死神に恋した青年
余命1週間と医師に宣告された日の夜のことだ。
俺はその日の夜、窓の外を見ながら『余命』というものについて考えていた。
余命とは、死ぬまでの期間のことである。
余命3日と言われたらその人は3日で死ぬし、余命1週間と言われたらその人は1週間で死ぬ。
世間では、そういう風に考えられているだろう。
だが俺は、余命というものはそうではないと考えている。
余命3日と言われたその人は3日以内に死に、余命1週間と言われたその人は1週間以内に死ぬ。
余命とは、「その日まで生きられますよ」という意味ではなく、「その日までに死にますよ」ということ。
これが俺の考えている余命だ。
俺の宣告された余命は一週間。
つまり俺は1週間以内に死ぬ。
あるいは今この瞬間に死んでもおかしくない。
【死】というものは唐突にやってくる。
父も母も、不慮の事故で亡くなった。
俺が8歳の時の話だ。
俺の記憶の中にある両親は、決して悪人というわけではなかった。
父は仕事がどんなに忙しくても俺と母を蔑ろにする人ではなかったし、母も家事や育児をしっかりとこなしていた。
家庭問題もなく、どこにでもいる幸せな一家だった。
悪人と言うならば、飲酒運転をして父と母のことを轢き殺した相手のことだろう。
父と母は買い物へ行った帰りに、飲酒運転をしていた当時20歳の男に轢き殺された。
父と母は何も悪くない。
ただ歩道を歩いていただけ。
そこに運悪く車が突っ込んできただけ。
【死】というものは唐突にやってくる。
だが【死】というものは、必ずしも平等にやってくるわけではないのだ。
現に、俺は17歳にもかかわらず、ガンに身体を蝕まれている。
それもステージIV。
医師も匙を投げるほど症状は進行している。
17歳。
世間では若者と呼ばれる年齢だ。
若者がガンを発症させる確率は限りなく0に近い。
だが俺は今こうして、ガンに身体を蝕まれている。
【死】というものは平等に訪れるものではない。
寧ろ、不平等に訪れるものだ。
「……?」
俺は外の光景を見て首を傾げた。
―――雪。
今は9月。
夏、真っただ中だ。
それなのに、雪が降っていた。
そして雪とともに、それは降ってきた。
さもそれが当然だと言わんばかりに。
――パクパク。
窓の外で、宙に浮いている色白美人が口をパクパクさせている。
「ふふっ」
俺はその様子がおかしくて、思わず笑ってしまった。
窓が閉まっていて俺に声が届いていないということに気が付いたのだろう。
色白美人は顔を真っ赤にさせると、両手で顔を覆い隠した。
カチャッ。
内側にあるはずの鍵が、どういうわけか外側から開けられる。
「笑ってないで開けてくださいよ!」
窓を開け、頬を膨らませた色白美人が抗議の声を上げた。
「すまない。少しおかしかったものでね」
空から降ってきた色白美人と言葉を交わす。
傍から見れば異常な光景だろう。
だが俺は、それがおかしくてたまらなかった。
「よいしょ……っと」
色白美人が窓を跨いで病室に入ってくる。
窓を跨ぐ際、スラッと伸びた純白の脚が露わとなった。
「初めまして……ですね。私の名前は――」
――死神です。
病室に入ってきた彼女は、自らのことを死神と名乗った。
「初めまして、美しい死神さん。知っているとは思うけど、俺の名前は不知火 珀です」
俺は重たい体をベッドから起こし、ゆっくりと頭を下げる。
「随分と美しい死神……ふふっ」
目の前に立っている死神を見て、思わず笑みがこぼれた。
「な、なんで笑っているんですか?」
死神が困ったような顔をする。
……なんでだって?
「俺の中の死神のイメージは、黒いローブを纏っていて、手には大鎌を持っていて、それは心底恐ろしいものだったんです。それがどうでしょう? 目の前にいる死神からは、恐ろしさの『お』の字も浮かんでこない。これが笑わずにいられますか……ふっ……はははっ!!」
「イメージ通りの死神じゃなくて悪かったですね!」
俺の言葉を聞いた死神が、再び頬を膨らませてしまった。
感情豊かで、どこまでも俺の死神像を壊してくれる。
……よくよく考えたら、こんなに笑ったのはいつぶりだろうか。
父と母が亡くなった直後は、悲しみにくれた。
ひたすらに泣き続けた。
遠方の親戚に引き取られてからは、何もかもが色褪せて笑えなくなった。
……感謝……しなくちゃな。
何年かぶりに俺を笑わせてくれてありがとう。
「……いいですよ」
「何がですか?」
「俺のことを迎えに来たんでしょう? 早く連れて行ってください」
「……嫌です」
「……は?」
早く連れて行ってくれという俺の願いを、死神は断った。
「今日はダメです! 気分が乗りません! また明日!」
言いたいことだけ言って、死神は窓から飛び降りた。
空から降ってきたのだから怪我をすることはないだろう。
死神が怪我をするのかはわからないが……。
俺の頭の中は、色白美人の死神のことでいっぱいだった。
翌日の夜。
俺の目の前には、黒いローブを身に纏い、手に大鎌を持った色白美人の死神が立っていた。
「あはははは!!」
死神の姿を見た瞬間、俺は思わず爆笑してしまった。
「なっ!? なんで笑うんですか!!」
死神が顔を真っ赤にして怒り出す。
なんで笑うのかだって?
「……似合ってない」
そう、似合ってないのだ。
この色白美人の死神には、黒いローブも大鎌も似合っていない。
明らかに背伸びをしている。
例えるなら、胸の小さな女性がパッドで胸を盛って、「私の胸、大きいでしょ?」って言っているような感じだ。
「むきィーッ!!」
「あはっ……あはははは!!」
む、むきィーッって……。
どこまで俺の笑いのツボを刺激すれば気が済むんだよ。
「今日もだめです! あなたのこと連れてきませんから!」
色白美人の死神は、今日も俺を連れていくことなく窓から飛び降りた。
次の日も、また次の日も死神はやって来た。
だが死神は、お決まりのように俺を笑わせては、窓から飛び降りていった。
そしていつしか、俺は色白美人の死神のことを待つようになっていた。
医師が俺の余命宣告をしたのが1週間前。
つまり、俺は今日死ぬ。
……よく生きたもんだ。
1週間前の俺は、いつ死んでもおかしくないとか、死は唐突にやってくるとか、生きるのを諦めていた。
だが今は、1分1秒をあいつと共に過ごしていたい。
……命が惜しい……。
「……おっ」
雲一つなかった空が、雲に覆われていく。
俺はいつものように、あいつが雪とともに降ってくると思っていた。
だが、今日は違った。
ゴロゴロと、雷鳴が鳴り響く。
雪ではなく、暴風が吹き荒れる。
そしてそれは、いつの間にか俺の目の前に浮かんでいた。
「我、其方の命を頂きに参った」
目の前に浮かぶそれは、黒いローブを身に纏い、手には身の丈ほどある大鎌を持っていた。
それは、あいつが来る前に俺が想像していた、死神そのものだった。
だが――
「笑えねぇなぁ……」
――俺はそれを前にしても、まったく笑えなかった。
恐怖という感情は微塵も浮かんでこない。
俺に芽生えた感情は――怒りだった。
「いいか? 死神っていうのは、黒いローブも大鎌も似合わない、色白美人で俺のことを笑わせられるやつのことだ。お前みたいな図体がデカくて黒いローブと大鎌が似合ってるやつのことじゃない。そんな死神もどきが俺の命を奪いに来ただと? 冗談も大概にしろよ……」
俺は感情のままに……あいつのように、言いたいことを言いまくった。
「笑止」
目の前にいる死神もどきが大鎌を振り上げる。
そして死神もどきは、俺に向かって袈裟懸けに大鎌を振るった。
「だからよぉ……」
どうして出来たのかはわからない。
だが、俺は大鎌を片手で受け止めていた。
「俺が命をやるのは……あいつだけだって言ってんだろぉッッ!!」
――突如、雷鳴が鳴りやみ、暴風が収まった。
その代わり、いつものように、潸潸と雪が降っていた。
「君……何してるの?」
背筋が凍るほどの、冷たい声。
その声がする近くの窓からは、大量の雪が入り込んでいる。
路傍の石でも見るかのような視線で、あいつは死神もどきを見つめていた。
「な、何を……」
「……」
死神が無造作に右腕を振るう。
瞬間――死神もどきが物言わぬ氷の彫刻へと姿を変えた。
「おせーよ……」
「ごめんねっ!」
目の前の色白美人が、舌を出しながら謝罪の言葉を口にする。
「ふふっ」
自然と、笑みがこぼれる。
……そうだ。
こいつが俺の死神なんだ。
「……なあ」
「ん?」
「俺、最近自分が何のために生まれてきたのかを考えてたんだ」
ここ数日間、ずっと考えていた。
俺が生まれた意味。
「多分、お前に出会うために生まれてきたんだ」
「……」
「四六時中、お前のことを考えちまう。朝も、昼も、夜も……」
そして、今も。
胸が高鳴って、弾けてしまいそうだ。
「俺、初めてなんだけどなんとなくわかるんだ」
―――これが恋だって。
俺の言葉を聞いた死神が、目を見開いて固まった。
「好きだ。もう後戻りが効かないくらい、お前が好きだ」
「わ、私は……」
「待て、今は俺が話してる」
「……うん」
死神がキュッと口を結ぶ。
……悪いな。
「だけど、俺はもうすぐ死ぬ」
恐らく、持って数分。
そんな確信がある。
「だから、お前に一つお願いがあるんだ」
「……なに?」
「前に言ってたよな。人は死ぬと輪廻の輪に戻り、また生まれ変わるって」
四日目くらいだったか?
死神が教えてくれたことだ。
「ええ。そうよ」
「お前にとっては面倒なだけかもしれない。だけど、頼む」
―――生まれ変わった俺が死ぬとき、お前が生まれ変わった俺を迎えに行ってくれ。
「そんなのお安い御用よ! 何度だって迎えに行ってあげるから! だからっ!」
―――死なないでっ!
「おいおい……死神が死なないでって……ふふっ」
本当に……最後まで笑わせてくれるな……。
それでこそ……俺の死神だ……。
「なあ……最後にもう一つだけ頼んでもいいか……?」
「一つだけとは言わずに何度でも頼みなさい!」
「ははっ……それは……生まれ変わった俺に……言ってくれ……」
まだ……だ……。
まだ死ぬわけには……いかない。
「お前の……腕の中で……寝かせて……くれ……」
「腕の中じゃなくて、胸の中って言いなさいよ!」
ははっ……こりゃあ一本取られた。
もうほとんど動かなくなった身体を、死神がそっと抱き上げてくれる。
ああ……あったけえな……。
「そこに……いるか?」
「いるわよ! いつまでもいるわ!」
「そう……か……」
お前と出会ってから、俺の時は動き出した。
お前がいてくれたから、俺はまた笑うことができた。
「な……あ……」
「……なに?」
―――ありがとう。