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第十一話 神話・再演(前)

 タクミが自ら指定した、三日目。運命の日が訪れた。


 この二日間、タクミ相手に遅れは取ったものの、獅子・山羊・毒蛇の頭は未だ健在。欠けたるところなき、キマイラ。

 一方、上着のない制服を身にまとい、武器はなくコンビニエンスバッグだけを手にしたタクミ。


 天井に開いた穴からは、月ではなく、太陽の光が降り注いでいる。


 三位一体の巨獣と異世界からの来訪者は、5メートルほどの距離を開け、鋭い視線と言葉を交わす。


「今日で最後だぜ、覚悟はできてるか?」

「心配してくれてありがとう。けれど、その言葉は丸ごと返さなければならないね」

「ケッ、最後まで口の減らない人間だぜ」

「当然だよ。その口で、昨日、まんまと勝利を掴んだのだから」


 痛いところを突かれ、ずんと、地響きを立ててキマイラが踏み込んでくる。


 炎が吹き出る獅子の瞳が、タクミを見下ろした。視界いっぱいに広がり、それ以外のすべてが上書きされ消え去る。

 どれだけ剛胆な人間でも、本能的に恐怖を憶え、許しを乞いたくなるはずだ。


 けれど、タクミはその例外。真っ正面から受け止め、薄い笑みすら浮かべている。


 言葉もなく、にらみ合う両者。


「タクミくん……」


 その背後で、緊張の面持ちでレーナが名前を呼んだ。

 ぎりぎりになって明かされた、タクミの作戦。その重要な部分を任されてしまい、情けないぐらいに耳が垂れている。


「さっきも言ったがね、レーナ。心配する必要なんて、どこにもないよ」


 あっさりとキマイラから視線を外し、タクミは振り返ってレーナに声をかけた。意味ありげに片手のコンビニエンスバッグを掲げ、安心させるように笑顔を浮かべる。


「なに無茶言ってんのさ! 緊張するに決まってるよ!」

「本当だって。レーナの出番が来たら、僕の勝利は決まっているんだ。そして、もし来なかったら、二人仲良く消し炭になるだけだからね」

「その割り切りは、明らかにおかしいからね!」

「なら、おかしな男に騙されたと思って、付き合ってくれたまえよ」

「もう、仕方ないなぁ……」


 持ち前の包容力とか母性とかを無駄に発揮し、レーナはタクミの言葉を受け止めた。水色の瞳に、光が戻る。


「感謝してよね。タクミくんの無茶な要求につきあえるのなんて、ボクぐらいなんだから」

「しているさ。なんなら、拝んでもいい」

「いや、それはいいかな」


 急に真顔になって拒絶するレーナ。水色の瞳に宿っていた光が、軽蔑へと変わった。


「ふぉっふぉっふぉ。最後の最後まで相変わらずよな」

「おや、ファウヌス。思慮深いキミも、僕らの冒険がここで終わりだと思っているのかい?」

「無論よ」

「昨日みたいな醜態は、もう、期待しないでちょうだい」


 山羊――ファウヌスだけでなく、毒蛇――アリヤもタクミの敗北を宣告した。


 それは、ある意味当然かもしれない。


 三日目まで生き残ったのが奇跡で、もう、これ以上は望むべくもない。


 これが、常識的な判断というものだ。


 そして、それを現実のものとすべく、キマイラは巨体に似合わぬしなやかな初動で疾駆した。合図もなにもなしに、5メートルほどの距離をほんの一呼吸で詰める。


 第一撃。


 いつものように獅子――レオが前肢を振り上げ、その鋭い爪で、あるいは圧倒的な質量でタクミを押し潰そうとする。


 ――が。


「キマイラ……。いや、レオ、ファウヌス、アリヤ。まず、話をしよう」


 予期していたかのように左側へ回避したタクミは、巨獣を見上げて会話を求めた。コンビニエンスバッグを片手に持った姿は、余裕すら感じさせる。


「今さら、命乞いかよ?」

「いいや。キミたちと僕の話さ」

「《火炎花輪(フレアサークル)》」


 第二撃。

 そのタイミングで、ファウヌスが魔法を放った。


 タクミを中心として、狐火のような炎の輪が生まれる。


 だが、それだけ。


「ほう。下手に避ければ、それで終わりだったんじゃがな」

「そんなことはしないさ」


 炎の輪にあぶられながらも、タクミは冷静だった。


「それは、話を聞いてもらう態度じゃないからね」

「ンフフフフ。面白いじゃない」


 アリヤが享楽の毒蛇らしさを発揮し、タクミ態度を称揚した。


「きっと面白いと思うよ」

「やけに自信満々じゃねーか」

「なにしろ、僕の世界におけるキマイラの話だからね」


 話の主題はもとより、タクミが来た別の世界にもキマイラが存在する。それが意外だったのだろう。知的好奇心を刺激されたファウヌスだけでなく、あのレオでさえも食いついた。


「ハァン? 異世界にもオレがいるってか?」

「いるのさ。偶然か、必然かね」


 そして、タクミは語り出す。


 遠い異国の古い神話を。


「キマイラ、あるいはキメラ。牝山羊の名を持つ怪物は、僕の世界ではギリシャ神話に登場し、リュキア地方の周辺の土地を荒していた」

「土地を荒すだけかよ。随分としょぼいじゃねえか、オレ!」

「ふむ。ワシは、牝だったのか」

「少なくとも、アタシの自覚は、メスね」

「しょぼかったりはあれだが、キマイラはテュポーンとエキドナの娘とされているから、性別は女性だね。そして、そのモンスターとしての出自は一級品だよ」


 期待を煽るかのようにタクミが言うのと、《火炎花輪(フレアサークル)》が消え去るの。


 さらに、毒蛇の牙が眼前に現れたのは同時だった。


 第三撃。


 虚を突かれたタクミが、それでも、加護により成長した敏捷力で瞬時に飛び退り距離を取る。制服のネクタイが宙を舞い、霊すらかみ殺す毒牙が虚しく空を切った。


「あらぁ、残念」

「話の途中で攻撃されるとは思わなかったよ」

「はんッ、よく言うぜ」


 それを追うようにして、レオの爪がタクミに迫る。距離を詰めるのと攻撃。その両者を兼ね備えた動き。


 だが、レイヤが仕掛けた時点で予期していたのか。軌道を冷静に見極めたタクミは、キマイラの巨体の右側に回り込む。


 第四撃。


 ――その先に、大きく口を開いたファウヌスが待ち受けているとは、さすがに予想していなかった。


「まさか、魔法以外の攻撃に出るとはね。連携が戻ったどころか、強化されてるんじゃないかい?」

「別個であることで深まる絆もあるというものよ」

「絆とか、ちょっとキモチワルイんだけど?」

「勝つために協力してるだけに決まってんだろ!」


 ファウヌスの言葉は猛烈な勢いで否定されたが、タクミの状況が変わることはない。


 目の前に、巨大な山羊の頭。知性の光が宿った、しかし、不気味な顔。大きな物は、ただそれだけで畏怖を呼び起こす。

 このままでは、レミングの如く死へ突き進むだけ。かといって、避けようとして方向を変えれば体勢を崩してレオかアリヤの餌食になるだけ。


 詰み。


 しかし、タクミとレーナは、そうは思わなかった。


「まったく、人の話はちゃんと聞きなさいって親に言われていただろう?」


 タクミは、さらに加速した。


 加速し、その勢いのまま地面を踏み切って跳躍。体をのけぞらせ、コンビニエンスバッグを持った腕を振り、ファウヌスの鼻先に飛び降りた。


「とととととっ」


 指先がファウヌスに触れそうなぐらいの前傾姿勢になりつつ、鼻から、目、額へと駆け上っていく。古いアニメのアクションシーンそのものの動きだ。


「同士討ちを恐れて手出しできないと思ったら、大間違いよ?」

「思っちゃいないさ」


 第五撃。


 そこに、体勢を整えた尻尾の毒蛇が口を180度に開いて迫る。


 第六撃。


 さらに、タイミングを合わせてファウヌスが首を縦に振った。突然地面(・・)が揺れ、タクミは足を滑らす。


「これも攻撃として扱って構わんぞ」

「涙が出るほど嬉しいよ。その狡猾さ。レオの直情径行を見習って欲しいね!」

「人の頭の上で、なにを言うか」

「これは失礼」


 尻もちをついたタクミは、それももっともだと謝罪すると同時に自らの意思でファウヌスの頭から転がり落ちていった。

 そのすぐ横を、空を切った毒牙とアリヤが通過していく。


 宙に放り出されたタクミは、コンビニエンスバッグの口を開くと、ありったけの――つまり、時間が許す限り無限の――タオルを放出した。

 最後にはコンビニエンスバッグ自体もクッションになるよう放り投げると、足を揃えて、かかとを上に向け、膝を抱えて着地する。


 さすがに無傷とは行かなかったが、大量のタオルはクッションとして充分。タオルの山を崩壊させながら、タクミは地面に降り立った。


「これ、使い方を間違えたら宇宙が栗まんじゅうで埋め尽くされてしまいかねないね」


 十メートル近い高さから落下したにしては、恐ろしく軽傷。余裕もある。これも、加護を集中させて敏捷を上昇させたお陰だろう。


「ほう。便利な使い方じゃな」

「足らぬ足らぬは工夫が足らぬってね。僕にあるのは、知恵と勇気だけだからさ」

「それ、知恵と勇気のほうは、どう言うかしらねぇ」

「もちろん。全面的に喜んでくれるさ」


 一片のてらいもなく言い切ると、タクミはコンビニエンスバッグだけを回収する。


「さて」


 そして、関係者を集めた名探偵のようにキマイラを見つめると、何事もなかったかのように話を再開した。


「キマイラは、ギリシャ神話最強最悪の怪物テュポーンを父に、数多の怪物を生んだエキドナを母とする。兄弟には、ヒュドラ、ケルベロス、スキュラなどがいる。いずれも、何千年後にも語り継がれる有名人だ」


 父親は違うが、ヘラクレスと死闘を繰り広げ獅子座となったネメアーの獅子や、スフィンクスもエキドナの子だ。

 その血筋は、モンスターのオールスターと言っていいだろう。


「その実態は、その土地で猛威を振るっていた火山の具現化。だから、キマイラは炎を吐くわけだ」

「なるほど。それは興味深いのぅ」

「は? オレの火炎が火山だって? いいや、関係ねえな!」

「そう? 関係あるかどうかは、なんとも言えないのではない?」


 ホメロスは「イーリアス」の中で、キマイラは「神族に属し」、「体躯の前がライオン、後ろが蛇、中間は山羊」だと記述している。


「翻って、キミたちもまた神に遣わされた存在であり、獅子・山羊・蛇が合わさり、周辺の土地を荒らし、勇者に挑まれている」


 類似を越えた一致。


「こんな偶然が、あり得るのだろうか」

「あり得るじゃろうよ。聞くに、ワシらは実在じゃが、そっちは想像の産物であろう」

「いやいや、そんなレベルの話ではないよ」


 ファウヌスの否定に、タクミは首と手を横に振って否定した。


「ここは、僕にとっての異世界だ。地球の月は、あんなに大きくはない。伝承・伝説を除いて、モンスターも魔法もない」


 まあ、この部分に関しては、科学の発展とバーターになった可能性もあるがね。


 そうエクスキューズを付けつつ、タクミは続ける。


「そして、残念なところにレーナのような犬耳を生やした美少女もいない。レーナのような美少女はいないんだ……」

「そう。それは気の毒に」


 本気で悲しそうなタクミに、アリヤが同情の言葉を贈った。さすがの享楽の毒蛇も、若干引き気味だ。


「まあ、いるいないと手に入る入らないは別の話じゃろうがな」

「あん? いるんなら、奪えばいいだろ。力尽くでよ」

「まあ、それは最後の手段として」


 レーナからの罵声が届かないことを残念に思いながら、タクミは軌道修正を図る。


「だが、地球とこの世界はあまりにも似すぎている」


 これはもはや、違和感と表現しても構わない。

 あまりにもかけ離れていたら、そもそも呼ばれないだろうことを加味しても、異常な類似と言えた。


「呼吸ができる、重力もほぼ一緒。時間の流れも変わらないようだし、なにより、価値観が近しい存在がいる。同じ世界の人間だって、イデオロギーや宗教の違いで殺し合うのが常だっていうのにね」

「共通点が多いからなんだってんだよ」


 自分(キマイラ)の話から盛大にずれていったため、レオが不機嫌そうに炎を吹き上げる。

 しかし、タクミは、逆に感心してレオを指さした。


「そう。異なるが、共通した世界だ。レオはいいことを言うね」

「おためごかしはいらねえ」

「では、本題だ」


 一拍間を置き、タクミははっきりとした口調で命題を口にする。


 生死を賭けた、命題を。


「『異なる世界の同一存在は、同じ手段で殺しうるのか』。これこそ、この三日を費やして僕が追い求めた命題だ」


 キマイラを一撃で倒す。

 そう宣言したときと同じ熱のこもった挑戦的な瞳で、タクミは言った。

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