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滋丘透の魔術奇譚  作者: 安住ひさ
5章 変転の兆し
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5章 変転の兆し⑧

 信じられん! 馬鹿な、馬鹿な! アーサーは血の滴る胸を抑えながら夜の道を走り続ける。後ろにこれといった気配はない。ひょっとすると、もう追跡するのを諦めたのかもしれないと、アーサーは考えた。

 兎に角、一旦建て直さなければ。アーサーは予備ための拠点として取っておいた廃墟へと向かう。それは、かつて存在したカルト教団が使っていたといわれる施設であった。

 朽ち果てた門を通り、妙な突起物が目立つ施設の敷地に入ったアーサーは、広々とした道を歩いてそのまま施設の中に入ろうとした。

 しかし、建物の入り口付近にある人影に気付き、彼は目を見開いた。

「あら、こんな所に来るなんて。じゃあ貴方がそうね」

 そこに立っていたのは、姫子であった。

「何故、こんな所に」

「何故、不思議な事を言うのね。魔術の痕跡があったから調査していたに決まってるじゃない。結果は言うまでもない。アーサー・ブラックウッド卿。ここは貴方のスペアのテリトリーだった」

「鼻が効く事だ。だが迂闊(うかつ)ではないか。まさしくここは私のテリトリーの中だ。その中にのこのこと入ってくるとは」

 アーサーは言った。しかし、それを聞いた姫子からはくく、と笑みが溢れる。

「一体、何が可笑しい」

「可哀想に。貴方のその様子は、想定外の事態が起きて気が動転している事の証左ね。そのお陰で正常な判断力まで失ってしまっている」

「小娘、言わせておけば」

 アーサーは懐から杖を取り出し、姫子へと向けた。しかし、アーサーは目を見張る。

「何故だ。何も反応しない。いや、そんな事があるわけが」

 皺を深くするアーサー。そんな男へと向かって、姫子はゆっくりと歩んで行く。アーサーは顔を上げ、近付いてきた姫子の目を見ると、怯えた様な顔で手を振り尻もちをつく。

「ま、待て」

「少し考えれば分かる事よ。貴方のテリトリーに小細工をかけた。具体的にはそう、貴方に力が集まらないようにした」

 そういう事か、とアーサーは納得した。テリトリーの恩恵どころか、通常の魔術ですら行使出来ない。それは、この場が自分にとって呪われた場所になってしまったからだ。

 姫子は手に持っていた刀へと手をかける。

「散々透ちゃんを苦しめたようだけど、何か言い残したい事はあるかしら」

「ま、待て。待ってくれ。よく見ればお前は月隈家、かつての財閥一族の娘ではないのか」

「ええ、そうだけど。よくご存知ね」

「やはりそうか。では月隈の娘よ、かつての栄光を取り戻したくないか」

 姫子はその問いに答えず、只膝をついているアーサーを見下ろす。

「君は知らないかもしれないが、私は貴族だ。表の世界でもそれなりに顔が知られているし、こちらにも伝手がある。故に私が声をかければ月隈家再興のきっかけを作る事が出来るだろう。月隈家は代々優秀な人間で、かつてを(しの)んでいる者も多いと聞く。私に――」

 その時、アーサーは自身の胸元に違和感を感じた。その違和感の正体を確かめるために、下の方を向く。

 そこには、鋭利な刃物が突き刺さっていた。

「……な、ぜ」

「ごめんなさい。私にとっては何の旨味もない話だわ」

 姫子は刀をゆっくりと抜いた。アーサーは、ゆっくりと背中から倒れていく。

 姫子は刀を蒸発させるかの様に消し、用の無くなったその場所を後にしようと門の方へと歩き始めた。

「名家の人間かくの如きもの也。残念だけど、それは見栄と体裁に取り憑かれた貴族の勝手な妄想ね。私は使い切れない程の大金が欲しいわけでも、多くの人間を支配したいわけでもない。そんな事に意味を見出だせない」

 ふと、姫子は足を止める。微かだが、吐息がした。姫子が振り返ると、アーサーがほとんどうつ伏せの状態のまま、体を引きずるようにして匍匐前進(ほふくぜんしん)の様に腕で移動していた。

「まだ、死ぬわけ、は。こ……ろで」

 それは、行き先も覚束ないかのようなぐにゃぐにゃとした道筋であった。

 姫子の手に再び刀が現れる。彼女はアーサーへと静かに近付いていく。

「……エ、マ」

 アーサーの首に刀が突き刺さる。アーサーは、目を大きく開ける。その瞳孔はきゅっと縮み、そして、間もなく彼の頭は力なくそこに突っ伏した。

「大事な人がいるのね。でも」

 貴方は、透ちゃんを傷付けるから。

 刀を抜く姫子。ふと、最早動かぬものと成り果てた男の傍にペンダントのようなものが落ちている事に気付いた。姫子は徐にそれを拾う。それは、必要最低限の装飾しかない開閉式のペンダント。姫子はそれを開き中身を見る。

「ごめんなさい。亡骸は、ちゃんと送り届けてあげるから」

 ふと、足音がした。姫子が敷地の入り口の方を見ると、そこには竹蔵が立っていた。

「貴方はあの時の」

「どうも。アーサーの旦那、死んじまったか」

 落胆したかの様に竹蔵は言った。

「あの時の決着を付けに来たというわけね。それとも、仇討ち?」

 姫子は刀を構えようとすると、竹蔵は両手を上げる。

「いいや、もう俺は自由の身だからな。そんなつもりはねえよ」

「どういう事?」

「今さっきそこに倒れてる旦那さんとの契約を切ったんだよ」

「そう。じゃあ、貴方はどうしてここに?」

「アーサーの旦那を追って来たんだが、こうなってはな」

「貴方の目的は潰えたというわけね。ではどうしますか? 竹蔵権之助」

「ん? 俺の事知ってるのか?」

「ええ。だって歴史に残っているもの。名前は自称、竹蔵権之助。貴方はかつて日本中を行脚して名だたる剣豪達と相見えた。その中には彼の二天一流もいたとか」

「ああ、懐かしい。ついでに人間じゃあない連中と立ち合った時もあったな」

 可笑しそうに竹蔵は笑った。

「……貴方は多分、もう長くはないわ」

「そうだな。主が死んじまったんだから、当世風に言うと、電池切れを待つ身だ」

「どうせ死ぬのなら、最後に()()と立ち合ってみない?」

 姫子は刀を構える。しかし、竹蔵は後頭部をさすり「あ〜」と気怠げに呻く。

「神様って、あんたに降ろした神様だろ。止めとくわ」

 その気の抜けた言葉を聞くと、姫子は目を丸くして刀を下ろした。

「可笑しな人ね。剣客なら誰かと斬り合いたくて仕方がないものだと思ってたのに」

「おいやめてくれよ。まるで快楽殺人鬼みてえじゃねえか。傍目から見りゃ同じだけど、ちょっと違うんだよ」

「そうなのね、勉強になったわ。じゃあ何処へでもお行きなさい」

「いいのかい?」

「いいわ。貴方からは危険を感じないもの。折角なんだから、余生くらい好きになさいな」

「そうか。じゃあ好きにさせてもらうよ」

 竹蔵はゆっくりと踵を返して歩き出そうとして、止まった。竹蔵は振り返る。

「まだ何か用かしら?」

 姫子が首を傾げる。

「なあ、お嬢ちゃん。もうちょっと気楽に生きろよ」

「え」

「失ったものは戻らない、って事だ。お利口さんなら分かるだろう」

「貴方、一体、私の何を知っているというの?」

「別に。じゃあな」

 返答には答えず、竹蔵は朽ちた門の脇を通って出ていった。

「葉月ちゃん、私間違ってないよね」

 一人残された姫子は胸を抑えながら苦しそうに呟いた。


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