第12話 局所的に冬になるでしょう!
「くうぅ、温まるぅ~」
あかあかと燃える暖炉の前、毛布にくるまってショウガ入り紅茶をずずずと啜る。
まだ暖炉には早い季節だと思うんだけどなー。この屋敷だけ一足先に冬が来ちゃったなー。
「……大丈夫か」
背後から平坦な声でぼそりと問いかけられ、揺り椅子に座ったままで旦那様を振り返った。ゆらゆらした揺れ心地がとっても素敵!
「はいっ、生き返りましたー! ……旦那様こそ大丈夫ですか? 冷え性なんですよね?」
確か、初めて会ったとき副官さんがそう言っていたような。
旦那様は私の言葉に眉根を寄せて、ぷいと顔をそむけた。
「俺は、慣れてる」
むっつりと答える。
……ありゃ。なんか怒らせちゃった?
上目遣いに様子を窺っていると、ノックと共に扉が開いた。鼻の頭を赤くした副官さんが入ってくる。
「あ~、さぶさぶ。陛下は無事お帰りになられたわよ。……シリル、アタシ達もそろそろ出勤しない? もう完っ全に遅刻だわ」
「…………」
旦那様が無言で副官さんを見やった。
副官さんはヒッと小さく悲鳴を上げて後ずさる。
「な、なに怒ってんのよ?」
あ、やっぱり怒ってるんだ。
旦那様の感情を正しく読み取れたのが嬉しくて、私はでへへとだらしなく笑み崩れた。出会ってたった二日目と考えると、なかなか上々な首尾と言えるのではなかろうか。
「……そして小娘はなに笑ってんのよッ」
「えへへ、なんでもないです~」
上機嫌でまた紅茶を一口飲む。
旦那様が無言で近付いてきて、私の椅子の背もたれに手を置いた。ゆらゆら揺れていた椅子の動きが止まってしまう。
「――落ち着いたのなら、今すぐ手続きに向かうぞ」
……手続き?
「ちょ、シリル。式はどうすんのよ。まさか誓約書だけ提出するつもり?」
「そうだ。式など必要無い」
旦那様の冷たい言葉に、副官さんはみるみる柳眉を逆立てた。
「必要あるでしょおぉッ!? ――ちょっと小娘! ちゃんと主張しないと、このままじゃ式ナシになっちゃうわよ!?」
瞳を爛々と燃え立たせ、険しい顔で私に噛み付く。
ええと……?
この国では、国教会に婚姻の誓約書を提出することで結婚が成立する。結婚式を挙げる際に提出するのがセオリーである……が。
「私も、別に。――誓約書だけでいいんじゃないですか?」
あっけらかんと答えると、副官さんはあんぐりと口を開けた。……そんな驚く?
名目だけの結婚に、華々しい式は必要ないだろう。
それに式を挙げるとしたら、旦那様側の出席者だけとんでもなく豪華になってしまう。身分差を考えると、式なんてやめておいた方が無難だと思う。
「そういう事だ。ヴィンスは先に出勤しておけ」
「えっ……えっ……?」
何やら副官さんが目を白黒させているが、私も勢いよく立ち上がった。
くるまっていた毛布を丁寧に折り畳み、揺り椅子の上にふわりと置いておく。笑顔で旦那様を見上げた。
「準備完了ですー! 行きましょ、旦那様!」
「ああ」
パッと駆け寄ると、旦那様は無表情ながらもなんとなく満足そうな様子で頷いた。そのまま二人で部屋を出ようとすると――
「待っちなさいよぉーーーっ!? せめて小娘は着替えなさいっ。そんなみすぼらしい格好で婚姻誓約書を提出するだなんて、他の誰が許してもこのアタシが許さないッ!!」
扉の前に回り込み、鼻息荒く言い放つ。
ええー、誓約書提出に服装規定があるんですかぁ?
それにみすぼらしいって……一般庶民は皆こんなものなんですよぅ。
ぷうとむくれる私など知らぬげに、副官さんは頬を上気させ計画を立て始めた。
「この家には若い女物の服なんか無いから、すぐに商会を呼びましょう! 髪とメイクはアタシがやるから問題ないわっ」
よぉし、急がなくっちゃあ!
意気揚々と言い置くと、弾むような足取りで立ち去ってしまった。
……えっと、お仕事は?
胸の中で呟く私を、旦那様が静かな瞳で見下ろす。きょとんと見上げると、無言で腕を引かれ、うながすように肩を抱かれた。
「……行くぞ」
「ええっ!?」
これから洋服屋さんが来るのでは?
「待っていたら日が暮れる。あいつのことは放っておけ」
「…………」
……置いて行かれたと知った時の、怒り狂う副官さんの姿が目に浮かぶ……。
言葉に詰まる私を見て、旦那様は不機嫌そうに眉をひそめた。
「……服なら後日、いくらでも買ってやる。まずは誓約書だ」
や、別に服を欲しがってるわけじゃないんだけれど。
旦那様のあまりにきっぱりとした口調に驚き、弁解するのは止めにしてこっくりと頷いた。なんだかよくわからないけれど、よっぽど急いでいるのだろう。
そのまま二人で足早に玄関へと向かう。
「――旦那様。馬車の支度が整っております」
玄関で待ち構えていたジルさんが、流れるように扉を開けてくれる。
無言で頷き返すだけの旦那様に代わり、私はジルさんに大きく手を振った。
「ありがとうございますっ。行ってきまーす!」
「はい、行ってらっしゃいませ。旦那様、奥方様」
嬉しげに顔をほころばせるジルさんから見送られ、深緑色の四輪馬車に乗り込む。中は二人乗りになっていた。こういうのってクーペっていうんだっけ。
カタリと揺れて馬車が動き出す。
朝方の嵐の名残の水たまりが、陽光を反射してキラキラと輝いていた。
隣に座る旦那様をわくわくと見上げる。
「すっごく可愛い馬車ですね!」
「ああ」
「あっ、旦那様! あそこにケーキ屋さんがありますよ!」
「ああ」
「猫が寝てますー! あはは、しっぽだけぴこぴこ動かしてる~」
「ああ」
何を話しかけても「ああ」しか答えないけれど、決して機嫌が悪いわけではなさそうだ。
だから私は気にせずに、窓から見える景色を逐一実況中継する。
王都は『通過の町』からごく近いけれど、近すぎるせいか逆に今まで来る機会がなかった。目に見えるもの全てが目新しくて、隣の旦那様に報告せずにはいられない。
「はっ、お洒落なパン屋さん発見! ……一緒に孤児院で育った、フィンっていう同い年の男の子がいるんですけどね? その子、見習いパン職人なんですよー。いっつも練習で焼いたパンを差し入れてくれて、それがすごく美味しくて――」
調子に乗ってペラペラしゃべっていると、馬車の空気が急激に冷たくなった。
あれ……?
クーラーのスイッチ入れちゃったかな……?
「……あっ、旦那様! あそこの花壇のお花、とっても綺麗ですねー?」
寒さに震えながら、慌てて別の話題に変える。
すっと冷たい空気が消え去った。
……旦那様。
ワタクシ、あなたのクーラーポイントがわかりませぬぅっ!!




