第五話 バッグ・コンビニ・告白
「おい、いつまで乗っかってやがる」
そうキマイラの獅子頭に脅され、タクミは軽快に地面へと降り立った。それでも数メートルの高さはあったが、今のタクミなら問題はない。
むしろ、大変だったのはポーカーフェイスを保つことだった。口で威嚇しつつも、キマイラは降りやすいよう地面に伏せてくれたのだから。
そのキマイラは、そのままうずくまってタクミから視線をそらす。
これでは、地面にたたきつけられそうになったところを助けてくれた礼など言ったら、煽りになってしまう。感謝は心の中に止めておくしかなかった。
「タクミくん!」
そこに、息せき切ってレーナが駆け寄ってきた。
真剣というよりは必死なレーナに、タクミは恥ずかしそうに頭をかきながら口を開く。
「お陰で、なんとか生きているよ」
「よかったぁ……」
よほど心配していたのだろう。レーナは、ぺたんとその場に崩れ落ちた。頭頂部の犬耳も一緒にぺたんとしている。
(うんうん)
それを見て、タクミは一人満足そうにうなずいた。いや、この上なく満足していた。
そのまま自然な動きでレーナに手を貸し、スクールバッグを置いていた壁際へと移動する。
「うう……。肩を貸してあげたいのに、身長ががが」
「その気持ちだけで十分さ」
けれど、やせ我慢もそこで限界だった。
疲労と痛みに耐えかね――というよりは、ようやく我慢する必要がなくなり、タクミが壁にもたれるようにしてだらしなく足を投げ出した。
「タクミくん、少しだけじっとしててね」
タクミの前に立つと、レーナは手をかざした。
「《光子治癒》」
その手に白く暖かな光が宿った。タクミの頬にできた裂傷に触れると、跡形もなく消えていった。
慈愛に満ちた手つきで、顔から胴体、背中に足までさすられると、一緒に疲労まで抜けていく。
温泉につかっているかのような心地よさに、タクミは思わず目を細める。
「これも、山羊の頭が使っていたのと同じ、魔法のひとつなのかい?」
「う~ん。似てるけど、ちょっと違うかな」
魔法は、精神の根源である魔力を媒介に、術者のイメージに基づいて現実を改変する技術だ。
一方、レーナたち繰気者が用いる繰気術は、生命の根源である精髄を光子に変換する闘気法だ。
しかし、それを説明してタクミに理解してもらえるかは分からない。そのため、レーナは曖昧な笑顔で言葉を濁す。
サッカーとフットサルは外から見れば同じような競技だが、当事者からすると当然違う。
それと同じことだろうとタクミは納得し、治療を終えたレーナに頭を下げた。
「本当に助かったよ、レーナ。キミがいなかったら、僕はこの世にいなかったはずだ」
「ううん。最初に助けてもらったのはボクだし。それに、タクミくんの服は燃えちゃったし……」
「まあ、それは仕方がないのだけど……困ったね」
制服自体は特に惜しくもないのだが、犬耳美少女がボロボロの服を着ている光景は目に毒だ。理性には自信があるが、タクミは自らの良心をそれほど評価していない。
「バッグに、なにか入っていればいいのだが……」
「あ、そうだね。どうぞ」
レーナがちょこちょこっと動いて、地面に置いていたスクールバッグをタクミに手渡す。そんな何気ない動作ですら可愛らしい。
「なにが入っているの?」
「さあ? それは開けてのお楽しみだね」
本来なら教科書や授業中に読むための本などが入っていたはずだが、重みをほとんど感じないため、本当に予測がつかない。
「これで空だったら笑って構わないよ。代わりに、僕は神を呪おう」
「笑わないし、呪わないでッ!」
レーナの懇願を軽く聞き流したタクミは無造作にバッグに手を突っ込むと、怪訝な表情を浮かべた。
「タクミくん、どうしたの?」
「いや、なんて言えばいいんだろうね?」
「ボクに聞かれても困るんだけど……?」
タクミの隣に座ったレーナが、長く白い髪を指に絡めて困惑を表現する。
それは、今までほとんど迷いなど見せなかったタクミが曖昧な言葉を口にした。そのことへの困惑だった。
「というわけで、こんなものが出てきたのだが。着てみるかい?」
「なんだ。服を持ってたんじゃないか」
タクミがバッグから取り出したのは、透明の包みに入ったTシャツだった。
タクミにからかわれた。
そう誤解したレーナが、唇をとがらせ耳を前に傾ける。
「男物のワイシャツのようだけど、レーナでも支障はないと思うよ」
「ようって、タクミくんのじゃないの?」
「違うのだよ、これが」
そう言って、タクミはバッグの中身をレーナに見せる。
「……え?」
レーナは耳をぴんと立て、目を驚きに見開く。
それも無理はない。
バッグの中は闇――虚無が広がっていたのだ。気を抜いたら、吸い込まれてしまいそうなほど。
だというのに、タクミはまた再び無造作にバッグに手を突っ込んだ。
「ふうむ。どうやら、欲しい物を思い浮かべて手を入れると、希望の品が出てくるというシステムのようだ」
次にストッキングを取り出しつつ、タクミが推論を口にした。
パッケージにコンビニチェーンのロゴが入っているが、これもタクミの持ち物ではない。
原理は不明だが、仕組みが分かってきた。
フォルトゥナから呼び出された場所がコンビニだったことと、関係がありそうだ。
「そして、コンビニにない商品を思い浮かべても、無効と。医薬品が欲しいと思ったのだけどね」
次にタクミが鞄から手を出したが、その手は空。なんでも取り寄せられるとはいかないようだった。
「コンビニって?」
「生活の品がいろいろ売っている小売店のことだよ。品揃え専門店には劣るし割高だけど、その分、手軽だ」
「それは便利だね」
「うん。まさに、コンビニエンスだ」
Tシャツとストッキングの包みを破きながら、タクミは答えた。そのまま渡しても良かったのだが、このほうが親切だろう。
しかし、その配慮は微妙に通じず、綺麗なのにもったいないと、レーナは水色の瞳を丸くし、耳を前に伏せる。
「というわけで、プレゼントだ」
「あ、ありがとう。じゃ、じゃあ、ちょっと着替えてくるねっ」
タクミから服を受け取ると、すぐに、レーナが走り出した。宝物を埋めに行く犬のようで、タクミは自然と笑顔になる。
そうとは知らず、先ほどキマイラが作った石壁の陰へ、とととっとレーナが移動する。白くつややかな髪をなびかせていたが、すぐに引っ込んだ。
レーナは、周囲をきょろきょろと見回し、ピンと耳を立てた。それで人目がないことを確信すると、胸の上と腰の辺りのベルトを外す。
「ふう……」
縛めが緩んで、我知らず息が漏れた。
思い切って、白く大きな袖が特徴的なワンピースのボタンを外し、黒いインナーは脱ぎ捨てTシャツに袖を通した。
綿だろうか。肌触りは悪くない。というよりは、一応貴族令嬢の端くれであるレーナも満足するほど。
伸縮性も高いようで、身長に比しても大きな双球も綺麗に収まっている。もともと大きめだったからか、サイズもぴったりだ。
戦闘で使える物ではないが、それは望みすぎだろう。単純に衣服として考えても、金貨を出しても惜しくはなかった。
「そういえば、男の人からのプレゼントって初めてかも……」
ふと思いついたように、レーナがつぶやく。
かもではなく、明確に初めてだった。今さらながらその事実に直面し、頬にすっと朱が差した。
「い、今はそれどころじゃないし。タクミくんだって、そんなつもりじゃないもんね?」
誰にともなく言い訳をしつつ、長く白い髪を外に出す。膝丈までのワンピースを着直して、ベルトを締めた。
続けて、ブーツを脱ぎ、両手の親指をストッキングとふくらはぎの間に差し入れる。半円を描くように動かしながら、生地をのばさないように引き下げていった。ボロボロになっているのだからそこまで気を遣う必要はないのだが、いつもの癖だ。
黒いストッキングに覆われていた、真珠のように白い足がまろび出る。《無欠乃躯》によって回復したためか、傷はおろか染みひとつない。
絹のように、きめ細かい肌だ。
その足にタクミから受け取ったストッキングをかぶせていくと、前傾姿勢になったため、双球が重力に引かれ、長い白髪が垂れる。
健康的でありながら、色香が薫る光景。
しかし、レーナは自らがどれだけ魅力的か気づくことなく、タクミからうけとったストッキングの品質に驚いていた。
吸い付くような優しい穿き心地で、これまた悪くない。それなのに、タクミの扱いからすると、高級品でもないようだ。
「タクミくんの世界って、一体……。っていうか、別の世界から来た……んだよね?」
短い自己紹介とキマイラの口ぶりからすると、間違いないらしい。
異世界。
完全に伝説や伝承の領域だ。実在していたとは思わなかった。気になること。聞きたいことはいくらでもある。
「でも、今はそれどころじゃないよね……」
キマイラを本当に倒せるのか。そのほうが、よほど重要だ。ここで死んだら、異世界もなにもない。
「むむむ。なんか、タクミくんっぽい考えだ」
ブーツを履き終えたレーナは軽く苦笑して、石の壁から出てタクミの下へと戻っていく。
「おかえり、レーナ」
「ただいま、タクミくん……って、なに飲んでるの?」
「スポーツドリンク……運動した後に飲むといいドリンクだよ」
そう言うと、バッグから新しいペットボトルを取り出した。よく冷えているのか、表面には水滴が浮いている。
「ふたをねじって開けて、そのまま飲んでみるといい」
「む、ちょっと難しいね……」
ふたを開けるのに、やや苦戦しつつレーナもスポーツドリンクを口にする。
と、表情が一変した。
「はあぁ……。染み渡る……」
体の隅々まで水分が行き渡っていくかのようで、我慢できずに一気に飲み干してしまった。
「それに、ちょっと甘くて、美味しい……」
驚きに耳をぴくぴく動かしながら、幼いが整った美貌に笑みを浮かべるレーナ。
そこへさらに、驚きがもたらされる。
「ちょっと考えていたんだけど、このバッグはフォルトゥナのプレゼントかもしれないね」
「ええ!? フォルトゥナ様の!?」
「知り合かい?」
「そんなわけないでしょ! 幸運と成功の神様として有名なんだよ。というか、呼び捨て……」
「残念ながら、僕の神ではないからねぇ。まあ、気に障るようなら、これからはフォルトゥナ神と呼ぼう」
呼び名など、タクミにとっては大して問題ではない。そのため、歩み寄るのに支障はなかった。
それよりも、宿命を司る神が、幸運神として信仰される。その変容は、なかなか興味深いところだ。
「まあ、フォルトゥナ神の配慮に感謝……ということにしておこうか」
雑にまとめて、タクミは飲み終わったペットボトルをバッグにしまった。
「うん。そうだね。神への感謝は大切……って、ええッ!?」
あまりにも堂々としていて見逃してしまいそうになったが、タクミの蛮行にレーナは思わず飛び上がった。
「ん? どうしたんだい? いきなり大声をあげて」
「たたたた、タクミくん」
「ああ。僕は宮代巧だよ」
「ご、ゴミを入れたね?」
入れた、確かに。
このバッグの使い道は二通りあるようで、コンビニの商品を取り出せるほかに、物を入れることもできるようだった。
それは、さっきシャツの包装をバッグに入れたことで確認済み。
「皇帝の物は皇帝に、神の物は神に、飲み終わったらゴミ箱に、というだけさ」
「もう、貴重なマジックアイテムであるコンビニエンスバッグをそんな使い方しちゃダメ」
「怒られた上に、名前まで勝手に付けられている」
コンビニエンスバッグの愛され振りに少しだけ心を闇が覆うが、タクミはすぐに気を取り直す。
どこにでもあるようなバッグも、大切な相棒だ。ここは、ぐっとこらえようではないか。
「それにしても、フォルトゥナ神が成功も司るのであれば、僕も成功するかもしれないね」
「成功? そうだ。救世主ってどういうことなの? どうして、タクミくんがここにいるのか、聞いてもいい?」
「もちろん。ただ、荒唐無稽な話だから――」
「信じるよ」
タクミが口にしようとした免責を遮り、レーナは正面に回ってまっすぐに見つめる。
「タクミくんのこと絶対に信じるから。だから、嘘やごまかしはなしで話して欲しい」
「……分かったよ。僕の負けだ。全部正直に話そうじゃないか」
そしてタクミは、すべてを語った。
宿命の女神フォルトゥナとの邂逅も、自らの能力も、すべてを。