第9話 これが噂のアレですねっ?
馬車から降りると雨は上がっていて、雲間から光の筋のように朝日が差し込んでいた。通過の町を出発した時の嵐が嘘のようだ。
眩しさに目を細めながら空を見上げていると、お腹がきゅるると高い音で鳴る。……うん、朝ごはん食べてないもんね。
「……ご苦労だったな、ヴィンス」
副官さんにぼそりと告げて、旦那様は私の肩を抱く。そのままうながすように踵を返した。
「わっ……。――ええええええっ!?」
振り返った瞬間目に飛び込んできた屋敷に、思わず素っ頓狂な叫び声を上げてしまった。
……でかい。でかすぎる……!
屋敷はもちろんのこと、入口の門すら天高くそびえ立つよう。ぽかんと呆けたように門を見上げた。
「――くぉら小娘っ! 口を閉じなさい!!」
副官さんから一喝されて、慌てて両手で口を塞ぐ。いけないいけない、女子力すなわち戦闘力っ!
「ていうか、シリル! 礼なんかいいから朝食に招待しなさいよっ。本っ当に気が利かないんだから!」
旦那様はぷりぷりする副官さんに無言で頷き返し、再び私をうながして歩き出す。荷物を気にして振り返る私に、「使用人に運ばせる」と冷たく告げた。
ドキドキしながら門をくぐり、広い庭を歩いてやっと玄関に到着する。待ち構えていた使用人さんが扉を開け放ち、荘厳な屋敷に足を踏み入れた。
ずらりと並んだ使用人さん達から出迎えられ、迫力に圧倒されて息を呑む。
使用人さん達の中から、燕尾服を着たグレイヘアの男性が進み出た。
この中で一番年配のようだし、気品と威厳のようなものを感じる。おそらく執事さんなのだろう。
さすが氷の旦那様の執事だけあって、彼もなかなかの無表情っぷりだった。感心して眺めていると、彼はニコリともせず優雅に一礼した。
「――お帰りなさいませ、旦那様。ようこそいらっしゃいました、ノーヴァ様」
渋い声がとっても素敵だ。
惚れ惚れしている私を、執事さんが静かなまなざしで見やる。やはり無表情のまま口を開いた。
「初めまして。執事長を務めております、ジルと申します」
淡々と自己紹介を済ませたところで、彼はぎゅっと眉間にシワを寄せた。顔がみるみるうちに歪み、唇もわなわなと震え出す。
ヒッ!?
早速始まるのか嫁イビリっ!?
「……くっ! お待ち……お待ち申し上げておりました!! 奥方様ああああっ!!!」
爺は、爺は嬉しゅうございますぅ!!
ぶわぁっと涙をあふれさせる執事さん。……はい?
おろおろしながら周囲を見回すと、他の使用人さん達も泣いていたり、目を輝かせて私を見ていたり、手を取り合って喜んでいたり。
……ありゃ?
嫁イビリという名の様式美はどこに行った?
「……はあ。やはり、こうなりますか」
つまらなさそうに呟く副官さんを、ぎゅんと勢いよく振り返った。いじめられるって脅してたじゃないですかぁ!?
無言で訴える私に、副官さんは眉を上げて肩をすくめる。
「考えてもみなさい、この無表情男に仕える使用人達の悲哀を……。これからは嫁が間に立ってくれるのですよ? 屋敷の雰囲気が明るくなるのですよ? 喜ばないはずが無いでしょう」
「ええ、ええっ……。あまりに突然のことで驚きましたが、旦那様が自ら奥方様を選ばれる日が来るなど、夢のようですっ……! 爺は今日死んだとて後悔ありませぬっ!」
そーこーまーでー!?
重い、重いです!
そもそも私、本物の嫁じゃありませんしっ。
パクパクと口を開きかけたところで、ぐおおおおっ!とまた盛大にお腹が鳴った。……私のお腹の虫さん、お願いだから空気を読んで……?
ジルさんはキョトンと私を見て、それから嬉しそうに顔をほころばせた。
「奥方様、食堂へご案内いたします。何か召し上がりたいものはございますか?」
意気揚々と問いかける。
どうやら私の虫さんのお陰で涙は止まったようだ。
「ありがとうございますっ。えっと、好き嫌いは無いので、何でも美味しくいただきます!」
えへへと笑いかけると、ジルさんは満面の笑みで頷いた。
案内してくれる彼の後ろに続きながら、相変わらず表情筋の死んでいる旦那様を見上げた。そっと腕を引き、小声で問いかける。
「……あの、私達の契約のことって……」
「言う必要は無い」
ですよねー。
「……でも、シリル。この分だと、寝室が別だなんて難しいんじゃない?」
女言葉に戻って囁きかける副官さんに、旦那様は冷めた目を向けた。
「問題無い。――まだ子供だから、しばらく寝室は分けると伝えてある」
投げ捨てるように言う。
子供というのはちょっぴり聞き捨てならないけれど、ほっと安堵したのは事実だ。
胸をなでおろす私とは対照的に、副官さんが呆れたようにふはッと失笑する。
「それで納得されちゃうなんて、男としてあり得ないんじゃなぁい? ……ううん、あり得ないと言うより。むしろ男として終わってるわぁ」
「…………」
副官さぁぁぁぁぁんっ!?
旦那様の後ろからブリザード!
ブリザードの幻覚が見えますよーーーっ!?
「ぎょえええええッ!? ――ちょっ、シリルッ! 室内で魔法を発動するのは反則でしょお!?」
私はパチクリと目を瞬いた。
旦那様の周りに見える、キラキラと舞い踊る無数の粒子。例えるなら、大きな雪の結晶のよう。
――どうやら幻覚ではなかったらしい。
己の体を抱き締めるようにして震え出した私を、先頭を歩いていたジルさんが青ざめた顔で振り向く。奥方様ッと悲鳴のような声を上げた。
私の様子に気付いた旦那様達も、息を呑んで諍いを止める。ちょっと小娘、と心配したように声をかけてくれる副官さんに、ふるふると首を振った。
「……ごい」
「……は?」
聞き返されて、私はなんとか感動に打ち震える体を叱咤した。顔を上げて、もう一度同じ言葉を繰り返す。
「すごい、ですっ……。私、私……。元素魔法なんて初めて見ましたぁっ!」
生活魔法なら毎日のように見るけれど。
元素魔法なんて、一般人がおいそれと見られるものではない。
キラキラ輝く結晶の美しさに、うっとりと見惚れた。思わず伸ばしかけた私の手を、旦那様がハッとしたように掴んで止める。
「触るな、凍りつくぞ。……攻撃魔法だからな」
えっ!?
「……ごっ、ごめんなさい! あんまり綺麗だったから……」
しゅんと眉を下げる私に、旦那様は小さく首を振った。私の手を放して指をパチリと鳴らした瞬間、無数の粒子は跡形もなく消え去ってしまう。
名残惜しいような思いに駆られる私に、旦那様は静かな視線を向けた。
「……元素魔法が見たいなら、今度外で見せてやる。それまで待っていろ」
口調はあくまで淡々としているし、顔だっていつも通りの無表情だけれど。
彼なりの優しさと気遣いを感じた気がして、自然と頬が緩んだ。ほわりと胸が温かくなる。
コクコク頷き、にぱっと笑って旦那様を見上げた。
「――はいっ! 楽しみに待ってますねっ」
 




