第10話 手を合わせていただきます!
「さあ。どうぞお召し上がりください、奥方様」
「ふわぁ……とっても美味しそう……。いただきますっ!」
広いテーブルに並べられたのは、何種類ものパンにジャム、果物……。選び放題じゃないですかぁ!
そして目の前にはほかほかのスープに、分厚いハムと太いソーセージ、温野菜のサラダ。
でもでも、私の目が釘付けになったのは、何と言っても焼きたてのパンケーキ!
二段重ねのパンケーキの傍らには、ホイップバターがこんもりと添えられている。
ジルさんがパンケーキにトロリと蜂蜜をかけてくれたので、心を弾ませながらナイフとフォークを取る。おおっ、ナイフいらないぐらいふわっふわ!
フォークで突き刺したひと切れにバターを絡め、はむりと口に入れた。ケーキにしみ込んだ蜂蜜とバターが、噛んだ瞬間じゅわっと口の中に広がる。
「…………っ」
目を丸くする私に、「そんなに美味しいですか?」と副官さんが苦笑した。旦那様も無言で私を眺めている。
もぐもぐ咀嚼して嚥下すると、夢中になって頷き返した。
「すっごい、すっごい美味しいです……! 旦那様は食べないんですかっ?」
副官さんの前にもパンケーキが給仕されているけれど、旦那様の前には温野菜のサラダだけ。……ウサギさんのごはんかな?
「団長は甘いものがお嫌いなのですよ。加えて朝はほとんど召し上がりませんし」
無言の旦那様に代わり、副官さんが答えてくれた。私は驚愕のあまり目を見開いた。
「えぇっ、ちゃんと食べなきゃダメですよ! 一日の始まりは朝食に有り……! 活力も馬力も出ませんっ」
慌てて籠に入ったロールパンを手に取り、ナイフで切り込みを入れてバターを塗る。仕上げに分厚いハムを挟んでみた。
「はいっ、どうぞ!」
「…………」
即席ロールパンサンドを差し出すと、何故か食堂の空気が凍りついた。
副官さんは息を呑み、給仕してくれている執事さん達も完全に動きを止めてしまった。全員顔から血の気が引いている。
どうしたんだろ、と首を傾げていると旦那様が動いた。無言で手を伸ばしてロールパンサンドを受け取り、もくもくと口に運ぶ。
ちゃんと食事を取ってくれたのが嬉しくて、私は目を輝かせて旦那様を見つめた。
「美味しいですかっ?」
「……普通だ」
えーっ、それ絶対美味しいヤツなのに!
むうとむくれると、「まあまあだ」と言い直してくれた。まあまあかぁ、普通よりは美味しいってことかな?
「私はソーセージを挟もうかなぁ。あ、でもジャムもいろんな味があるし……。うぅ、迷う~」
「好きに食べろ」
「はいっ」
お言葉に甘えて、いろんな種類のジャムを少しずつ味見することにした。だってどれも美味しそうなんだもん。
一口大にちぎったパンにジャムを塗っていると、視線を感じてふと顔を上げる。
副官さんがあんぐりと口を開けて私を見ていた。
「……どうかしましたか?」
副官さんは私の質問には答えず、口を開けたままギギギと首だけ動かし、今度は旦那様をじっと見る。またギギギと私の方に首を戻した。
「……なんか……見てはいけないものを、見てしまったっていうか……。明日には、世界が滅びるかもしれないっていうか……」
ブツブツとよくわからないことを呟いている。
どうやら独り言みたいなので、副官さんは放っておいてジャムの食べ比べに集中した。
甘いジャム、酸っぱいジャム、ほろ苦さを感じるジャム……。みんな違ってみんな美味ーい!
「――でも、私的ナンバーワンはこれですねっ」
じゃんっと白いジャムを指差すと、旦那様は無言でジルさんに視線を移した。ジルさんは慌てたように背筋を伸ばす。
「そちらはミルクジャムでございます。お気に召されましたか?」
「はいっ。濃厚ですっごく美味しかったです」
へらりと笑うと、ジルさんも顔をほころばせた。二人でほのぼのと笑い合う。
「……なんかアタシ……コホン。わたしは色んな意味でお腹がいっぱいになりました。ご馳走様です」
副官さんが遠い目をしながらお皿を下げさせ、紅茶のカップに手を伸ばす。どうやら食後のお茶に移行するらしい。
旦那様もとっくに食べ終わっており、優雅な所作でお茶を飲んでいた。そんな彼をわくわくと見つめる。
「まだ果物も食べていいですか?」
「好きなだけ食べろ」
「ありがとうございますっ」
ゴツンと音を立てながら、副官さんがテーブルに頭を打ち付けた。……さっきからどうされました?
女子力とはすなわち戦闘力ですよー?
落ち着きのない副官さんを心の中でからかっていると、副官さんはヨロヨロと顔を上げる。
「……シリル。アーノルド陛下には、結婚のお許しをいつ頂くのですか?」
額を押さえながら、疲れた声で問いかけた。
「帰ってすぐ使いは出しておいた」
「そうですか……。謁見が叶うまで、恐らく数日といったところでしょうね」
二人の会話に目を丸くする。
実のお兄さんなのに、会うには数日もかかるのか。王族というのは大変らしい。
ふんふんと頷きながらブドウを食べていると、副官さんが意地悪そうに私を見た。
「早速、行儀作法を学ばないといけませんねぇ。あなたがマナー違反をした場合、恥をかくのはシリルですから」
「――んぐっ。……えええええっ!?」
ブドウが喉に詰まりそうになった。
謁見っ? マナー!?
私の辞書には無い言葉ですよっ?
大混乱していると、「別に構わん」と旦那様が静かな声で告げた。思わず縋るように彼を見る。
「今さら下がって困る評価は無い。……あまり気負うな」
「……でも」
そう言ってくれるのはありがたいけれど、迷惑をかけるのはやっぱり嫌だ。
しゅんと落ち込む私に、「まだ時間はある」とぼそりと声をかけてくれた。
旦那様の言葉を受けて、副官さんもやれやれとかぶりを振った。
「……そうですね。とりあえず、私が礼儀作法を仕込みましょう」
「あ、ありがとうございますっ」
勢い込んで礼を言う。
ほっと一安心したところで、目の前の果物に意識を戻した。さてお次は、と。
「――ってまだ食べるワケッ!?」
顔を真っ赤にした副官さんから大喝され、ひゃあと飛び上がる。
「え、いけなかったです!?」
「別に構わん」
「……ああ……。なんか、アタシもうダメかも……」
副官さんは完全にテーブルに突っ伏してしまった。ダメって何が!?
目を白黒させていると、食堂の外から何やら騒がしい物音が聞こえてきた。不審に思って目を向けた瞬間、大きな音を立てて扉が開かれる。
「――シリルッ! 婚約者を連れ帰ったというのは、まことの話か!?」
豪華な礼服に身を包んだ男の人が、荒い息を吐きながら仁王立ちしている。射殺しそうな目で、鋭く氷の旦那様を睨みつけた。




