第11話 人間とは日々進化、らしいです?
緊張が走る中、物音ひとつ立てずに旦那様がテーブルから離れた。
肩を怒らせている男の人に歩み寄り、静かに頭を垂れる。
「――陛下」
「…………」
へいかああああっ!?
気が付けば、給仕をしてくれていた執事さん達も全員壁際まで下がって礼をとっている。副官さんはと目をやると、彼も立ち上がって優雅にお辞儀をしていた。
えっ、どうしよう!
私も真似すればいいの!?
あわあわと立ち上がった瞬間、椅子を後方に倒してしまった。静寂に包まれた食堂で、椅子の倒れる音がけたたましく響く。
王様が顔の向きを変えぬまま、ギョロリと横目で私を見た。
(……ひぃっ!?)
怖い。怖すぎる……!
王様はゆっくりと体の向きを変え、剣呑に目を光らせて私を睨みつけた。私はといえば、呼吸すら忘れて茫然と王様の顔を見返すばかり。
うちの旦那様だって怖いけれど、お兄さんである王様はその比ではなかった。
頬骨の張ったいかめしい顔立ち、太い眉の下にはギラギラ光る三白眼、眉間に刻まれたくっきりとした縦ジワ……。
間違いない、ヤクザである……!
恐怖に怯えて固まっていると、彼は険しい顔つきのまま、ずんずんと大股で私に近付いて来た。
「――ひゃあっ!!」
反射的に悲鳴を上げてしまい、そのお陰で呪縛が解けた。
迫りくる王様から逃げるように、ダッシュでテーブルを回って旦那様の背後に駆け込む。そのまま彼の背中にしがみついて目をつぶった。
(なんまんだぶ、なんまんだぶ……!)
あれ、違うか?
こういう場合はお経じゃないんだっけ?
大混乱していると、「陛下ッ!」という副官さんの慌てたような叫び声が聞こえた。首根っこを掴まれて、旦那様から無理やり引き剥がされる。
「――こーむーすーめーッ!! アンタのせいで、陛下が傷心してしまわれたじゃないッ!!」
……へっ?
般若の形相の副官さんから至近距離で叱りつけられ、おろおろと王様に視線を戻した。
王様はがっくりと床にへたりこんでいた。己の震える手の平を茫然と見つめながら、蒼白な顔でブツブツと何事か呟いている。
「……ああ、やはり……。やはり、わたしの顔は……正視に耐えない程、恐ろしいのだな……。アビーが泣き叫ぶのも無理はない……。ああ、もうこうなったら……!」
頭巾で顔を隠すほかなかろう!!
「……はい?」
わあっと顔を覆って泣き叫ぶ王様に、私の目は点になった。
頭巾、で顔を隠す……?
「――なりません、陛下! 陛下のその威厳あふれるお顔立ち、わたくし共はとても素晴らしいと思っております! そうですよね、団長!」
副官さんが顔を引きつらせながら熱弁し、血走った目で旦那様に同意を求める。ハイと言え!と懸命に目配せしているようだ。
旦那様は副官さんとうずくまる王様を見比べると、冷めた口調で無表情に言い放つ。
「……隠したければ隠せばよろしいかと。どうぞ陛下のお好きなように」
「シーリルーッ!?」
副官さんが真っ青になる。
これ以上黙って見ていられなくて、私は床にへたり込んでいる王様に歩み寄った。膝をつき、彼の顔を覗き込む。
「あのあのっ! 失礼なことをして、大変申し訳ありませんでしたっ」
王様は泣き濡れた目で、すがるように私を見つめた。あああ、すっごい罪悪感……!
「私、生まれも育ちも庶民なもので、王様にお会いして緊張してしまっただけなんです! 決してお顔が怖かったわけじゃありません!!」
ウソだけど!
「――本当に?」
涙目でぷるぷる震える王様に、「本当です!」と自信たっぷりに頷いた。
考え込むように口をつぐんだ王様は、ややあってニタァリと微笑んだ。……ひぃっ!?
太い眉毛と三白眼を吊り上げて、口角だけを上げたその顔は、まるで数多の修羅場をくぐり抜けて来た極道のよう。
反射的にのけ反りかけた私に気が付いたのか、王様はまたしても涙をあふれさせる。駄々っ子のように頭をぶんぶんと横に振った。
「やはり怖いのではないか! ……もうよいっ、今日から顔全面を覆ってやるぅ!」
「や、それじゃあ前が見えませんよっ?」
「目の部分だけくりぬくから問題無いっ」
ソレ間違いなく強盗犯じゃないですか!
困り果てていると、背後から腕を掴まれ無理やり立たされた。ぎょっとして振り向くと、氷の旦那様が不快そうに眉根を寄せている。
「陛下。そんな事より、今すぐ我々の結婚の許しを頂きたい」
「…………」
旦那様、「そんな事」は酷くないですか?
きっと王様の心にさらなるダメージが……!
心配する私をよそに、王様の瞳に光が戻った。憤然とした様子で立ち上がる。
「――ならんっ。その娘は平民だろう! もっと相応しき家柄の令嬢を……」
「わたしに相応しいと言うなら、平民で充分なはず。……お許しを頂けますか」
「駄目だ駄目だっ」
バチバチバチ。
それからはお互い無言、一歩も引かずに睨み合う。
怖い顔が二人で二倍怖い、わけじゃない。
(……うん、百倍は怖い)
副官さんを含め、ギャラリーは全員金縛りに合ったように動きを止めている。
私はゴクリと唾を飲み込んだ。旦那様の服の裾をついついと引っ張る。
「あのぉ、旦那様。そういうことなら、結婚はやめにしませんか? 無理に反対を押し切ってまで……ヒィッ?」
比喩じゃなく、食堂の温度が一気に下がった。
ガラス窓はビシリと凍りつき、室内はさながら冷凍庫のよう。
ささささ寒ぅいっ!?
「――こンっの大バカ娘がぁぁぁぁっ!! 今すぐ撤回しなさぁーーーいっ!!」
なんでなんでぇ!?
蒼白になった副官さんから怒鳴りつけられ、ガタガタと凍えながらパニックになる。
そもそもこの結婚は建前なのだから、名目が妻であろうと愛人であろうと変わりはないはずだ。なんならメイドだって構わない。
副官さんだって、そんなことは百も承知なはず……!
目顔で訴えると、副官さんは自慢の美髪をぐしゃぐしゃと掻きむしった。だすだすと地団駄を踏む。
「アンタの言いたいことは大体わかるけどっ! 人間とは一分一秒ずつ成長するものなのよ! それと共に状況だって刻一刻と変化するものなのよ!!」
わかったッ!?
引きつった顔で凄まれるけれど、残念ながらさっぱりわからない。おろおろと眉を下げた。
「ご、ごめんなさい。私よく……」
「だああっ! 要はアンタがさっきの発言を取り消さないなら、アタシ達全員が凍死するってことよ! そんなのイヤよね? 取り消すわよねッ!?」
「とととと取り消しまするるるるるっ」
やばい、歯の根が合わなくなってきた。
ガチガチ震えながら頷くと、副官さんは今度は王様に視線を移す。その顔からは盛大に鼻水が垂れていた。
「へへ陛下ッ! この二人は結婚してよろしいですねッ!?」
「ぶぶ、ぶわぁっクショーーーッン!!」
「良かったわねぇシリルッ! お許し頂けるんですってよ!?」
……いや、今の単なるくしゃみじゃないでしょうか……?
突っ込みたくとも上唇と下唇がくっついてしゃべれない。ワタクシもう何でも結構です、ハイ……。




