第二話 近過去・転移・遭遇
そして、宮代巧は異世界へ降り立った。
異世界でタクミが初めて見たのは、目の前で少女が怪物に踏みつぶされようとしている光景だった。
獅子、山羊、蛇。三つの動物がひとつとなった、巨獣に。
そんな状況だというのに、タクミは少女の月光にきらめく白髪に目を奪われてしまった。地球では見たこともない、宝石を溶かしたような美しい髪だ。
動きやすいようポニーテールにまとめていて、白いうなじが見える。背は高くないが、手足はすらりと長く、健康的な美を感じさせた。
だが、なによりも気にすべき点は他にふたつある。
ひとつは、大きな水色の瞳が、恐怖に見開かれていること。
そして、もうひとつ。
彼女の頭頂部には、犬のような耳が生えていた。
(ネコミミだ)
(いや、イヌミミだ)
(僕が救うのは、ファンタジー世界だったのか)
「なんて、ホットスタートだ!」
円卓の間から《万象体系》を展開させたままだったのが、幸いした。
いきなり異世界の洗礼を受けたタクミは、いくつもの思考を同時に展開し、瞬時に状況を見極めていく。
(まず、助けるか否か)
(いや、違う。助ける方法があるかどうかだ)
(早速だけど、加護を消費するしかないだろう)
(あの耳、まがい物やファッションではなさそうだ。さすが、異世界)
(消費するとして、どの能力に割り振る?)
(常人の二倍程度で効果があるのか? 相手は、あの怪物だぞ)
(ギリシャ神話のキマイラだな)
(犬耳にキマイラ。完全にファンタジーの世界だ。さすが、異世界)
相手は、獅子、山羊、蛇。三つの動物がひとつとなった、巨獣。
徒手空拳――なぜか、ネイビーのスクールバッグはそのままだったが――で敵うはずがない。いや、武器を持っていても、結果は同じだろう。
「なら、答えはひとつだ!」
この決断の早さこそ、フォルトゥナが見込んだ素質だったのかもしれない。
地球の常識を照らし合わせれば異常としか言えない状況にも即座に対応し、タクミは結論を出す。
同時に、体が淡い光を帯び、泡沫のように消え去った。それに従い、左目に投影されている能力値も変化する。
●能力値
筋力 耐久 器用 敏捷
10 10 10 22
知力 直感 意思 外界
13 10 16 10
魔力 精髄 信仰 調和
10 10 ― ―
加護
14
加護をすべて、敏捷に割り振った。否、注ぎ込んだ。
体に、今まで感じたことがないほどの力がみなぎってくるのを感じる。それに導かれるかのように、タクミは大きく一歩踏み出した。
「おお、おッ」
今までに感じたことがないような加速。というよりは、感覚的には瞬間移動に近いか。
「え? え? 誰なの?」
気づいたときには、少女の顔が間近にあった。
直前まで恐怖に歪んでいた水色の瞳は、困惑に変わっている。
細く形のいい眉は垂れ下がり、可愛らしい小さな顔は驚きにぽかんとしていた。
しかし、それに見とれている場合ではない。
(アニメとかの演出で見たことあるね、これは)
思考のひとつはそんな気楽なことを考えていたが、少女は未だ動くことができず、キマイラの足は目前に迫っている。
「口を閉じて」
「きゃああっ」
タクミはもう一度加速し、美少女に抱きついた。
(危ない。日本でやったら、通報ものだ)
かわいらしい悲鳴を聞きながら、タクミは少女と一緒に地面を転がる。
ごくごく単純に考えて、常人の二倍の速度で飛び込んだのだ。とんでもないスピードで固い地面を転がり、頭や背中に鈍い痛みが走った。
他に方法はなかったとはいえ、その衝撃に、一瞬呼吸が止まる。
だが、この程度で済んだのは僥倖だ。
つい先ほどまで少女がいた場所をキマイラの巨大な足が通過し、地面が波打つ。
ビルが、自らの意思を持って襲いかかってきたようなものだ。かすりでもしたら、それだけで致命傷だったろう。
命の危機を脱した。
だが、恐怖は去らない。少女が、タクミの腕の中で身をこわばらせる。
そのタクミはが考えていたのは、まったく別のこと。
「……耐久を上げておかないと、こういうときに大変なのか」
視界の端に投影されたままの能力値を眺めつつ、貴重な知見を得たと、タクミは独りごちる。
筋力 耐久 器用 敏捷
10 9/10 10 22
知力 直感 意思 外界
13 10 16 10
魔力 精髄 信仰 調和
10 10 ― ―
加護
35
能力値低下による悪影響や能力値自体に多少気になる部分もあるが、今はそれよりも腕の中の少女だ。
「かなりの勢いで転がってしまったが、大丈夫かな?」
「うん……。大丈夫だよ、ありがとう……」
「それはなによりだ」
タクミは、改めて押し倒してしまった少女を見つめる。
服装は、白く大きな袖が特徴的。胸の上と腰の辺りを斜めにベルトで縛り、裾は膝丈までしかないワンピース状で、黒いインナーを身につけている。
ブーツは厚底の実用品で、その足を覆う黒いストッキングには白い花の柄が描かれていた。
しかし、その服はあちこちが破け、手にした剣も根元から融解している。
「あのうぅ……」
不躾な視線を向けられ、少女は恥ずかしそうに目をそらす。困惑の証拠に、犬耳がパタパタと動いていた。
「なるほど、なるほど」
タクミは、それを気にした様子もなく――実際、気にしていないのだが――一人納得した
「なるほどって、どういうことなんだい!?」
「いや、かわいいは正義という格言をかみしめていたところさ」
「それは、ひどい格言だね……」
「もっともだ。しかし、真理でもある」
雑に同意しつつ、タクミは少女に肩を貸して立ち上がった。そうしながらも、視線はキマイラをまっすぐに見つめている。
恐怖は感じない。
やるべきことを、やるだけ。
その一歩として、タクミは“敵”の解析を試みる。
「《万象体系》」
彼我にどれだけ実力差があろうと、関係ないようだ。ランクが関係しているのかどうかは不明だが、右目に複合怪物――キマイラの解析結果が投影された。
●固有情報
名前:キマイラ・オリジン 年齢:4219歳 性別:―
属性:秩序・悪
●能力値
筋力 耐久 器用 敏捷
720 1240 20 32
知力 直感 意思 外界
28 20 44 5
魔力 精髄 信仰 調和
280 1004 ― ―
加護
―
●才覚
《融合怪物古代原種》 Rank:Immortal
――打ち砕く獅子。思慮深き山羊。享楽の毒蛇。三位一体は三乗の力をもたらす。
《可能性の源》 Rank:Immortal
――敗者に死を。勝者に無限の可能性を。
絶望的な結果が。
(“餌”の割には、単純に強すぎる気がするね)
(まさに、一騎当千だ)
(僕よりも頭がいいのか、こいつは)
(文字通り、桁が違う)
(自力で餌を取れない勇者は、不要ということらしい)
(これくらいの相手に勝てなくちゃ、この先に進めないという意味かもしれないね)
そう《並列思考》で自嘲しながらも、タクミは思考を止めない。
「いきなり出てきて、オレの獲物をかっさらうとはいい度胸じゃねえか」
巨獣――キマイラからすくみ上がるような重圧を受けても、タクミはひるまない。三重の思考で考え続け……。
(しかし、敏捷に注ぎ込んだのは間違いじゃなかったね)
(結果論以外の何物でもないが)
(それが正しいかどうかは、《異世界知識》が僕の想像通りかどうかにかかっているけれども)
(他に選択肢は……)
(ないね)
そして、結論を導き出す。
「一撃だ」
タクミは人差し指を突き出して、巨獣に向かって宣言した。
「僕はただ一撃でキミたちを倒すぞ、キマイラ」
――と。