帰郷
膝枕で眠るお殿様。
月日は早いもので、お殿様がお寺を後にしてからもうすぐ1年が経つ。
お殿様は夕霧の膝枕で子供のように眠っている。
夜になっても、もう寒くなくなっきた。そうだった。もうお殿様ではない。今は夕霧の亭主に収まっている。
お殿様が死んだという噂は夕霧の旅籠にも伝わってきていた。
そんな、イヤ、信じられない!こんな事になるのなら、1度くらい閨を共にしたかった!と泣きながら道蔵が言うのを、夕霧はうんうんと頷き、2人で抱き合って泣いていた。
お酒を嗜むお殿様へと、2人、月を見上げて晩酌していた時のことだった。
お里が2人の元へきた。
あのう、お一人様なのですが、今から泊まりたいそうなのですが、女将さん、どうしましょ?
夕霧はすぐ行くわ。と道蔵を見ると、道蔵も立ち上がってご飯の用意に取り掛かるため、台所へと向かっていった。
身支度を綺麗に整え、夕霧はかしこまり、その客の前にきて挨拶をした。そして顔を上げ、その客を見た夕霧は、キャー!でたー!お化けー!
と叫んでしまう。
お里がその声にビックリしてやってきた。女将さん!どうしたんです?
だってこの人、湯本のお殿様よ?
でも女将さん、この人ちゃんと足がありますよ。とお里はお殿様の足を指差す。それに、ちょっと失礼します。とお殿様のお手をとり、手首に指を当てて言った。脈もちゃんと波打ってます。それに、とても暖かな手をしていらっしゃいますよ?
お殿様はお里に手をニギニギされて、鼻の下を伸ばしている。
それみた夕霧は、生きてたんですか?お殿様、死んだことになってますよ!どういうこと?
でもお殿様が生きていて良かった!夕霧はそう言うと、大人だけど、涙目になって、そのままお殿様に抱きついて泣きだした。お殿様は夕霧の背中を優しく叩いて黙っている。
アオと一緒に寺を後にしたお殿様は、どこにも止まることなくこの夕霧の旅籠まで走り抜けてきた。アオは旅籠の横の鎌ちゃんの小屋に勝手に入れたお殿様もクタクタだった。
少し落ち着いてきたころ、お殿様は夕霧にただいまと言った。そしてこうも言った。ワシ、死んだんじゃ。死んだら会いに来ると言ったであろう?夕霧、ワシは死んだんじゃ。
どういうことかの説明をする前に、お殿様は着ていた着物をサッと脱いだ。
たくましい身体があらわになって、夕霧はその背中に今までなかった深い傷をみた。
その背中に手をあてた。そしてそっと口づけた。
もうお殿様じゃないのね。お殿様は死んだもの。それでいい。それがいい。
夕霧、ワシ、ここにいても良いかな?
当たり前でしょ?化けてでも帰ってくるって言ってたものね。
少し疲れた。このまま眠ってもかまわないかのぅ?
お殿様は夕霧の膝枕で子供のように眠ってしまった。
料理を運んできた道蔵は、その2人を見て黙って料理を持ち帰った。生きていたのね。やつれた顔をしていたわ。きっと死ぬほどのことがあったのね。でも良かった。本当に。良かった。
それから早、1年。
お殿様はヤソさんと名前を変えて、髪も町人風に結い上げ直した。着物も小粋な柄に変え、なにより旅を履かず、素足となった。
そして、一から旅籠の手伝いを始め、今はお里の後輩になっている。
働かざるもの食うべからずで、アオと2人、朝の買い出しに、小さな紙に書いてもらい、朝早くから出発していくのだった。
何もかもが初めてのことで、お殿様はそれはそれは張り切って働いていた。
けれど、眠るのは、夕霧の横でしか眠れない。もう失うことが嫌だった。もう離れることもイヤだった。
賑やかになった夕霧の旅籠。




