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 「ちょっとぉ、離してよ! ワタシを縛ったことをまず、謝罪しなさいよ」

まだグダグダ言い続ける森実可の手を引き、僕はこの世界の僕が設計したという図書館の二階に向かった。

 正直、彼女の顔を先程見た瞬間は何故かホッとした。もちろん驚きはしたが、この訳の分からない状況で他人とは言え、知った顔がいるというのは大きいことなのだ。しかし、これが夢じゃないどころか、昨晩のことも夢ではないとなると……うちのキッチンと、ベッドルームにこの世界と繋がる〝ワームホール〟のような時空の歪みがあるということか? 『ドラえもん』の野比のび太の部屋にある、机の引き出しのような。そんな空想を膨らませているうちに図書館に辿り着いた。

 まるで、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの『バベルの図書館』を想起させる、巨大な円柱を取り囲む螺旋階段を昇り二階へ上がる。奥の方の巨大な本棚には、梯子が掛かっている。僕はこんな立派な図書館を設計した、この世界の僕を誇らしく思うと同時に、嫉妬のようなものを感じた。しかし、こんな予算が青天井みたいな設計をよく実現できたものだ。やはり、ファンタジーとしか思えない。

 「で? どこで気を失ったんだ?」

僕は引いていた手を離し、森実可に尋ねた。彼女は頬を膨らませ、そっぽを向いている。

 「……分かった。これで無事に戻れたら、何でも好きなもの食わせてやる」

 「……予算上限なし?」

女性が食べ物に関して目が無いのは、万国共通だ。いや、全時空共通と言っていいのか。

 「なし」

 「寿司と焼肉と天ぷらだからね!」

海外観光客みたいなセレクトだな……

 「三食奢るとは言ってない」

 「一食分に決まってるでしょ! 女の子をディナーに誘うなら、そのくらい覚悟しときなさいよ」

女性の胃袋侮るべからず……か。

 「……ああ、分かった。で、何処なんだ?」

 「あそこ、天文学の棚あたり」

森実可が指をさした方に僕は視線を送り、そちらに向かってゆっくりと歩いた。二メートルほどある木製の棚の縁に打ち込まれた青銅のような金属棒に、「天文学・Astronomy」という文字が書かれた、横長の木製プレートが吊り下げられている。棚には、科学雑誌『Newton』やスティーヴン・W.ホーキングの著書、アニメキャラクターが天体や星座を解説する児童向け本まで宇宙に関する様々な本が並んでいる。向かいの棚には科学・Scienceのプレートが下げられ、柳田理科雄の『空想科学読本』や人工知能に関する本が並んでいる。

 「何か読んでいた本のタイトルとか、著者の名前とか覚えてないか? 内容でもいい」

僕は、恐らく時空を越えた体験を本能的に覚えているのだろう、決して棚に近寄らないように務めている森実可の方に顔を向けて尋ねた。

 「ダークマター。リサ……何だったかな。ランドールだ! 恐竜絶滅とダークマターの話。でも、今日理科の先生に、ヴァーリンデって人がダークマターの存在自体、否定してるって聞いた」

 「お前、高校生だよな? どんな授業受けたら、そんな話を先生がするんだ? 今はそういう時代なのか(それともやはり夢の世界なのか)? ……まあ、いい。リサ・ランドールだな……」

 僕はリサ・ランドールの書籍を探した。プリンストン大学物理学部、マサチューセッツ工科大学およびハーバード大学で理論物理学者として終身在職権を持つ初の女性教授で、タイム誌の「もっとも影響力のある100人」にも選ばれた才女だ。理論はもちろん、その美しい容姿とロッククライミングやスキーが趣味という、爽やか過ぎる人柄で人気だ。彼女が脚本を手がけたオペラ『Hypermusic Prologue』がパリのポンピドゥーセンターで公演されるなど恐ろしい程のリア充ぶり……言わば、リケジョの星だ。鮮やかなチェリーピンクの装丁の『ワープする宇宙 5次元時空の謎を解く』の隣に、エバーグリーンのカバーで覆われた『ダークマターと恐竜絶滅』が収められていた。

 「あった」

まだ棚に近づこうとしない、森実可を尻目に僕は棚から本を抜き出した。帯には豊かなブロンドの長髪を持った整った顔立ちのリサ・ランドールが知的な笑みを浮かべている。まるで欲しいものは全て持ち合わせているような、満ち足りた表情に見える。僕は再度、森実可の方に顔を向けた。

 「おい、開くぞ。どのページだったか、覚えているか?」

 「覚えてない。パラパラ捲っただけだから……『二重円盤モデル』がどうとか……だったかな?」

 「できるだけ、忠実に再現した方がいいな。何がワープの引き金だったのか、分からないから」

僕は、本をパラパラ捲った。うむ、これは何も頭に入ってこない……僕は真剣な表情で先ほど「ワープ」なんて言葉を発した自分を思い出し、急におかしくなって笑ってしまった。『ダークマターと恐竜絶滅』を元の場所に戻し、再び本棚を眺めた。アルベルト・アインシュタイン、アイザック・ニュートン、ガリレオ・ガリレイ、ヨハネス・ケプラー……太陽中心説を唱えたニコラウス・コペルニクスの名前からイマヌエル・カントが「コペルニクス的展開」と自説を呼称し、以後、何かこれまでの常識を覆すような事例に対して「コペルニクス的展開」という言葉が用いられるようになった。今、僕が本気で「ワープ」なんて信じてることは本当に「コペルニクス的展開」だ。やはりただの夢なのか?

 「何が可笑しいの?」

森実可が何も起こらないと分かり、僕の背後から本棚を眺めながら尋ねた。「何が可笑しいの?」……僕が大嫌いな質問だ。いや、正確には「何で笑うの?」だ。そんなの可笑しいからに決まっている。笑いの意味を論拠立てて説明するなんて、この世界において一番無駄で意味のないことだと何故わからないのか。強いて言えば、「コペルニクス的展開」を迎えた、自分自身が笑えるという状況ということだ。そんなことを言葉で説明しなければならない相手とのカンバゼーションが一体何を生み出すというのか。

 「一つアドバイスしておこう。そんな質問は二度とするな、男にモテないぞ」

 「はぁ? 人生でモテるってことがそんなに大事なの? しかもLGBTが一般的に認知されるこの時代に異性にだけモテたってしょうがないでしょ。そんなの古い考えよ。大体、独身のあんたに言われたって何の説得力もないわ。セクハラだし」

 「そういう態度もいけないな。男には多少なりともプライドというものがあるんだ。実にくだらないものだが、そういうものなんだ。そういうことを思慮できる女性は愛されるんだよ。理想と現実は違うんだ。大人になればわかるが、そのときは手遅れだ」

 「時代は変わるの。早くその認識を変えないと、一人寂しく死んでいくわよ」

生意気な高校生だ。高校生なんていつの時代も生意気なものだろうが、ここまでとは。「最近の若者は」という台詞がいつの時代も絶えないのも頷ける。

 「うるさいな。余計なお世話だ」

 「そのままあんたに返すわ、その言葉」

ダメだ、高校生にムキになってはいけない。僕はとてもタバコを吸いたい気分になった。スーツのポケットを全て確かめてみたが、セッタは入ってない。僕は中村一義の「セブンスター」を頭の中のプレイリストで再生した。「糞にクソ塗るような、笑い飛ばせないことばっかな」という歌い出しが何度もリフレインする。 

 「あ、そう言えばワタシとあんたの夢の話なんだけど……」

 「……ん? ああ。何か他に思い当たることでもあるのか?」

 「思い当たるというか、先生に聞いた話なんだけど、ユングって人が言う『集合的無意識』ってやつで、夢は根底で繋がっているんじゃないかって説。あんた、前フロイトがどうって言ってたでしょ? ユングとフロイトは何か友達? 分かんないけど……」

 「ユングか。フロイトと親交はあったが、その『集合的無意識』の見解の不一致で決別したんだ。フロイトはそれを〝掃き溜め場〟のように捉えたが、ユングは〝神聖なもの〟として考えていた」

 「ふーん。ユングが言ってるみたいに、ワタシたちの夢もその『集合的無意識』で繋がってしまったんじゃないの?」

 「ふふふふ」

 「何が可笑しいの?」

 「その質問はするなと言っただろ。まあ、いい。ユングはお前の大嫌いな不倫をずっと続けていた人物だ。幼少期に父親から暴力を受け、精神異常を来した患者のザビーナ・シュピールラインという女性とSMのようなことまでしていた。そのほかにも愛人がいたようだしな。彼の理論をお前から聞くなんて、皮肉だと思ったんだ」

 「才能がある人物は大概ゲス野郎みたいね、やっぱり」

 「しかし、仮にそうだとしたらやはりこれは夢だということになる。まぁ、現実であるというよりマシだが……」

あれ? 視界が斜めに傾いたような気がした。地震か?

 「おい! これは……」


 ……ドクン!


間違いない。あの時の感覚だ。目の前が霞みはじめ、僕は膝から崩れ落ちた。視界の隅で森実可も倒れこんでいるのが見えた。


 二人が突然倒れた。しかし、今の会話は何だ? ワープだの、夢がつながるだの……

 「おい、しっかりしなさい!」

私は二人の肩を交互に揺さぶり、息があるか確かめた……どうやら眠っているみたいだ。しかし、一向に目覚める気配がない。どうなってるんだ?


 ん? 急に目が霞んできた……

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