第15話 新たな試練ってヤツですか?
契約結婚開始から一週間。
私は徐々にこの屋敷での生活に慣れ始めていた。
朝起きて、旦那様と一緒に美味しい朝ごはん。
旦那様を見送って、昼は美味しい昼ごはん。
そして三時に美味しいおやつ、夜は旦那様が帰ってきてから美味しい夜ごはん――……。
……いや、食べてばっかだな私!?
このままでは体重増加待ったなしである。
これではイカンと、危機感を感じる次第なのであります。
「――と、いうわけで。何かお仕事がしたいですっ」
夜、旦那様の部屋での『わんこそばタイム』にて。
私は必死の形相で旦那様に詰め寄った。
ちなみに『わんこそばタイム』とは私が勝手に命名した。
旦那様が手の平に宿した魔力を私に移す、まるで何度もおかわりを繰り返しているようなその仕草から、わんこそばを連想してしまったのだ。
……いえ、わんこそばを食べたことはありませんけど。
生前、一度でいいから食べてみたかったなぁ。和食も心底恋しいなぁ。じゅるり。
……ハッ!?
駄目だぁ、また思考が食に走っていたぁ!
私はぶんぶんと勢いよく首を振った。
「このままじゃあ、私はとんでもないドスコイに……!」
「……どすこい?」
旦那様が眉をひそめる。
私の額にトンと人差し指を当て、激しい首振りを止めてくれた。
「……別に、好きな物を好きなだけ食べればいいだろう。仕事など必要無い」
「駄目ですっ。甘やかし厳禁っ。――それに!」
私はぴっと指を立て、しかつめらしく旦那様を見上げた。
「食べ過ぎだって万病のもと! 健康のため、適度な運動は大事なんです!」
せっかく今世では健康な身体に恵まれたというのに。
自堕落な生活をした挙げ句、病気になったら目も当てられない。
重々しい私の言葉に、旦那様ははっとしたように「万病……」と呟く。ややあって、険しい顔つきで頷いた。
「……わかった。何か考えてみる」
おおっ!
さすが自身が体調不良に悩まされてるだけあって、「健康」というワードに敏感ですね!
あまり表情が変化しないからわかりにくいが、内面はやっぱり優しいひとなのだ。嬉しくなって、にへらと頬が緩む。
ほのぼのとした空気のまま、穏やかな夜は更けていった。
***
「まあ、確かにアンタは暇かもねぇ。普通、貴族の奥方ってのは、パーティだのお茶会だの社交で忙しいもんだけど」
今日は旦那様だけお仕事で、ヴィンスさんはお休みらしい。
昼過ぎに屋敷に遊びに来てくれたので、庭で優雅なおやつタイムの真っ最中だ。
庭には綺麗に手入れされた花が咲き乱れ、そよそよ吹く風が気持ちいい。暑い夏が過ぎ去った今が、一年で一番過ごしやすい季節かもしれない。
「社交。……私もするべきなのかなぁ?」
紅茶のカップを口元に運びかけた手を止めて、私はげんなりと呟いた。
貴族の奥様方に交じって、オホホとうまく立ち回れる気がしない。……うん、私には絶対に無理だ。
情けない顔をする私を見て、ヴィンスさんは楽しげな笑い声を上げた。
「心配しなくても、誰もアンタを招待したりなんかしないわよ。あの氷の魔法士団長の奥様だもの。何か粗相があったら恐ろしいことになる――皆そう思ってるに違いないわ」
「……ヴィンスさん。確か、私は社交界でいじめられるって、前に脅してきませんでした?」
恨めしげに問うと、「あぁら、そうだったかしらぁ?」とヴィンスさんはすっとぼけた。こーの確信犯めぇ。
「ま、アタシもアンタは仕事なんかしなくて良いと思うけどね。せいぜいシリルに貢がせて、太平楽に過ごしてりゃいいのよ」
ヴィンスさんのあんまりな発言に、私はむっと顔をしかめる。
「そういうわけにはいきませんよっ。……私、旦那様に迷惑かけたくないもん」
旦那様は私を思いやってくれているのに。
執事のジルさんの話では、以前の旦那様は毎日夜遅くまで働いて、屋敷には寝に帰ってくるだけの生活だったらしい。
今はきちんと夕食前には帰って来てくれる。きっと慣れない私を気遣ってくれているのだろう。
身振り手振り熱弁する私に、ヴィンスさんは思いっきり失笑する。
「シリルが誰に対しても優しいとか、ありもしない幻想を抱くのは止めておきなさい。そもそも、アンタだって脅されて嫁になったわけでしょ?」
「それはまあ……そうですけど……」
勢いをなくして言葉に詰まった。
ヴィンスさんはテーブルに頬杖を付き、そんな私を優しいまなざしで見つめる。
「……ま、シリルのことも仕事のことも置いといて。アンタには他に心を砕くべきことがあるわよ? 差し当たっては、アビゲイル王女殿下の誕生日パーティ……。それがアンタの社交デビューになるのねぇ……」
「…………」
ぅええええええっ!?
なにソレ初耳ぃーーーっ!!
「お、王女様の誕生日パーティ!? だって、私を招待する人なんか居ないって、さっき……!」
「全ての社交から逃れられるわけないでしょ。ちなみに、この間注文したドレスはそれ用ね」
なんと!
ヴィンスさんに見立ててもらい、普段着とお出かけ用の服を注文したのはつい先日の話。
ヴィンスさんが次から次へと決めてしまうものだから、側で見ているだけの私はハラハラしどおしだった。そんなに沢山いらないと抵抗したけれど、「シリルに恥をかかせる気!?」という言葉には黙り込むしかなかった。
その中で、確かに光沢のある布を注文していた。
パーティ用のドレスを作るのだと言っていたような気もするが、疲労困憊しすぎて、今の今まで忘れていたのだ。
「どどど、どうしよう……っ」
大パニックに陥る私を見て、ヴィンスさんは耐えきれなくなったようにプッと噴き出した。
「安心なさい。まだパーティまで一ヶ月近くあるし……夜会じゃなくてガーデンパーティらしいから、そこまで肩肘張った会じゃないわ」
そうなのか……。
ガーデンパーティなるものに参加したことはないけれど、こんな風に庭で歓談するぐらいなら私にも出来るかもしれない。
「アビゲイル王女殿下は来月九歳になられるの。もっと幼い頃は咳の発作が酷くて転地療養されていたけれど、今は元気におなりだそうよ。それもあって、王宮の庭園でのんびりしたパーティを開くことにされたんじゃないかしら」
ヴィンスさんの言葉に大きく頷いた。
子供の世話は孤児院で慣れているし、女子同士仲良くなれるかもしれない。
「――わかりました! 私、頑張りますねっ」
ヴィンスさんはニヤリと笑う。
「良いお返事ねぇ。……じゃ、さっそく頑張ってもらおうかしら」
……へ?
きょとんとする私を尻目に、ヴィンスさんは意気揚々と立ち上がった。
胸元から取り出した伊達らしき眼鏡をかけて、真っ白な手袋をはめる。ビシッと気取ったポーズを取った。
「――さあ、ヴィンセント様のマナー講座を開始するわよぉ! 挨拶、お辞儀、食事の仕方……は食べなきゃいいから飛ばすとして」
「いや食べますよっ!?」
聞き捨てならない台詞に全力で突っ込むと、ヴィンスさんからフンと鼻で笑われた。
「どうせドレスが苦しくて食べらんないわよ。アンタはうふふと上品に微笑んで、ひたすらお茶だけ飲んどきなさい」
そんな殺生なぁぁぁっ!?
――こうして。
せっかくの気持ちの良い午後は、怒涛のマナー講座で過ぎ去ったのであった。
ヴィンスさんはとんだ鬼教官であったとだけ、そっと付け加えておく……。




