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滋丘透の魔術奇譚  作者: 安住ひさ
5章 変転の兆し
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5章 変転の兆し⑦

 駅前で今泉と別れた後、透はバスに乗り込んだ。バスに揺られながら十数分、最寄りのバス停で降りた透はゆっくりと自宅まで続く道を登っていく。

「ねえイツキ」

 透はいつものように念話(テレパシー)を使ってイツキに語りかけた。そうすると、イツキから『はい』と返事が返ってきた。

「多分、行ってよかった。今日一日使っちゃったけど」

『それは何より。気が滅入っていては戦は出来ないと言いますし』

「いや間違えてるしそれ。勝手に(ことわざ)を捏造しないの」

『失礼。使い勝手が良かったものでつい』

「全く。それより帰ったら作戦会議よ。後、この件が片付くまで学校は休む事にする」

『よろしい、のですか?』

「構わないわ。それに半端に行ってこれ以上事態をこじらせたくないの。だから本腰の本腰を入れる。一気に詰めていくわよ」

『分かりました。姫子女史にもそう伝えておきましょう』

「頼んだわよ」

 そう言って、透は念話(テレパシー)を切った。久しぶりに気分が高揚している気がする。

 透は自宅への道を早歩きで歩いていく。公園の横を過ぎれば自宅からはそう遠くない。早る気持ちを抑えながら歩いていく。

「っ!?」

 突如、透は口元に違和感を感じた。何かを押し付けられている感覚。それが透の意識を朦朧(もうろう)とさせている事に彼女は気付いた。透は力の入らない手で何とかそれを押しのけようとしつつも、覚束(おぼつか)ない頭で疑問を感じた。

 周囲には魔術師の姿も、魔性の気配もなかった。だから、いたとしてもそれは犬や猫、人間くらいだ。

 人間? 透は薄れゆく意識の中で何かが引っかかった。何も、自らに危害を及ぼすものがあちら側の住人だけとは限らない。そうでなければ、世の中はもっと平和だろう。

 そうか、透は理解した。そもそもの話、こういう人気の無い場所では周りの人間にも気を遣わなければならないものなのだ。あちら側の事に気を取られすぎて、人間は無害なものだという勝手な思い込みをしてしまった事を透は悔いた。悔いたが、既に手遅れだった。

 透はその場に崩れ落ちた。閉じゆく目で見たのは至って普通の少女。少女は、後ろめたそうな目でこちらを見下ろしていた。


 透は夢を見た。彼女にとって最早馴染み深いあの青い火の夢。

 この前と同じ、あの男が立っていた。とても不愉快な目をした男。男は前と同じ様に透に言葉を告げると、煙の様に雲散霧消してしまった。

 残された透は、目の前の光景をしばし呆然と見つめていたが、やがて意を決したように立ち上がり、周囲を見渡した。

 透は理解した。自分は多分、両親を探していたのだと。父を、そして母を求めた。理由は単純である。怖かったからだ。怖かったから、親を求めた。その時の幼い透にとっては、絶対的とも言える親の存在。彼らは、透に何者ですら侵し難い安心感を与えてくれる。

 だけど、父も、母も、いなかった。透は涙で汚れた顔を腕で拭きながら歩いた。

 助けて。お父さん。お母さん。

 その小さな手を取るものがあった。透が顔を上げると、それは祖父の春之助だった。

 春之助は透をその地獄の中から救い出してくれた。

 しかしその時、何故か春之助は透に謝っていた。

 透、申し訳ない事をした。本当に、済まない。

 何故謝るのか、透には分からなかった。

 貴方は何も謝る事などしていないのに。

 教えて欲しい、貴方の謝罪の訳を。


「また、夢」

 目を覚ました透は額に溜まる汗の粒を拭おうとした。しかし、動かそうとした手が動かない。もう一度動かそうとしたが、何かが邪魔をして手が動くのを阻んでいた。

「やだ、これ」

 縛られていると彼女が気付くのにさほどの時間は要しなかった。透は後手に縄で縛られ、身動きが取れないようにされていた。

「この、もう!」

 自由であった足をばたつかせるが、そんな事をしてもどうしようもない事をすぐに悟り、兎に角冷静になろうと深呼吸をした。

 上空には月が出ており、今が夜だと分かる。透は周りを見た。どうやら、何処かのビルの屋上らしい。所々にひび割れたアスファルトの隙間から雑草が生えており、また、コンクリートを伝って(つた)が建物のあちこちに伸びている。

「廃墟?」

 透は疑わしげに言う。嫌な感じだ。こういう人気の無い所は決まって犯罪の温床になる。もしかすると、透は碌でもない事に巻き込まれてしまったのではないかと勘繰った。

「お察しの通り、ここは廃墟だ」

 男の声がした。透がその方向を振り向くと、そこにはアーサーと竹蔵が立っていた。透はその瞬間、全てを理解した。途端に、透は苦虫を噛み潰した様な顔をする。

「やってくれたわね。まさか普通の人間を操るなんて」

「操る? 何の事だ」

「今更とぼけないでよ。貴方が催眠術で女の子を操ったんでしょう」

 透は少女の顔を思い出しながら言った。多分あれは、自分と同じくらいの年頃の女の子。

「そんな事はしていない。私は協力してもらっただけだ」

「協力してもらっただけですって?」

「ああ、そうだ。私は彼女に金銭を提供する代わりに、少し手伝ってもらっただけだ」

「は、貴方みたいな男と取引する一般人なんか」

「金に困っていたそうだからな。思春期特有の悩みを持つ暇もなかったのかもしれん」

 そういえば、と透は再び女の子の顔を思い出す。あの表情は、自分が行った事に対する後ろめたさと謝罪ではなかったか。

「貴方の勝手な都合に関係ない子を巻き込まないでよ」

 話しながら、透は縄を解こうと手を捻ったりさせるが、縄はしっかりと結ばれており、びくともしなかった。

「ああ、もう巻き込むつもりはない。彼女との契約は完了したからな」

「……貴方の目的は何?」

「タルタロスというものを知っているだろう。滋丘の娘よ」

 滋丘、と確かにアーサーは呼んだ。今更驚きはなかった。むしろ、今まで滋丘家の人間である事を知られていなかったのだろうか、と透は思った程である。

「何の事。この土地には貴方が欲しがるようなものなんてない筈よ」

「見え透いた嘘を。だが良かろう、元々君に期待していたわけでもなし、まだ手はある」

「言っておくけど、催眠術の類なんて効かないから」

「ああそれも分かっているとも。流石に時を重ねた血統に連なる者なだけはある。殊に精神介入避けの技術に関して言えば、君の技術は一級品だ」

「お褒めに与り光栄。でもそれじゃ貴方が私を(さら)った意味なんて益々ないじゃない。まだ手はある、といったけど、勿体ぶらずに見せてほしいものね」

「ああ、いいだろう」

 そう言って、アーサーは右手の黒革手袋を外した。そこには奇怪な文字が刻まれ、微かに青い光を放っていた。

 それに目を奪われている透に、アーサーは口を開く。

「これは元々とある古い家系に伝わっていた秘伝だ。知っているかね。この世界のあらゆるものには記憶が宿るのだそうだ。その家系は、そんな記憶を読み取る事が出来る者達だった。もっとも、私が出来るのは人から記憶を読み取る事だけだがね」

 アーサーは透の頭に手を伸ばす。咄嗟に透は身を引く。

「ちょっとやめて、触るな! この変態! セクハラ親父!」

「口汚いな。仮にも由緒ある家系の娘が、そんな品のない物言いをしてはいけない」

「品がなくて結構よ!」

 透は頭をずらしてその手を躱そうとしたが、その直前に頭をがっしりと掴まれた。アーサーはそのまま目を閉じる。

「やだ、離して!」

 透は藻掻(もが)くが、しっかりと掴んだ手はびくともしない。足をばたばたさせてアーサーの股間を狙おうとするも、そのどれもが失敗に終わってしまう。

「止めて、入ってこないで!」

 体に異物が入り込んでくる感覚に、透は異様な不快感に襲われた。全身が嫌悪している。今すぐ追い出したい。気持ちが悪い。

 目を閉じていたアーサーから、汗が吹き出してきた。顔は歪み、眉に皺が寄っている。

「何という、防衛機構だ」

 アーサーは呟いた。竹蔵はまるで興味が無いとでも言う風に、屋上まで登ってきたと思しき黒猫と戯れている。

 これか、アーサーは笑みを浮かべ、期待を込めた声で言った。

 しかし少しの間の後、アーサーは「ひい」と怯えたような声を出し、ばっと透から手を離して尻もちをついた。

「はあ、はあ。な、何だ、これは」

 アーサーは声を震わせながらぽつりと呟いた。

「いや、しかし。これが、そうか」

「何を、覗いたの」

 透は不快そうな顔をしながら言った。

「安心し給え。私が覗いたのは、君のタルタロスに関する記憶だけだ」

「へえ、そう」

 透は言いながらも、疑問に思っていた。記憶を覗いたとは言いながらも、何故アーサーはああも怯えたような挙動を取ったのだろうか。自分の知り得る限り、この男が怯え(すく)んでしまうような体験など自分には持ち合わせていない筈。

 男は汗を流しながらもやんわりと微笑む。

「成程。君はタルタロスを知っているが、知らない、といったところか」

「どういう事よ。あべこべな事を言わないで」

「答えは君の中にあったという事だ。滋丘の娘よ」

「意味が分からないわ」

「そうか。まあ知った所で君のためになるとも思えんが」

「教えなさい。私から奪い取ったのでしょう。それは私のものよ」

「出来ないと言えば」

「この縄を解きなさいな。決闘よ。私が勝ったら教えてもらう」

 透は言った。これなら、万が一負けそうになっても逃げる事が出来る。逃げ道が出来る。

 しかし、アーサーは首を振る。

「いや、それは出来ない。それはティーパーティーの連中のしきたりだ。そして、私は塔院の人間ではない。君にとっては残念な事だが、私が従う義理はないな」

「何ですって、この臆病者!」

「煽り立てるな。私は面の皮を厚くしてプライドにまみれた連中共と違って確実な方法を取る男でね。いらぬ体裁のために第一の目的を失する事はあってはならぬ。まあ決闘したところで君に負けるつもりはないが、万が一という事もあるだろうから」

 アーサーの言葉に透は歯軋(はぎし)りする。はぐれ魔術師らしいと言えばらしいと彼女は思った。彼らはそういうしきたりやその他の煩わしい事に嫌気が指して離反した連中なのだから。

「ミスター竹蔵」

「へい、何ですかい旦那」

「この少女を始末してくれ。そうすれば、あの厄介な使い魔も力を失うだろう」

「……そいつはジョークってやつですかい」

「まさか本気だとも。侍殿、何かご不満でも」

 それに返答しない竹蔵に、アーサー怪訝な目をする。

「強制が出来る事をお忘れなく。第二の人生とやらを生きたいのではなかったかな」

「ああ、そうですな。折角もう一度の生命を与る栄誉を(たまわ)ったのですから。送りたくないわけがない」

「では、私に従う事だ。でなければ、只の土塊(つちくれ)に戻る事になる。では、頼んだぞ」

 そう言って、アーサーはその場を後にしようとした。

 悪寒、アーサーは殺気を感じ取り、瞬時に振り向いた。そこには、腰を低くして今にもアーサーに抜刀しようとしている竹蔵の姿があった。

「何のつもりだ」

「それはこっちのセリフですぜ、旦那。話が違う。誰も殺さなくていい、という条件ではなかったですか」

 アーサーは口元を歪ませる。確かに、そんな契約をした事を彼は思い出した。奇妙な事に竹蔵は武芸者だった身でありながら、そんな事を要求してきた。

 只の酔狂で言ったのではなかったのか。

「俺も少しはまじないについて(かじ)ってたんでね、あんた方との契約がどんなもんか分からんわけじゃないぜ。故に契約についてはよく考えた上で条件を出した。約束を反故にするのはこの業界じゃ特に不味いんじゃないんですかい、旦那」

「己、死人風情が」

 忌々しくアーサーは言い放ち、手を(かざ)した。

「んな」

 竹蔵の体ががたがたと震え始め、ぎこちない動作で刀を抜き、透の方を振り向いた。

「勘違いしないでくれ、ミスター竹蔵。始めは貴方を立てて対等という関係で接していたが、所詮お前は死人でしかないのだ。つけ上がるのなら、無理やり従わせる迄よ」

「へえ、そうかい。じゃあこちらも旦那に力を貸す義理も無くなったな」

「何? どういう意味――」

 横に薙がれた刀がアーサーを襲った。アーサーは瞬時に後ろに退いてそれを(かわ)す。

「な、何故だ」

 何故強制(ゲツシユ)が効かないのか、アーサーは狼狽(うろた)える。目の前にいるその武芸者は、薄っすらと笑みを浮かべてアーサーに対して刀を突き付けていた。

「さっき言いませんでしたか。俺はまじないについてちょっと(かじ)ってるんだ。昔あんたのような連中に酷い目に遭わされましてね。平たく言うと殺されかけたんだが、羹凝(あつものこ)りて何とやらで、二度と同じ目に遭わないように防衛策だけにはとても関心があるんだ。お陰様で、そういうまじないから守る心得だけは一流ってわけだ」

「いや、そんな馬鹿な」

「まじないってのは概念的な力だ。故に契約の反故は強制力が弱まる、これは古今東西を問わんだろ。東洋の田舎侍と侮っちまったのが運の尽きよ、異人の呪術師さん」

 アーサーは歯軋りをして、後退る。

「すまんね。そういうわけだから、あんたとはここまでだ」

 竹蔵はかつて主だった筈のその男に容赦なく刀を振るった。アーサーは咄嗟にそれを防ごうとしたが、先程とは打って変わってあまりに人間離れしたその太刀筋に腕から胸にかけてを斬られてしまった。鮮血が辺りに飛び散る。しかし、そんな事を気にも留めずにアーサーはその場から逃げ出した。

「さてどうしたもんかね。このまま旦那を斬っちまったら俺も只じゃあ済まんだろうしな」

 「お」と気付いたかのように竹蔵は踵を返し、透の方へと歩いてきた。透は竹蔵を睨み付けるが、そんな敵意剥き出しの透に竹蔵は苦笑する。

「おい、折角助けてやったってのに、おっかない顔をするなよ」

「え」

 唖然とする透をよそに、竹蔵は透を縛っていた縄を刀で切り取る。

「ああ勘違いしないでくれよ。縛ったのは不可抗力だ。俺に緊縛趣味はないぜ」

「本当に何のつもり。こんな事したって、貴方には何の益もないのに」

「別に何のつもりもない。旦那が契約を違えただけさ。ちょっとの契約違いなら我慢するよ、そりゃ。だけど人殺せってのは話が違う。だから従えねえ、って、只それだけさ」

「阿呆だわ。貴方の寿命を縮めるだけなのに」

「そうだな。今風に言うと合理的ではない。が、仕方ないだろ。こればっかりは人間の性ってやつだ。考えてもみろ、剣客商売なんて傍から見れば只の阿呆だ。そんな事を好き好んでやってるやつが、そんな合理的な判断に重きを置くものかね」

「いつかの時に、セカンドライフを楽しみたいとか言ってた癖に」

「それも本心だぜ。だからこそ、人を殺めたくなかったんだよ。ま、正確には()()()()()()()()()()()()()()()()、それとしてもセカンドライフとやらを楽しんでみたかったよ」

「これからどうするつもり?」

「とりあえず、落とし前をつけにいくかね。その後の事は、まあ、あるか分からんが、その時考えるよ」

「そう」

「それじゃあ行くわ。あんま駄弁ってると、見失っちまう」

「ええ、さよなら」

 ふっ、と透に笑いかけると竹蔵は建物の壁を飛び越えて出ていった。

「馬鹿ね。セカンドライフの使い方間違ってるっての」

 一人残されたトオルはぽつりと呟く。

 ふと屋上の入り口を見ると、イツキがこちらに走って来ているのが分かった。


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