第17話 好きなものは何ですか?
緑の木々を抜けて、その建物が目に入った瞬間、思わず歓声を上げてしまった。
さっきまで感じていた疲れがいっぺんに飛んでいく。
「――すごいっ、可愛い! オレンジ色の屋根だぁ」
王家の別荘と聞いていたから、もっと豪華で大きな屋敷なのかと想像していたけれど。
実際は、木の温もりが感じられる素朴なログハウス風で、こぢんまりしていて居心地が良さそうだ。煙突付きの屋根もとても可愛らしい。
「見た目ほど中は狭くない。……俺も来るの久方ぶりだが」
ぼそりと告げられ、笑顔で旦那様を振り向いた。
「私なんかには充分広いです! もう入ってもいいんですか?」
「ああ」
はしゃぎながら足を踏み出したところで、ログハウスの中から夫婦らしき年配の男女が飛び出してきた。
二人とも顔を強ばらせており、体も小刻みに震えている。……あっちゃあ。
「かかかか閣下」
「よよよよようこそ」
頑張ってー!
心の中でエールを送っていると、二人からすがるような目で見られた。慌てて前に進み出て、ペコリとお辞儀をする。
「はじめまして、ミアっていいます! えっと、今日から一泊お世話になります!」
「ああ……。はじめまして。管理人を務めております、ホワイトと申します」
旦那さんの方が、ほっとしたように頬を緩めた。奥さんもぎこちなく微笑む。
「こちらに常駐しているのは私共だけですから、行き届かないこともあるかと思いますが……」
「構わん。入らせてもらうぞ」
氷の旦那様の言葉に、ホワイト夫妻は「ひゃいっ」と返事をして、ぎくしゃくと私達をログハウスの中に案内してくれた。
……うぅん、怖がられてるなー。
隣を歩く旦那様をチラリと見上げる。
こんな風に無闇やたらと恐れられても、腫れ物に触るように扱われても。
旦那様はいつだって、平常運転な無表情。
(……でも、本当はどう思ってるんだろ……)
私だったら、きっと傷付く。
旦那様は……悲しくないのかな。
なんとなく胸苦しい気持ちになって、そっと旦那様の腕に触れる。ビクリと肩を揺らし、驚いたような顔で振り返られた。どうやら彼の表情筋を動かすことに成功したらしい。
にぱっと笑って旦那様を見上げる。
「荷物を置いたら、湖のほとりを散歩しませんかっ」
「……ああ」
ふっと眉間のシワを和らげて答えられ、私も嬉しくなって旦那様の腕を引っ張った。
クーラーポイントを知りたいのはもちろんだけど。
――それ以上に。
感情のわかりにくい彼が、何を感じているのか知りたかった。
***
「はあぁ……。綺麗~……」
大きな湖は、まるで鏡のように周囲の風景を映し出していた。ずんずん先に行こうとする旦那様を引き止めて、湖の表面を流れる雲を、しばらく二人で飽きることなく眺める。
ぐっと身を乗り出して覗いてみると、ちらほらと魚影も見えた。……食べられるのかな?
ぐいぐいと旦那様の服の裾を引いてみる。
「釣りとかしてみます!?」
「魚は嫌いだ」
にべもなく断られた。ええ~。
むくれつつも、いい機会なのでリサーチしてみることにした。
再び湖のほとりを歩きながら、隣の旦那様を期待を込めて見上げる。気分は完全に取材記者だ。
「旦那様は、魚より肉派なんですか?」
「そもそも食に興味が無い」
「…………」
一瞬にしてインタビュー終了。
……じゃなくて、なんですとぅっ!?
私は食に興味ありまくりな人間である。
特に今世では健康を謳歌して、アイスのちょっと怪しげなフレーバーにまで手を出していた。……新味の開発好きな、アイス屋のお姉さんは元気かなぁ?
「……お前が好きなのは。ミルクジャムだろう」
躊躇いがちな旦那様の言葉に、パチクリと目を瞬かせる。
「確かに、ミルクジャムも美味しくて感動しましたけど。それだけじゃあないですよ? お肉もお魚も好きだしー、甘いもの全般大好き!」
「……そうか」
「パンも好きだし、果物も好き! 美味しいものを食べてる時が一番幸せ~。旦那様は?」
軽い問いかけのつもりだったのに、旦那様はなぜか言葉を詰まらせた。じっと私を見つめる。
「……俺は……」
早歩きだった歩調がだんだんとゆっくりになり、やがて歩みを止めてしまった。昏い目で地面を眺め、吐き捨てるように言う。
「……何が幸せだとか、好きだとか。今まで特に、考えた事は無い」
「……そっかぁ」
もしかしたら、好きなものが無いから、悲しかったり傷付いたりも無いのかな。
――それはそれで、楽なのかもしれない。
何が良いとか悪いとか、正しいとか間違っているとか。正解なんて無いのだろうし、私にそれを決めることなんてできないけれど。
(……でも……)
そっと手を伸ばし、立ち尽くしている旦那様の手を取った。
「……それなら。私がこれから、私の好きなものをたくさん報告しますねっ」
握った手を、ぶんぶんと上下に振り回す。
「その中に、旦那様の好きなものがあるかもしれないし。……えぇと、もしうるさかったら、ゴメンなさいですけど……」
「……ああ」
瞳から昏さが消えて、静かな表情で頷いてくれた。
指を絡めるようにして手を握り返され、なぜだか一気に頬が熱くなる。
挙動不審に目を泳がせている私を、旦那様が穏やかな瞳で見つめた。何か言おうとするかのように、ゆっくりと口を開く。
――――ぎゅるぎゅるぎゅるっ!
「…………」
その瞬間、とてつもなく盛大に私のお腹が鳴った。……え、今?
「……戻るか」
優しく腕を引かれ、真っ赤になりながらコクコクと頷く。
……言い訳させていただくならば。
「朝ごはん、早かったから~!」
「そうだな」
なんとなく楽しげな口調で返され、つられて私もくくっと笑ってしまった。繋いだ手は放さずに、大きく腕を振って歩く。
来た道を戻り、別荘の近くまで辿り着いたところでそれに気付いた。
「ありゃ? ……馬車?」
私達が乗って来たのより、少し大きめの馬車が停まっていた。
こげ茶色の馬車は一見地味だけれど、繊細な細工がほどこされていて、とってもお高そう。まじまじと観察していると、御者さんが私達に気付いてぎょっとした顔をする。
「――どうしました? 到着したのでしょう?」
馬車の中から涼やかな声が聞こえ、スカートをなびかせた女の人が軽い足取りで降りてきた。
プラチナブロンドの髪をふんわり結った、抜けるように色の白い美人さんだ。思わず見惚れていると、彼女は「あらまぁ」と口に手を当てて私達を見た。
「どうしたの、エマ?」
今度は小さな女の子が出て来る。
小さな体には不釣り合いな、大きな大きな帽子を被っている。
馬車から降りた瞬間、くるりと私達の方を向き――
ピクリと口元を引きつらせた。
「……き」
「き?」
首を傾げて彼女のセリフを繰り返すと、彼女はすうぅと息を吸い込む。
「――キャアアアアアアアアッ!!!」
……えぇと。
うちの旦那様、黒光りするアノ虫じゃないよ……?




