4章 クロエの神隠し④
校舎内へは難なく入る事が出来た。
透とイツキは各々分担して校舎内を探し回った。職員室も、教室も、保健室も。
しかし、そこにいるべき生徒も教職員も、誰一人として見つける事は出来なかった。
「どうなってるのよ、これ」
最悪の想定が当たらなかった事に安堵しつつも、階段近くの壁に寄りかかった透は目の前の不可解な事態に思わずそうこぼした。
「これではまるで神隠しですね」
「こんな何百人も一斉に? 冗談、仮にこれやったのが神様ったって限度があるでしょう」
「しかし目の前の現象は正にそうだと語っています。いや、トオル」
イツキは透の方を見る。
「学校といえば、何はともあれ体育館です。校舎にいないとなりますと、もしやそちらに集まっているのやもしれません」
「そうね。望み薄だけど、確認はした方がいいわね」
「私はその他の場所を回ってみます。幸い、念話は可能なようですし、危険でしたらいつでもお呼びください」
「分かったわ」
透は校舎の階段を降り、体育館へと駆ける。未だ気持ちが焦っている。大丈夫だ、とずっと自分に言い聞かせながら透は走った。校舎から体育館までは渡り廊下で繋がっていたが、その道中やはり誰とも出くわさなかった。
透は体育館の入り口までやってきた。扉に付けられた窓はカーテンが降りており、中の様子を伺い知る事は出来ない。
「Ecce≪真実を映せ≫」
透は唱えた。その瞳に映し出されたものは特に平常時のものと何ら変わらず、透はそのドアに何もトラップが仕掛けられていない事を確認する。
念のため、と透は側に落ちていた手頃な石をドアノブ付近に投げてみたが、やはり当然のように石はドアにぶつかり、軽く跳ね返って地面に落ちた。
「よし」
透はドアノブに手を掛ける。鍵はかかっていなかった。透は安堵する。もしもの時は破壊しなければいけないと思っていたがこれならその必要はないからだ。
意を決してドアを開ける。
質量のあるドアを開けて中を覗いた透は、その中の様子を見て落胆した。
「やっぱり何もない、わね」
体育館の中はもぬけの殻であった。特に誰かがいた痕跡もない。
「ねえ、イツキ」
念話でイツキに語りかけると、『誰かいましたか』と返事が返ってきた。
「いいえ。体育館はもぬけの殻よ。そっちは」
『教職員と生徒はいませんでした』
「は?」
は、の箇所を何故かイツキは強調した。
『失礼。今はこちらに集中したい故。一旦遮断します』
「え、ちょっと」
透は呼びかけたがイツキからの返答はない。
「もう! ほんとにあの子って奴は!」
透は憤慨し、体育館を後にした。
体育館と校舎を繋げている渡り廊下から外れ、透はグラウンドの方に出た。
グラウンドは元々それなりの広さを持っていたが、霧で奥がぼやけているせいか、実際の広さより一層その広がりを持っている様な錯覚を透に与えた。透は一応グラウンドを注意深く見回してはみたが、特にこれといったおかしな所は見られなかった。
続いて校舎の方を見遣る。やはり、特に変化はない。
異常事態の癖に気持ち悪い程の徹底的な平穏を感じる。異常事態なら異常事態らしく振る舞えばいいのに、一体、どういう了見なんだと透は眉を顰める。
透は上を見上げた。
「あれ」
霧のせいで少しうっすらとしているが、屋上の上に誰かいる。透は目を細める。もしかして生徒かと透は思ったが、程なくそれは間違いである事に気付いた。
透は双眼鏡を取り出してそこを見る。それは、男と女の子であった。男は二十代か、三十代くらいにみえる。ベストに紺色らしきスーツ、そしてその上に黒のコートを羽織っており、何処と無くエリートっぽい雰囲気を漂わせている。
女の子の方は十一、二くらいに見えた。外国人なのか薄い金髪、あるいは銀髪でベレー帽の様なものを被っており、装飾の少ないシンプルなゴシック調の服を身に纏っていた。
可笑しな組み合わせだと透は思っていたが、ふと、とあることに気が付いた。
よく見ると男の方は以前、下校時にぶつかった男のようであった。透はあまり人の顔を覚える方ではなかったが、奇妙な本の事もあり、その男の顔の事を覚えていた。
何故こんな所にいるのか。透は考えを巡らせる。ひょっとして、巻き込まれてしまったのだろうか。だが、それならばあの少女は一体何なのか? 何故二人は一緒にいるのか。
その時、男が透の方を向いた。
「あの子は」
法水京一郎は下でこちらを見ている女の子がいる事に気が付き、呟いた。
「何時ぞやの子ね」
法水の呟きに答えるように、横にいた少女、クロエは言った。
「迷い込んだのかな」
「そう思う? だとしたら京一郎、貴方の眼は節穴ね」
「成程、では彼女もまた、こちら側に身を置く者というわけか」
「で、どうするの?」
「別にどうもしないさ。別に彼女に対して何かを仕掛けるのが目的ではないからね」
「そう、じゃあ無視という事ね」
「ああ。ただし、彼女が私達に危害を加えなければね」
ふと、クロエが中庭の方を見遣る。
「どうした、クロエ」
「ごめん、京一郎。バグった」
「具体的には?」
「結界のセキュリティホールを突かれて、意図しないものが入り込んじゃった」
「そうか、困ったな。どうする?」
「即刻排除、と言いたい所だけど、もう少し様子見。まんまと引っかかった兎ちゃん達が何とかしてくれるかもしれないから」
「あ」と思い出したようにクロエは言った。
「本当にごめんなさい、京一郎」
「今度は何だい」と、周りの様子を眺めていた京一郎はクロエの方を振り向く。
「あいつらが開けたバグの穴を通って、関係ない子達まで入って来ちゃった」
これ以上眺めていても仕方がないだろうと、透は双眼鏡をバッグの中に仕舞い込んだ。
どうするか、透は考えた。あの二人の事は一旦保留にして、イツキと合流するか。それとも、このままあの二人の元へと行くか。
しかし、透は間もなく何れを選択するかという判断をする必要がない事を思い知らされる事になった。
グラウンドから中庭へ行くための通りから、粉塵が舞い上がる。黙々と上がる粉塵の中から出てきたのは、
「イツキ!」
透は叫んだ。イツキはちらと透の方を見た後、すぐさま粉塵の方へと意識を向けた。透が状況を掴めずにいると、粉塵が晴れ、中から黒い物体が現れた。
それは、異様な姿をしていた。
胴体から伸びた長い首の先には人間の様な口と奇妙な紋様、そして御札があちこちに貼り付けられていた。目はなく、鼻に当たる部分も存在しない。また、胴体からは細長い脚がいくつも突き出ており、その先端はいずれも人間の手の形をしている。背中に当たる部分からは蟷螂の様な鎌がいくつも生えており、それを羽の様に広げていた。
ホラー映画、怪奇映画にでも出てくる様なそのクリーチャーは、優に体高五メートルを軽く超える巨体であった。
怪物は背中の鎌をイツキ目掛けて振り下ろすが、イツキは持っていた短刀でそれを払う。
「トオル、離れて!」
イツキは怪物から少しだけ距離を取りながら叫んだ。
「何なのよ、そいつ! グロテスクにも程があるでしょ」
「兎に角、何とかしなくては。トオル、くれぐれも近づかないでください」
透は唇を噛んだ。これが自分では明らかに手に余る代物だというのは言われなくても理解出来たからだ。
「でも」
だからといって、自分に出来る事が無いと諦めるのは早計だ。透は考えを巡らせる。
学校の中は確かに異常事態だ。しかし、だからといってこれが自然発生しているものだとはとても考え難い。こんな醜悪な化物が現れた背景には、何かしらの意思が介在している筈だ。そう、例えば。
透は校舎の屋上の方を見遣った。
そこには、依然として少女と男の二人組がいた。二人はこちらを見下ろしている。
透は彼らに直接問いただそうと走り出そうとしたが、止めた。
駄目だ。もし仮に彼らだったとして、こんなものを呼び出せる連中に自分一人で敵うとは思えない。じゃあ自分に出来ることは? 透は再び考える。
その時、悲鳴が聞こえた。透は咄嗟に悲鳴の聞こえた方向を向いた。
化物のいる方向とは反対の方向、体育館の辺りに女の子が尻餅をついてその異形を見上げていた。
そして、それを追うように男の子が走って来た。
「え、何で」
透は思わず呟く。
それは、土門であった。
巨大な生き物とは別に、人型の物体が動いていた。それらはボロボロの甲冑に身を包んだ骸骨達で、刃崩れした刀や先が欠けた槍を持って土門達の方へと向かっていた。
「ええい、もう。次から次へと」
透は考える間もなく、その間に立ち入ってウエストバッグから取り出したフェイク・ファミリヤを放つ。それらは槍となってその骸骨の兵達を串刺しにした。
「滋丘」
後ろから土門の声が聞こえた。透は振り返らずに前を見据えている。
「すまん、助かった」
「ううん、気にしないで」
「これどうなってんだ。教室移動してたらいきなり学校がこんなんなっちまって」
「土門君。ごめん、正直私も良く分かってない」
「そう、か」
「兎に角この化物は私とイツキが何とかするから。だから土門君。その子をお願いね。事情は後で話す」
土門は無言で頷く。
ふいに、土門がその場に腰を抜かして座り込んでいた女の子の顔を見ると、女の子は、怯えきった表情をしてかたかたと震えている。
「大丈夫、絶対守るから」
「ち、ちが……うし、うしろ」
「うしろ?」
怪訝な顔で土門は振り返る。うしろ、という声に反応した透も同じく振り向いた。
しかし、既に手遅れであった。透は瞬時に理解し、フェイク・ファミリヤは取り出していた。だが、ここから投げ付けてそれに到達するには、あまりにも時間が短すぎた。
骸骨の兵が、いつの間にか土門と女の子のすぐ真横にいて、それは刀を振り上げていた。
どうしよう。何とかしなくちゃ、私が何とかしなくちゃ。
ぱん、と高い音を立てて骸骨はばらばらに砕け散った。
「え?」
透は目を見張った。
「ちゃんと周り見とかんとあかんよ、お嬢ちゃん」
そこにいたのは、六条院紅葉であった。




