すれ違い
鏡山親方を訪ねたお殿様だった。
江戸というところは随分と人の多いところじゃな。ワシはいつ来てもここは苦手じゃ。すまぬがアオ、今日は繋いでおくぞ。
鏡山部屋の前まで来たお殿様は、アオを今度はちゃんと部屋の前に繋いだのだった。
弟子の力士がお殿様に気づいて出迎えてくれる。湯本八十五郎と申す。鏡山親方は在宅か?
はい。中へどうぞ。
お殿様は鏡山親方の前に通された。通される間に何人かの力士たちとすれ違った。皆、お殿様を見るとあー、お久しぶりです。と挨拶をした。
覚えている事に驚きながら軽く手を振るお殿様だった。
鏡山親方はお殿様を見て驚いた。生きているじゃないか。どうなってるんだ。カミさんが何か聞き間違いでもしたのか?
その驚いた顔でお殿様は全てを理解した。
もう聞いたのじゃな。聡太郎も。ワシが死んだと。そうなのじゃな。やはりワシが死んだ事になっておるのか。
はい。その通りでございます。墓は前の道を南にまっすぐ行ったところにございます。松庵寺という名の寺ですぞ。
そうか。ここから近いのか?
歩いても半刻もかからないでしょう。
そうか。
もしかしたらご子息は帰りに寄ってくるやもしれませんよ。何かのついでに出るといつもお殿様の墓に手を合わせて帰るのが習慣のようになっているんですよ。
そうか。聡太郎はワシの墓に行くのが習慣になっておるのか。そうか。
お殿様の顔がなんとも優しい表情で、会いたいのぅ。と呟いた。
しかし何故このようなことになったのです?
話せば長くなる。今度来るときに話そうではないか。ひとまずワシは今から寺へ行って参る。いつも聡太郎が世話になり、かたじけない。なんと礼を言っても言い切れん。
お殿様、もしや怪我をされてはいませんか?
あぁ、背中を斬られた。しかし、何故わかった?
人の子を預かってますから。ちょっとしたケガが相撲取りには命取りになり兼ねません。親方とはそういうものです。お殿様の動きがいつもと違いましたので。
そうか。
お気をつけて。と女将が顔を出して言う。
鎌ちゃんがこの事を知ったら喜びますよ。きっと。
あ、いや、そうかな。と、お殿様は少し照れながらも嬉しそうな顔をしてみせた。
外まで見送りに来た2人はアオをみた。
そのアオに颯爽と乗り、お殿様は寺へと向かっていった。
その後ろ姿に、女将さんは良い男ねぇ。と思わず口に出して、はっ!っとした顔を親方に向けた。親方はガハハと笑い女将の背中をバンバンと叩いてそのあともしつこいくらいに笑っていたのだった。
アオに乗り、寺を目指して進み、それらしい寺に着いた。そこはさっきまでの空気とは明らかに違った。
大きな広葉樹の木々が立ち並ぶそこには静寂が広がっていた。岩に生えたコケの青さにまた神秘なものを感じるほど。そこに溶け込むように美しい袈裟を着た僧侶が1人立っていた。
なんと美しい和尚か。江戸の和尚は垢抜けとるのぅ。なあ、アオよ。この辺りでちょっと待ってるんだぞ。
そう言うと、お殿様は和尚の元へ向かっていった。
和尚はお殿様に気づいてこちらを向くと、にっこり笑い、お辞儀をした。
お殿様は、和尚に連れられ境内へ入っていったのだった。
境内へ入ったお殿様は長い長い話を始めることになる。




