ!
そして、なんて美味しそうな国でしょう!
目を輝かせる私に、お姫様は涙をぬぐって嬉しそうにはにかんだ。
「すごく、いいところなの……。空気がきれいで、みんな仲がよくて……」
「ルーナ公国はおおらかなお国柄なんですの。身分関係なく交流しますし、特に子供などは、貴族であろうと泥だらけになって平民と遊んでおりますわね」
エマさんが、お姫様の言葉を引き取って説明してくれる。
私は思わず旦那様と顔を見合わせた。
お姫様の苦悩の理由がわかった気がする。
「そっかぁ……。この国だと、そんな事できない……ですよね?」
困り顔で同意を求めると、旦那様は無表情に頷いた。
「無理だな。異端扱いされるだろう」
旦那様の言葉に、お姫様は顔を歪ませる。
うつむく彼女の背中を優しく撫でて、エマさんがにっこりと微笑んだ。
「ええ、そうなんですの。三ヶ月前にこの国に戻って以来、姫様は貴族の生ゴミ息女どもに嘲笑されておりますのよ」
「…………」
聞き間違いだろうか。
お上品なエマさんの口から、とんでもない単語が飛び出してきたような……。




