焼け野原で異国の者達が見たもの
1945年8月15日。
米国からしてみればホッとし、日本からしてみれば屈辱的な敗戦の日。
この日を境にGEの議会、政府内、そして日本国内における行動は一気に加速する。
GEはまず、米国の爆撃調査員チームの中に、自社の人間を1名送り込む。
GEの子会社でグローバルな版権関係の整理と確認を行う会社IGECことインターナショナルゼネラルエレクトニックコーポレーションの極東担当ファウラーである。
この爆撃調査員とは、終戦直後の日本国内の状況を視察し、今後の統治政策を決める上での重要なデータを調査する者達である。
調査隊が組まれた理由の1つにはGEなどが最後に東芝より情報として得ていた「米国資本が入った企業が1944年までに急成長している」といった実態調査が含まれており、ファウラーが参加できることになったのだった。
特に米国政府と米軍にとって理解不能なのは「2年半で資源が枯渇する」予定だった日本国において、さらにB-29の爆撃隊や空軍の地上攻撃部隊が全く確認できていない「終戦時における日本の現状の工業生産能力」について、41年から数倍の勢いで生産能力や自己資本を拡張させたという事実が攻撃を行う軍部の観点からは全く確認できず、それが事実なのかどうなのかを確認する意味合いがあった。
東芝からの報告では「ライバル企業も大きく生産能力を向上させている」ということであったが、軍部からの報告では「生産能力は大きく低下している」という真逆の報告であったのでその真実を確かめる必要性があったのだ。
ただ、1943年以降の無差別攻撃により、軍部であるとわかると民間企業ですら非協力的な姿勢となるため民間人を中心に組織させ、抵抗を和らげようとした。
これはつまり、「本当に本土決戦が可能であったのか」という点についての再考察を行うと共に、どう見ても一帯が焼け野原になっている日本国においてそんな事実が存在するわけがないという米軍の考えを企業経営者の観点から確認してもらうため、そんな調査を行ったのだ。
しかし、爆撃調査員からの報告を見て米軍は戦慄することとなる。
殆どが民間人で組まれた爆撃調査員は、民間人の観点を利用し、米軍が認知していなかった日本の実態を事細かに米国政府などに対して報告した。
その中身は「日本は本土決戦が可能」という事実をありのままに伝える爆撃調査員達の最終結論に達しうるだけの根拠が明確に添えられていたわけだが、
何よりも米国が震え上がったのは日本のインフラが殆ど破壊できていない事であった。
様々な写真や終戦近くの映画作品、アニメ映画などでは、あたかも何も残らない焼け野原のような状態となっていて、米軍もそんな状態を空から確認していたので「彼らはもはや電気も水道も無く、本土決戦など不可能」という判断を下していたが、状況は全く異なっていたのだ。
まず、人員輸送や資源輸送で重要となる主要な鉄道路線が全く寸断されてない。
というか、爆撃調査員の報告では8月20日の時点で鉄道省では98.5%以上の路線が無事であり、私鉄においては東京では実に80%近くの鉄道路線が運行可能な状態のまま留まっていた。
さらにそれらの路線で運行する機関車や電車といった存在も殆どが爆撃を逃れており、機関車の運行が出来なかったのは単純に燃料不足や空爆への警戒が原因で、終戦直後に陸軍などの倉庫に備蓄されていた石炭などが開放されるとこの手の鉄道路線はすぐさまその運搬能力を回復してしまっていた。
こういった描写は「この世界の片隅に」のアニメ版にて、当時の資料をとにかく片っ端から時刻表まで集めた監督によって描かれているが、実際にはあのような一般女性ですら終戦後はすぐさま自由に都市間を往来できるぐらい列車の運行がなされたわけである。
(あの作品では呉と広島の山陽本線がかなりの頻度で行き来できるような描写がなされているが、これは史実通りである)
これには後年、マッカーサーやニミッツらが特に驚いた事として手記で書き残しているが、これらの鉄道のうち3割以上は電化されており、特に主要路線における電車においては100%稼動可能だったのだが、マッカーサーは「我々は鉄道が通っていないという事実だけで、どこかで線路が寸断されたので鉄道についても運行不能と勝手に結論付けていたが、本当のところ、鉄道省は自分達でこさえた通信機器で我々の暗号を解読し、我々の偵察ですら予知して走らせないよう調節していた――」と驚いていたように、鉄道省の人間は自らの持つ主要路線を生かすため、ありとあらゆる手段を駆使して終戦したその日にも汽車が運行されていたのである。
爆撃調査員は魔の兵器が使われた広島などにおいても調査を行っているわけだが、あの広島ですら、核の炎で焼かれた8時15分からわずか2時間後の10時33分に山陽本線の第一便が動き出していることを報告していて、実際に広島では被災したその日に救援部隊が山陽本線にて駆けつけて二次被爆する者が出てしまうぐらいだったので、そのインフラ回復能力の高さについても米国は「どこにそんな資源があったのか」と震え上がっていた。
ファウラーも手記において「焼け野原において焼け焦げた水道を捻ると透明な水が出る」という点に驚いていた。
水道、電気に関しても焼け野原となった地域において無事な建物においては普通に通電されていて、水道については井戸とは別の形で上水道のかなりの部分が無事であった。
当時の映像でも実際に水道の蛇口だけ残されてただの更地となった場所で水を飲む日本人の姿が残されているが、それはつまり浄水施設が生きており、水の供給が滞っていないことを意味しており、戦争末期ともなるとソ連への対日参戦をさせまいとインフラを中心に攻撃を加えたはずの米軍による集中攻撃が成果を挙げていなかった証左であったのと同時に、米国の一般常識からしたらそれは「ありえない」ことだったので、こういった水道を扱う写真は写真家なども含めて何か感じ入るものがあったのか、非常にたくさんの写真や映像が残されている。
ファウラーは「破壊したのは民間人の家屋や倉庫といったものばかりで、実際には無害な日本国民ばかり被害者になっていた」と手記に残しているが、彼にとって敵は日本政府や日本国であったわけで、実際に米軍が攻撃したのが大儀として抱える「日本人の帝国主義からの解放」として「開放」させるべき民間人ばかりであったことに苛立っていた様子がある。
彼はこれらの調査を行うと共に、すぐさま東芝の状況を確認した。
東芝が嘘の収支報告をしているとは思っていなかったが、1944年以降、米軍の攻撃はさらに熾烈になっており、生産能力が大きく削がれているだろうと思ったのである。
しかしその実体は、東芝は終戦から数日後の1945年8月20日の時点で、1944年時の生産能力の30%増しの生産能力を保持していた。
足りなかったのは生産を行うための材料であり、人員と工業機械を動かすための電気などについては特段問題なかった。
ここで初めて、GEは東芝が所持する工場が計115箇所という、最後にGE所属の東芝の幹部らが日本国で見た、まだ未熟で成長段階であった状態から財閥の関連企業と並ぶ存在にまで成長した姿を目の当たりにする。
一応、1944年に報告としてはもらっていたが、東芝による虚偽報告の可能性や1945年までの1年間で徹底的に破壊されて生産能力を大きく殺がれた可能性があったたので、爆撃調査員として確認して初めて確証を得たのだが、
ソ連が対日参戦した場合を考えると、GEとしてはこの状況にもっと早い段階で政府に圧力をかけるか、コーデル・ハルを1941年を前に失脚させるべきであったといった話が挙がるほどであった。
しかも、東芝社内で見せられた収支報告書や年度毎の生産関係の資料は、大半が軍需生産ではなく民間向けの工業生産でもってこれを達成したことを裏付けるものが正確に記されており、事実、現在稼動している工場はGHQ占領下において、GHQが生産を停止する権限がない軍事に全く関係がない民業おける工業製品を生産している所であり、それらは80以上に上っていた。
これはつまり、ファウラーが報告したように「東京芝浦電気は間違いなく、日米が開戦をしなくとも企業として成長し、我々に大きな利益をもたらしたであろう」ということであり、「現時点においても我々にとって大きな利益を与えうる存在である」という報告も同時に行っている。
なぜなら、GHQは終戦直後に軍需工場の生産停止を命じたが、それ以外については特段生産を中止するようなことはさせなかったわけであるが、115箇所のうち約30箇所以外は不問とされていたのだが、
1945年8月現在、東芝には全体で正規の雇用者が7万名以上おり、5万人の技術者が終戦直後においても工場内で汗水垂らす状況があって、需要と供給が1945年8月の段階で存在したからである。
そしてその利益は1941年時から純益で8倍、売り上げ総額は10倍以上であり、これを株価の時価総額で換算した利益は莫大なものであり、この事実が「GEとしては早期に日本の株式を復活させるのが得策」とファウラーが報告するのも頷ける。
また、ファウラーが最も重要視していたGEの特許についてだが、これについてはファウラーが機密の報告文書としてGEに報告している通り、「東京芝浦電気は戦時中から現在までにおいて、できうる限りの手段を用いて技術を保護し、出願しようとした」と、あるように、1945年になっても尚特許局に向かっては出願を行っていた。
そして特許局にて状況を調べると、約4000件出願したうち2000件以上が登録されており、そして何件かは現在も審査中で、一方で残り1000件以上は出願審査料などが戦時中の混乱によって上手く支払われず、出願却下や取消という形で無効化していた。
東芝の知財部は約束を守り、たとえ東京が火の海になろうとも毎日特許局に通ってあらゆる手を尽くし、そして約束を守りながら戦時中に必死で企業経営を行って会社規模を拡張して必死に活動していた。
しかし戦時中の混乱による限界によって4分の1についてはどうも出来ない状況となり、取り下げや却下といった形で権利が無効化されていた。
ファウラーはこれを「大きな損失」としながらも「戦時救済による復活が望ましい」としてGEに対し、行動をするよう報告する。
また、付け加えて「東京芝浦電気は約束を最後まで守ろうとし、戦時下において我々の利益が損なわぬよう経営努力したことで、会社規模による成長によって生産量が大きく拡大し、その分のライセンス料を送金しようとしていた」ことが伝えられている。
ファウラーは東芝の資料から、東芝がライセンス料をきちんと毎月支払おうとしていたことを理解していた。
しかしGEには当然、そういったライセンス料は届いていない。
一体どこにその金は消えてしまったのか――




