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第四話 キマイラ・十の難行・一日目

 地球では見ることのできない大きな月から視線を戻したタクミは、隣に座るレーナをなるべく見ないようにしながら問いかける。


「ところで、レーナ。ひとつ確認しておきたいのだけど――」

「さあて、タクミよ」


 けれど、最後まで言い終えることはできなかった。


「そんじゃ、今日の分を始めようじゃねえか」


 ようやく一息ついたタクミとレーナの事情など知ったことかと言わんばかりに、キマイラが立ち上がり咆哮を響かせた。


 気まぐれでは片付けられない豹変に、レーナが抗議の声をあげる。


「続きって!? それは、明日からなんじゃ――」

「なるほど。そっちの言い分は正しい」

「フフフ。ルールだけで期限を決めなかったのは、失策よねぇ」

「まったくだ。だが、そこを突かれるとは……そちらが一枚上手だったね」


 激昂するレーナに感謝しつつも、タクミは蛇の頭に自らのミスを認めた。


 気まぐれなどではない。


 秩序――ルールを厳格に適用しただけなのだ。


 タクミはゆるゆると立ち上がっ……たつもりだったが、常人の二倍もある敏捷が関係しているのか。思ったよりも機敏な動作で、キマイラと相対してしまう。


「だったら、ボクも――」

「ま、嬢ちゃんとは途中だったしな。まとめてでも、オレはまったく構わねえぜ」

「いや、ここは僕一人でやらせてほしい」


 だが、タクミはレーナの助力を拒絶した。


「……そっか。ボクは、足手まといだよね……」

「現時点では、そうだね」

「はっきり言われたよ!? ここは、こう、もうちょっと慰めるところじゃないの!?」

「だって、僕はレーナのことを知らないし、レーナも僕のことは知らないだろう?」

「それは……そう。そうだね」

「今回と、次回もかな。まあ、しばらくは様子見だから、ここで応援してくれたまえよ」

「……うん。分かった。頑張ってね、タクミくん」

「もちろんさ」

「でも、危なくなったら助けに行くからね!」


 これで一件落着だが、そのやりとりを第三者も見ていた。


「ウフフフフ。いやだわ。紳士ねえ」

「邪推はやめてもらおうか。連携が取れないのに、二人で戦っても仕方がないだろう?」

「そりゃそうだ。だが、気が変わったら、いつでもかかってこいよ」

「まあ、そういう解釈も間違いではあるまい」


 山羊の頭が雑にまとめた。そういう問題ではないと説明しても、獅子の頭は納得はしないだろう。慧眼と言えた。


 内心で素直に賞賛したタクミは、軽く息を吐きキマイラを見上げた。

 彼我の距離は、10メートルほど。レーナは立ち上がり、こちらをじっと見つめている。


 場は、整った。


「じゃあ、始めようか。十の難行、一日目だ」

「いくぜぇっっ!」


 前置きも読み合いもなにもなく、獅子吼とともにキマイラが突進する。レーナは、思わず身をすくめた。


 巨大な――否、そう表現するのもおこがましいほどに巨大な複合怪物。トレーラーが突っ込んでくるかのような迫力。

 もはや、タクミが知る生物の範疇を遥かに超えていた。


「ドラアァッッ」


 鬱憤を晴らすかのような、強引な一撃。

 実際、素人でしかないタクミを相手にするには、それで充分。


 巨大な獣の足が、死そのものとなってタクミに迫る。


 第一撃。


 月明かりが遮られ、タクミの全身を影が覆う。


 猛烈な勢いで迫ってくるはずのキマイラの足が、スローモーションになった。

 人に叩きつぶされる羽虫は、こんな気持ちなのか。


「いや。考えるな、感じるな」

「タクミくんッ!」


 レーナの悲鳴が遠くに聞こえる。


 そのタイミングで、ようやくタクミは動いた。


 自分でもわけが分からなくなるほどの速度で右に飛び、その直後、先ほどまでタクミが立っていた地面をキマイラの前足が圧砕した。


 風が逆巻き、震動で体が浮く。反射的に、手で顔を覆ってしまった。


 だが、被害と言えば、それだけ。


 回避に成功した。

 偶然でも奇跡でもなく。狙った通りに。


「ほう……」

「人間、やればできるものだね」


 どうやれば、キマイラの攻撃を回避しきれるのか。

 そんなこと、分かるはずがない。


 あれを食らった末路など想像するまでもなく、想像したくもない。


 では、どうするのか?


 簡単だ。ただ、体が求めるまま動けばいい。なにしろ、今のタクミは知力よりも意思力よりも、敏捷力が上だ。


 その結果が、これだった。


「なんじゃ、情けないのう」

「るせぇッ」


 山羊の頭に煽られ、獅子の頭が前足を払うかのようにして追撃を放つ。


 第二撃。


「すまないが、黙って待っているほど素直ではないものでね」


 しかし、そこにはタクミの姿はない。すでに、キマイラの反対側。それも、10メートルは向こうへ移動していた。


 タクミ自身も驚く移動速度だ。


(なるほど。今の僕は、常人の二倍で動けるということか)


 タクミは、あえて問題を単純化した。

 高校生の100メートルの平均タイムは、14秒台。時速で言えば、25キロほど。その倍となれば、時速50キロだ。あの巨体が付いてこられるとは思えない。


 ――というのは、キマイラを侮りすぎていた。


「うぜぇ!」


 意地でも、叩きつぶすつもりなのか。

 キマイラは素早く反転し、肉食獣のしなやかさでタクミを追う。


 第三撃。


 充分に加速し、獲物を狩るため跳躍するキマイラ。

 思わず見ほれてしまいそうになる優美な姿態。異形であることがゆえの美。暫時、命を狙われていることすら忘れてしまう。


 このまま狩られるのが、自然な形なのではないか。そう勘違いしてしまいそうになる。


 キマイラは一瞬で彼我の距離を詰め、鋭い鉤爪を持つ前肢を叩きつけるかのように振り下ろした。


 しかし、その攻撃は《並列思考》を起動中のタクミの予想範囲内。


「懐に入ってしまえばッ!」


 常人の二倍となった敏捷の恩恵は、移動速度だけではない。

 反射速度も、そうだ。


 充分に攻撃を引きつけてから、タクミは飛んだ。加護を注ぎ込んで得た反射速度のお陰で、充分間に合うタイミング。


 キマイラの跳躍攻撃により破砕され飛散した岩盤を背に、タクミはキマイラの体の下に入り込む。


 だが、まだ体の制御は未熟。


「くぅ……ッ」


 着地しきれず、地面に転がってしまった。


「タクミくん! 蛇の頭が狙っているよ!」

「……くっ」


 本来死角となるべき、巨体の直下。


「ンフフフフ。アナタ、なかなかやるわねぇ」


 そこに、ぬぅと蛇の頭が伸びてきた。


 第四撃。


 タクミは起き上がることなく、固い地面を転がって距離を取った。とがった石が頬を切り裂き、血が流れる。

 見えないが、背中や後頭部も、同じように出血しているようだ。


 だが、死ぬよりはずっとまし。


 タクミの目の前で、蛇の顎が閉じた。丸呑みか、牙に噛まれるか。そんな未来を、ギリギリで回避する。


 脅威を、死を、文字通り肌で感じた。


 今、レーナの耳は、どうなっているのだろう。興奮して立っているのか、それとも、心配してぺたんとしているのか。

 それを確認する暇もない、毒蛇による追撃。


 第五撃。


「そんなに避けられると、傷つくわ」


 蛇の頭が、さらに伸びる。

 蛇の表情など分かるはずもないが――明らかに笑っていた。


 タクミにそれを気にする余裕はなく、また、立ち上がる余裕もない。


 全力でゴロゴロと固い地面を転がって、タクミはなんとか蛇の頭から逃れた。さすがに、尻尾の長さも有限だ。

 ただ、地面を転がる速度すら上昇しており、タクミは思わず笑ってしまった。こんなことを続けていたら、先に三半規管が根を上げてしまいそうだ。


 回転しながら、その勢いを利用して立ち上がり、また全力でキマイラから離れる。


 敏捷を10から22まで上げた恩恵は絶大だった。キマイラの攻撃にも対応できるほどに。

 ただし、それを支える体力が不足していた。


「ハァ……フゥゥ……ハアァ……」


 蛇頭の連撃をかわしきると、立ち上がりはしたものの動けなくなってしまった。

 息が上がり、肩で呼吸する。めんどくさそうに、流れる血を振り払う。


 もう半分か。まだ、半分か。


 唯一の心の支えは、攻撃を回避する度に貯まっていく加護の値だろうか。

 14まで減り、レーナを助けたことで36に増えた加護は、141まで戻っていた。


「まったく、神も嘉し給うだ!」


 自棄気味の叫びには誰も答えず、代わりに、今まで沈黙していたキマイラの山羊の頭が動く。


「やれやれ。足りぬ足りぬは工夫が足らぬじゃ――《|《円環拘束》リップルバインド》」


 第六撃。


 山羊の角の先に光が集まり、3メートルほどの光輪がひとつ打ち出された。


「これが魔法かッ」


 走るタクミ。追う円環。

 確証はないが、どうやらこちらの足を奪いに来たようだ。フォルトゥナが言う円環の勇者とやらを目指すタクミに対して使うには、なかなか気の利いた魔法だった。


 タクミは、丸い空間を壁沿いに走って逃れようとする。体の痛みに顔をしかめそうになるが、速度はタクミが上。瞬間移動と見まがう速度で、キマイラの住処を駆け抜ける。


 その途中、無造作に積み上げられた武具や白骨の山に遭遇した。

 一歩間違えたら、タクミもこの名もなき英雄たちの仲間入り。そう言っているかのようだ。


「わざわざこっちに追い詰めるなんて、性格の悪さがにじみ出ているね!」

「なんのこれからよ――《地形操作(ウォーフィールド)》」


 第七撃。


 不意に、足下がぐらついた。

 タクミの膝が崩れ、傷が開く。それでもなんとか立て直したところに、目の前に石壁が出現した。


 それを左回りに避けると、今度は足下に落とし穴が現れる。


 魔法により作り上げられた、即席アスレチック。


「異世界まで来て、なんで僕はこんなことをやっているんだろうね!?」


 穴の縁でジャンプして飛び越える――移動速度とともに、ジャンプ力も上昇していた――と、次は目の前にピラミッド状の岩山がそびえ立っていた。今度は、迂回もできない。

 全力疾走したあげく、山登りまでやらされるのか。


 それはいいとしても――良くないが――体力が、そろそろ限界だった。


 耐久を上げれば、一緒に持久力も上がるだろうか。

 そんな誘惑に駆られてしまう。


「でぇいっ。初日から、無駄遣いはできない!」


 意思の力で体を奮い立たせ、タクミは土の山を駆け上る。


「見事見事」


 愉快なものが見れたと、山羊の頭が呵々と笑った。

 同時に、山がずぐずぐと溶け始める。


「自分の足で下山してこその登山だと、アルピニストも言っていたね!」


 タクミは登頂直後に降りなければならない理不尽を感じながら、慌てて駆け下りていく。


 第八撃。


 アスレチックを超えた先に、蛇頭が大きく口を開けて待ち構えていた。

 視界いっぱいに、蛇の口内が広がる。ぬらぬらとした舌が蠢く。気味が悪い。逃げ場はない。


「いらっしゃい、ボウヤ」

「ちぃぃぃっっっ」


 いつの間に、回り込まれていたのか。それを考える暇もなく、タクミは、急ブレーキをかけた。

 それ以外には、避ける方法がない。常人の二倍以上の速度が、裏目に出た。


 目の前で、ガキンッと、牙がかみ合わされる音がする。

 なんとか、蛇の餌にならずに済んだ。


 それに安心する間もなく、急ブレーキで負担をかけた足を酷使し、横に飛ぶ。立ち止まっては、最初の魔法の餌食だ。


 しかし、魔法は来ない。タクミを追尾していた光の輪は、いつの間にか消えていた。


 まさに、無駄足。


「タクミくんっ! 大丈夫なの!?」

「もちろんさ!」


 嘘だった。

 足が折れそうだ。靱帯を痛めたかもしれない。体のあちこちの傷も、じくじくと痛む。


「それでも、死ぬよりはましだがね」


 苦しい。苦しいが、それでも、タクミはにやりと笑った。心は、折れていない。


「足を止めたの、異邦の子よ――《重力反転リヴァースグラヴィティ》」


 第九撃。


 そのやせ我慢を打ち砕くかのように、タクミの足下に、見覚えのない文字からなる魔方陣が浮かび上がった。


「足が着かねば、その速度も活かせまいて」

「足が地に着かない子だと言われていたのが、いつの間にばれてしまっていたようだね」


 タクミの足が地面から離れ、天井へと落ちていく(・・・・・)。魔方陣の周囲で、重力が逆に作用しているかのよう。

 手足をばたつかせてもどうしようもない。タクミは、なすがままに上昇する自分を受け入れることしかできなかった。


(まるで、かぐや姫だ)


 天頂で輝く月を視界に収めつつ、タクミは、口の端を上げる。


「タクミくん!」


 レーナの悲鳴を聞き、タクミではなくキマイラの獅子頭が愉快そうに残酷な笑いを浮かべた。


 最後は、どの頭からの攻撃になるのか。


 それは、分かっていた。


 主人格であるらしい、獅子の頭。その口腔に、赤々とした炎の球が出現する。


「受け取りやがれ!」


 第十撃。


 巨大。

 他に表現のしようがない火球が、タクミに迫る。呑み込まれたら、熱さを感じる間もなく骨さえ残さず燃え尽きることだろう。ある意味、理想の死に方かもしれない。


「タクミくん、これを――《光化(フォトンクラスト)》!」


 今まで見ていることしかできなかったレーナが、タクミへ向けて彼の上着を放り投げた。

 そんな布が、タクミまで飛ぶはずがない。


 だが、繰気者(キャリバー)であるレーナが精髄(エッセンス)を付与した上着は、回転しながらタクミの頭上へと到達した。


「死んじゃイヤだよ!」

「かぐや姫とは、身の程が過ぎた連想だったようだ」


 精髄(エッセンス)により固化した上着は、中空にあっても足場として申し分ない。タクミは空中でぐるんと一回転し、制服に着地した。

 とても自分にできる動きではないと思いつつだが、同時に、これくらいこなせるだろうという根拠のない自信もあった。


 レーナの声援も、効果があったのかもしれない。

 両足に力を込め、飛び出すように跳躍。一気に、《重力反転リヴァースグラヴィティ》の効果範囲を抜けた。


 物理法則が正常化し、タクミがきちんと地面へと落下する。


 その横を、火球がかすめ通過していった。


 刹那。背後で、大爆発が起こった。天井に開いていた穴がさらに広がり、落石起こる。

 爆風にあおられ、タクミが地面に衝突――しかけた、その瞬間。


「フンッ。これだから、人間はめんどくせえ」

「……さすが、誇り高き神話の怪物だ」


 タクミは、キマイラの上に乗っていた。落下するとき膝でクッションを作ってくれたらしく、怪我どころか痛みもほとんどない。


「約定の10回をしのがれた後に死なれては、こちらの沽券に関わるというものよ」

「ルールはルールだものねぇ。ウフフフフ。これで終わっちゃ、面白くないわぁ」


 山羊の頭が、すべてを見透かしたかのように。蛇の頭が揶揄するように言う。

 その相手は、もちろん、タクミではない。


「今回だけだ。次はねえからな」

「その言葉はもっともだと思うけれど、僕に凄むのは筋違いじゃないかい?」


 器用に背中を振り向く獅子頭に苦笑を返しながら、タクミは手足を投げ出して寝っ転がる。


「それにしても、疲れた。精も根も尽き果てたよ……」


 だが、それだけ。少なくとも、命に別状はない。


 意外と柔らかく寝心地のいいキマイラの背で大の字になって、タクミは生と勝利をかみしめた。

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