お殿様のお忍び
旅籠についたお殿様
鎌ちゃんが旅立ち、辺りは夕暮れに包まれた。初秋の夕暮れは特に赤く美しい。
役人とお殿様は聡太郎のいた旅籠についた。
お殿様はこの屋でも1番庭の綺麗にみえる、聡太郎の好きだった部屋へと通された。
入ってすぐに目の前の庭に目を奪われる。
そこには緑色の生き生きとした葉をつけた立派な植木が綺麗に並んでいた。そしてここはどこか湯本家の庭に似ていると感じ、目を細めていた。
障子がスーッと開き、いらっしゃいませと、夕霧が挨拶した。
そこで役人が夕霧に、聡太郎様は、まだこの旅籠にいらっしゃるか。と聞いた。
お殿様は庭に目を向けて、それを背中で聞いている。まるで背中に耳が付いてるかのように静かに夕霧の言葉を待っていた。
さっき。今さっき、この屋を旅立たれていきました。
お殿様は天を仰ぎ、目を閉じた。
もう、旅立たれましたか。そうでしたか。
役人は旅立たれてしまう前になんとか間に合わせて差し上げたかったとお殿様に頭を下げた。
ここに聡太郎はいたのか。ここなら寂しくはなかっただろう。
なあ、夕霧?
振り向いて笑みを浮かべたその顔は、鎌ちゃんの面影をそのまんま残していた。
お殿様のそんな柔らかな笑みが、懐かしく、そのゆったりとした話し方もあの頃と同じで、一緒に過ごした時間がよみがってくる。
御子息は、この庭が好きでした。今のお殿様と同じようにここでそうして庭を眺めておりましたよ。ここでは鎌ちゃんと皆んなからそう呼ばれていたんですよ。
役人がお殿様に言った。
お殿様は役人をキッとみて、大丈夫じゃ。お役人。聡太郎は旅立った。ここには居ないのだろ?
いま何処にいるか探して参れ!
とはいえ、着いたところ。お役人も疲れただろう。部屋へ行き、ゆっくりしてまいれ。ワシは大丈夫じゃ。
うんうん。と機嫌よく頷くお殿様をみて、役人は、は!っと気づく。なんとイヤラシイあの表情!何かあらぬことを考えている!と気づいたが、相手は夕霧なので、大丈夫だろうと役人は、
ではお言葉に甘えてとお殿様の部屋を後にした。
なあ、夕霧?
聡太郎はワシのことを何か言っていなかったか?
鎌ちゃんは何も言いませんでした。名前も、何処からきたのかも。言いたくなかったんだろうなって思ったから、聞かなかった。
夕霧らしいのぅ。
覚えているんですか?
忘れはせぬわ。そなたと蛍見物に出かけた。
芸者の姿ではない夕霧と会うのは初めてだったのだぞ、忘れても忘れられんわ。そなたのうなじの白さまでも覚えているわ。
でもお殿様、そのあと私を置いて帰ってしまった!
だから覚えておるのだ!
あれから16年が過ぎたが、相変わらず美しいのぅ。なあ夕霧、あの続きをせぬか?
続きとは?
ワシの女に戻らんか?
お殿様!何処かの悪いお代官様みたいなことを言いますね。
そう言って笑う夕霧に、お殿様はまだ諦めてはいない。
そなたがうん!と言ってくれるまでワシャ帰らんからな!ずっとここに居てやるわ!聡太郎みたいに!ここに1年でも2年でもおる!
それは構いませんが、そんなに居ては高くつきますよ?
そんなことを言うでない。なあ夕霧、頼む。続きをしようではないか。
、、、。
お殿様、私があの頃の続きをお殿様としたら、私はどうなると思うのですか?あの時のようにまた16年という長い月日を、私はどう過ごしていけばいいのですか。お殿様のことを思い、思い焦がれてシワシワの婆さんになってしまったら、、。考えるだけで辛うございます。
シワシワの婆さんになった夕霧が、目に浮かんでしまったお殿様は、自分のしてしまったことの重大さに気づて、すまぬ!と一言謝った。
なあ夕霧、聡太郎の弟を産む気はないか?
きっと聡太郎も喜ぶぞ?
、、、。
お殿様。
もう夕霧は笑うしかない。側室にする気だ。
何も言わなければ、黙っていれば。聡太郎が行ってしまった悲しみに涙していたとしたら、夕霧の心は変わっていただろうに。
本当、黙っていれば良い男ね。
いつの間にかお殿様の部屋に入って、何故か一部始終を見てた道蔵が呟いた。鎌ちゃんとはえらい違いだわ。お父上と早く離れて正解だわね。
誰じゃ!何処から入ってきた!
料理を運びにきたんですぅー!ちゃんと表から入ってきました。
この屋の花板の道蔵です。
夕霧がお殿様に紹介した。
そなた、男がいるのか。そうだわな。いるわな。居ない方がおかしいわな。
男だけど、女の子よ。お殿様。たぶん、道蔵の好きな男ね。
なんじゃと?男なのに女とな?
わからぬ。
わからないまま、早く帰ってくれたなら、と思う夕霧だった。
鎌ちゃんのことを許してもらえるのか、それとも罪に問われるのか




