第一話 近過去・召喚・転移
「神は発狂している」
円卓の一角を占める少女が、淡々と事実を告げた。
鮮やかな青い髪は緻密なまでに整った相貌と組み合わさり、現実離れした美を世界に突きつけている。
唇は薄く、それでいて艶やか。青い髪を彩る城壁冠には、車輪のモチーフがあしらわれていた。体躯は小さく細い。女子中学生ほどに見えるが、それで威厳が失われることは断じてなかった。
眉は優美な曲線を描き、対面に座る黒髪の少年を見つめる瞳は、猫のように大きく目尻がきゅっとつり上がっている。
少女に相対する少年は意志の強そうな目を閉じ、椅子の背もたれに体重を預けて、しばし思案に身を委ねた。
神の実在など一欠片も信じてはいなかったが、今はそれは脇に置く。その前提を外しては、この会話は成り立たない。
神――つまり、人を超越した存在が精神に異常をきたすのかという疑問も同様に。
とはいえ、少女の言葉を受け入れたとしても、発狂の仕方と度合いによって話は変わってくる。
偏執症、退行、自己愛、恐怖症、暴力癖、錯乱、自傷癖、強迫観念、健忘症……。狂気の形など、いくらでもあるのだから。
「分かりやすく言えば、多重人格なのだよ。我らの神はね」
「なるほど。つまり、キミたちの神は万能であり不能ということになるのかな」
「その通りだ、ミヤシロ・タクミ」
自らが持ち上げられない石を作ることができる。
同時に、それを持ち上げられる人格も存在する。
なんでも、できる。
同時に、なにもできない。
少女の言う神は、そういう存在だった。
「ゆえに、妾ができることも限られる」
「それは、キミが神の人格のひとつでしかないから?」
「……然り、然り」
虚を突かれた青い髪の少女は、次の瞬間、花が開くかのように笑った。
予想外を驚くかのように。予想以上を寿ぐかのように。
「妾は大いなるものから派生せし、宿命の神フォルトゥナ。よもや看破されるとは思わなんだが」
しかし、その感慨も、少年――タクミには共感を得られなかった。
「それよりも、ひとつ聞きたい。記憶が確かなら、僕は休日の昼食を調達するため、コンビニにいたはずなのだがね」
それなのに、今は、高校の制服を着てこんなところにいる。足下には、ネイビーのスクールバッグまで置かれていた。
不機嫌さを表明するかのように円卓の端を指でとんとんと叩いてから、タクミは挑発的に周囲を眺め回す。
中央に円卓が設置された、石造りの空間。飾り気はないが荘厳で、城館の一室であると同時に宗教施設のようだった。
天井は高く、その中心はガラス張りで、昼間だというのに月が見えた。
巨大な。地球の月の数十倍はあるだろう巨大な月が。
非現実的だが、夢や幻覚。あるいは、良くできたVRとは異なるリアリティを感じる。
「それは、僕がこんな場所に呼び出されたのと関係がある話かな?」
続けて、やや不機嫌そうに鼻を鳴らして言った。
だが、半分はポーズに過ぎない。興味がなければ、相手が誰であろうと席を立つ。それが、父を亡くして以降、一貫したタクミの在り方なのだから。
「あるのだ。大いに」
少年の挑発に、少女は挑戦的な瞳と口調で応戦した。
「一年後――運命の日に、この世界は滅びる」
「僕に、それを救う力があるとは思えないんだけど?」
「然り」
宿命の神を自称する青い髪の少女は、事も無げにうなずいた。
「だが、力が不足であれば成長すればいいだけの話」
「道理だ。けれど、なぜ僕が選ばれたのか、はっきりしないな」
論理的な説明を求めるタクミに、フォルトゥナは表情をまったく動かすことなく言う。
「必要なのは、絶対に挫けぬ強靱な意思、物事を強力に進める推進力、窮地を好機に変える機転」
「それが、僕にあると?」
「妾が観察した範囲では、最も」
タクミは意志の強い黒い瞳を女神の美貌に注ぐが、氷のように美しく、変化はない。細々としたことを説明するつもりはないようだ。
ならばと、タクミは与えられた条件から答えを導き出そうとする。
「つまり……。他の人格、いや、神格か? とにかく、他の同格の存在が干渉してくるので、神が直接介入はできないということになるのかな。世界が滅びそうだというのに?」
「いかにも。単純に信じぬ神もおれば、面白そうだからと邪魔する神もおる」
「滅びを求める神もいそうだ」
タクミがシニカルな笑いを浮かべるが、フォルトゥナからの反応はない。挑発に乗るつもりはない……というよりは、事実その通りだと認めているようだった。
それに、まだ、肝心な話が抜けている。
ここは、一体どこなのか。
「一年後、この場で円環の六勇者による円環会議が開かれる」
「それが、崩壊の引き金?」
「恐らくは。しかし、妾にも詳細は分からぬ」
円卓の空いている席に、立体映像が現れた。
映像自体が荒いというよりは、こちらの認識が阻害されているのだろう。誰かが座っているということは分かるが、顔も性別も判別できない。
それでも、全員が、驚愕してることが伝わってきた。
続いて、真っ白な光が視界を灼く。
それが収まると、驚愕に支配されたまま、彼らは手足の先から少しずつ少しずつ赤黒い炎に包まれた。
そして、紙人形のように燃え尽き――消滅した。
仮にも勇者と呼ばれた英雄たちが、なんの抵抗もできず死んだ。その世界の常識に照らし合わせれば、大事件なのだろう。
そう解釈していると、映像が砂嵐のようなものに切り替わり、やがてそれもぶつんと途切れてしまった。
「これ以降、いくら妾が観察を試みても、この先の未来は見えぬ」
「それが世界の滅びを確信した理由、か……」
存在しないものは見えないだろうからねと、タクミは居住まいを正してうなずいた。
「世界の滅びに、そっちの世界の人間が関わっているかもしれない。だから、まったく無関係な僕を呼び出したのか」
「いかにも」
青い髪の神は、一切悪びれることなく肯定した。むしろ、タクミの察しが良く、嬉しそうな雰囲気をにじませている。
「随分と、無茶で無理で無謀な話だ。仮にすべて事実だとしても、もうちょっと説明の仕方があるんじゃないかな」
こんな問答無用なやり方で迫っても、普通の人間は混乱するだけ。
「普通でない人間を選んだからな」
「なるほど。今の話の流れだと、僕が普通ではないと言われているようなのだけど?」
フォルトゥナは答えない。不可思議な沈黙が、円卓の間を支配した。
表情にこそ出していないが、お互いに解せないと感じているようだった。
「まあ、性急だった点は認めよう」
結局、フォルトゥナが折れた。
「その分、報酬はいかようにも。成功の暁には、汝が望むものを与えると誓う」
「……なるほど」
怒りも驚きも丸ごと飲み込んで、タクミはなんとかポーカーフェイスを維持することに成功した。
「僕の事情も知っているというわけだ」
「さてな」
運命の神は、明言を避けた。
だが、タクミからすると、むしろ知られていたほうが好都合。
「よろしい。引き受けよう」
タクミの返答は、この上なくあっさりとしたものだった。
「ただ、まだ足りない。状況は理解した。報酬も申し分ないが……」
それは未来に属する事柄だ。成功のために、今、身銭を切れとタクミは神に迫る。
「目的達成のため、必要な力を与えて欲しいものだね」
即物的な求めだったが、女神に気分を害した様子はなかった。表情ひとつ変えずに答える。
「妾がミヤシロ・タクミに与える祝福は、三つある」
この展開は想定通りのようだ。さすが運命の女神と感心しつつ、タクミは続きを待つ。
「ひとつは、《万象体系》。汝に、神の台帳の閲覧権を与えよう」
「具体的には?」
「己もしくは他者の能力を解析し、網膜に投影。自身に関しては、加護の範囲内で成長させることも可能だ」
「随分とメタな能力だ。……もう、使えるのかな?」
女神がうなずいたのを確認し、タクミは合い言葉を唱える。
「《万象体系》」
その瞬間、フォルトゥナが言った通り左の網膜に表が出現した。
●固有情報
名前:宮代・巧 年齢:16歳 性別:男
属性:中立・中立
●能力値
筋力 耐久 器用 敏捷
10 10 10 10
知力 直感 意思 外界
13 10 16 10
魔力 精髄 信仰 調和
10 10 ― ―
加護
200
●ブレイヴクラス
なし
●メインクラス
なし
●ソシアルクラス
フォーリナー
・アビリティ
《青き星からの来訪者》 Rank:Immortal
――魔を知らぬ自由なる魂が奇跡をもたらす。
《異世界知識》 Rank:Master
――無垢なる知識と発想は、異界にも通ず。
・技芸
なし
●才覚
《意思による自律》 Rank:Master
――折れず、曲がらず、強靱な、鋼のごとき精神。
《濫読家》 Rank:Expert
――書なくば、人生に意味はなし。
《万象体系》 Rank:Master
――神の視座より、敵を知り、己を知る。
《女神の恩寵》 Rank:Immortal
――女神の慈愛が道を照らす。
《並列思考》 Rank:Immortal
――思考は力。知は鋼。
(能力値は、10が通常……標準の値と考えて良さそうだ)
(クラスに関しては空欄が目立つけど、これが将来性と可塑性かな)
(《|意思による自律鋼の精神》というのは、もしかして僕が元々持っていた才覚になるのかな? 詳細は不明だけど、もしかして、この才覚を有しているから選ばれた?)
(意思の強さが重要と言っていたので意外性はないが、知力が高めなのは素直に嬉しいところだね)
(地球の知識は、こっちでも役に立つらしい)
(しかし、「Rank:Immortal」の大セールだ。Immortal……不滅、不朽、そして、神。日本語に訳せば、神業ってことになるのかな?)
一瞬で複数の思考を展開したタクミは、フォルトゥナへ最大の疑問をぶつける。
「女神だけあって、人間を乗せるのが上手い。しかし、加護というところだけ、他と桁が違うようだけど?」
「第二の祝福は、《女神の恩寵》。妾が言うのも面はゆいが、妾に愛された証として、多大な加護を与えられる」
「ツッコミを入れる手間が省けて、なによりだ」
「鍛錬、努力、困難への挑戦、その成功を妾は、祝福する」
「つまり、いろんな意味で頑張ると加護の値が増えると」
「その加護を費やすことで、自身のみではあるが、能力値を上昇させることが可能だ。必要な消費量は、現在の値に等しい」
「永久に? 自分の意思で増やせる?」
フォルトゥナが、表情は変えずにうなずく。
少しだけ分かってきたが、誇らしげだった。
「現在値が10の能力値なら、どれかひとつに集中すれば、22まで上げられるのか」
実際は、そんなに一点集中させることはないだろうが、一瞬で計算を終えたタクミは感じ入ったようにつぶやいた。
恐らく、13もあれば標準以上。16となれば一流であろう能力値。常人の二倍以上となって、どの程度の無茶ができるのか。確認したいところだ。
「最後に、《並列思考》。《万象体系》を使用中は、同時に三つの思考を展開することができる」
「それは、さっき実体験したよ」
《万象体系》、《女神の恩寵》、《並列思考》。
すべては、ひとつのベクトルを向いていた。
「臨機応変に対応しつつ、その場で成長しろということか……」
普通なら、ただの丸投げだと憤るところだろう。
しかし、タクミは、もちろん普通ではない。やりがいのあるゲームでも与えられたかのように、物騒な笑みを浮かべていた。
「ところで、外界というのはなんだろう? 人間の能力としては聞き慣れないんだけど?」
「社会的な地位、外交的な能力。自己と他者の関係を定める能力だ」
「それはそれは……。そんなところまで、パラメータ化されるとはね」
感心したかのように、タクミは胸元のネクタイをいじる。
「足りなければ成長すればいいとは、良く言ったものだ」
「そのために用意したエサの前に、転移をさせよう」
「至れり尽くせりで、涙が出そうだ」
そして、宮代巧は異世界へ降り立つ。
――その瞬間、目の前で少女が怪物に踏みつぶされようとしていた。
獅子、山羊、蛇。三つの動物がひとつとなった、巨獣に。