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日本が消滅せず、日本人が約束を守る事に賭けた米国企業

今回の話の前に時間を少しだけ1919年に戻す。

この時、日本国とその周辺で何が起こったのか。


それはアジアとロシアにおける混乱である。

特にロシアはロシア革命によってソビエトが誕生するが、このソビエトは完全な共産主義国である。

この時ソビエトことソ連が何を行ったかというと、「強制ライセンス」と「国営企業による独占的排他的特許権の占有」である。


言葉だけでは何がなんだかわからないので簡単に説明すると、強制ライセンスとはその国において出願された特許は全て強制的に指定された組織との強制ライセンスを結ぶというもので、当然にしてソ連は共産主義国家であるから、それらは「国営企業」という名のソ連自体が独占したのだ。


漫画で言えば究極のジャイアニズムそのもので、国営企業による独占的排他的特許権の占有とは「俺が優秀だと認めた発明は、お前らが出願したとしても俺が全て占有し、実施するのも改良するのも全て俺だけである」という、もはや知的財産権というものを根本から全否定する行動を行った。


ジョンロックの労働財産権から派生して生まれた所有権、そしてその所有権や財産権といった概念によって生まれた知的財産権を見事に全否定している。


ただしソ連にも言い分が無いわけではない。


「知的財産権とは自然権論なのかインセンティブ論なのか? インセンティブ論であるならばこういう考えは許されるであろう」というものだった。


自然権論とは即ち「全ての人間は権利を持って生まれ、それを侵害してはならない」という考え方で、知的財産権の根本を成すというのが今日の考え方であるが、リンカーンなどが主張した知的財産権はインセンティブ論、つまり社会的活動とは利益に直結し、利益を求めて人は活動するので利益の保護として知的財産権が保護されているに過ぎない。というもう1つの考えに近いものであり、当時の未熟な知的財産権においてはこの2つのどちらが正しいか?という二極化の議論が交わされていたのだった。


現代を生きる特許研究者において「自然権論を主体に、インセンティブ論的な内容を一部抱擁する」という形で認識されてはいるが、当時はそうではなかったのである。


だからこそソ連は「所詮インセンティブ論で成り立っている存在を共産主義たるこの国家においてどうにかしようなど、我が国の勝手である」と言い張っていたのだ。


インセンティブ論においては社会的活動と利益が一体化するため、共産主義においては即ち国家=国営企業に最も利益が向かうよう誘導するのは当然のことなのであった。



流石に批判されたので1924年に新法を成立させて緩和政策を行うが、その間にソ連は国外から出資された機器、技術、そして人員を根こそぎ略奪していたため、殆ど意味の無い法律であった。


そしてその緩和政策もインセンティブ論を重視した緩和政策であり、資本主義かつ民主主義国家の列強国家の企業経営者や投資家には受け入れにくい内容であったのだった。


当然にしてGEを含めた世界的にライセンス協定を結んでワールドワイドな商業展開を行う者達にとってはもはや「陵辱」といった行為であったのだが、これをどうにかするなど当時の米国には不可能だったのだ。


そんな状況の中で日本においても似たような思想の法律が検討されるようになる。

1922年に施行された戦時下における特許権の取り扱いを決めた法律であった。

通称「工業所有権戦時特例」と呼ばれ、これは戦時中において敵国の出願または登録された発明が存在した場合、その特許を取り消し、既知の技術として公開してしまうというものだった。


このような排他的な特許法に対する特別法制定の流れ自体は第一次世界大戦へと向かっていく世界の中では一般的で、米国自体にも存在したものの、GEにとっては痛手であったのである。


そこでGEはその法律が施行される3年前の段階で東芝と契約を結んだ。

それこそが前回説明した「GEで発明された発明を東京芝浦電気こと東芝のものとして出願する」という、信頼関係無くしてありえない契約だったのである。


GEはあくまで株式を保持するだけの大株主で、経営権の一部を掌握しているに過ぎないため、東芝の意思とは関係が無い敵対的買収がされてしまうと根こそぎ技術が奪われかねない状態であったのというのは前回も説明した通りである。


そんな契約を結んで20年が過ぎ、一部の製品群においてはすでに東芝の方が優秀なものを作れるようになり、ついにGEが危惧する時代へと突入していった1939年。


東芝とGEは「日本国や米国が今後も存続する」という確証のかけらも無い希望に賭け、お互いに戦時中におけるライセンス契約のあり方、特許の運用方法、そして企業経営についての協定を結ぶ。


それこそが今回の物語のキーとなる「戦時下における東芝との協定とGE特許」である。


その詳しい内容については後述するが、まずはじめに、どうしてGEがこんなことを1939年にやろうとしたのかについて説明せねばならない。


一般的ななろう読者からしたら「いや、戦争をやろうって時にどうして敵対している国家においてそんなことが許されるのか?」と思うかもしれないが、東芝はさておき、GEには理由があった。


それはソ連が行ったのと同じことを日本が行うことによる損失の勘定が天文学的すぎたのだ。


当時、日本においては「秘密特許」と呼ばれる存在があった。

これは帝国陸軍、帝国海軍といった組織の工廠にて開発された技術は非公開のまま審査され、特許となり、非公開のまま登録されるが、なんとふざけたことに、これらは後に同様の技術が出願された場合には審査時の審査資料対象となり、「既知の技術」や「類似する技術」といって登録を無効にしてしまうのである。


事実GEは1930年代ともなると東芝を通して出願した発明がなぜか既知の技術として拒絶を受けることがあった。


当然理由は「非公開」であるが、それが秘密特許制度であることを理解するのにそう時間はかからなかった。


理由は全て海軍工廠の優れた技術者達による先願された秘密特許によるもので、GEにとっては日本人の技術者の一部がすでにGEを凌駕していることは東芝を通して理解していたが、海軍や陸軍がそれだけの技術と人材を保持していることに特に警戒していた。


なぜなら、これらは秘密特許制度を廃止したとしても公になるだけで「発明」という枠から外れることはなく、あくまで「日本国が現時点で政治的な意味合いで外部に公開したくない特許」なだけで、正規の審査などを受けて登録されたものだからだ。


GEにとって特に恐れたのは、「自分達が出願等が出来ない中で、先願主義を採用する日本において戦時中を理由に特許を登録しないと、太平洋戦争の勝敗に関係なく、大きな損失となる」という漠然とした状況である。


だからこそGEは、最新鋭の技術を東芝に託し、日本国で東芝にライセンスを独占させようとしたのだ。


帝国海軍や帝国陸軍に先を越される前に東芝陣営が先に出願する限りにおいては流石の特許局も不公正な審査を行うことなく登録されていた実情を非常によく理解していたのである。


よってGEが東芝と結んだ協定の内容はこのようなものになった。


1.戦時中、いかなる状況においても情報交換を行う手段を用いて両国における状況を様々な分野を含めて情報交換する。


2.GEは、決して米国政府と共同歩調をとることなく、最新鋭の技術を東芝に、「たとえ東芝の周囲が戦時中の戦場の中心地であったとしても」その詳細な明細書などを含めた技術を受け渡し続ける。


3.東芝は、どんな手段をもってしても、出来る限りGEが渡す最新鋭の技術を「特許出願」し、登録するように。


4.東芝は、どんな手段をもってしても、出来うる限り日本国の「技術公開要請」並びに「帝国陸軍、海軍名義による特許出願」を完全に拒否するように。ただし、この規定において東芝による自発的、または帝国政府の要請による「軍事に関する軍需製造」は含まない。


5.技術公開を迫られて公開することとなった場合、その技術を実施した企業について詳細を把握すること。終戦後にライセンス料を徴収するため、生産量や公開された技術の改良などがあった場合は、それらについての情報共有を強制し、何としてでも終戦後に大きな不利益が生まれないよう調整すること。


6.東芝は、例え周囲が焼け野原になっても、その工業生産力を維持し、両国の勝敗に関係なく生産能力を保持したまま終戦まで向かうこと。特に終戦時において工業生産力を維持した上で資本が足りない場合、上記の約束事を全て守って行動することが出来れば、復興や再興において全力で支援を行う。


正直に言って、内容的には「聖人君子か何かが頼み事でもしているのか?」といったもので、もはや日本人のもつ感性を信じての契約でしかなかった。


GEがどれほどまで東芝を信頼していたかは謎であったが、ともかくGEは東芝に「生産力の維持」と「GEのもつ技術の保持」を全力で保護するよう迫ったのだ。


最終的に東芝はこれを受諾したことで、戦時中において信じられないことに敵国の最新鋭の技術が特許登録されていくという日本史でも語られないような、もはや事実は小説より奇なりを地で行く状況が生まれることになるが、それらの詳細について次回以降に説明する。


この時、東芝の幹部でもあった米国人のピアーズは、日本人の東芝の社員の面々に対し「戦争は永遠ではない。君達を信じている」といった言葉を残して去っていったという。


現実的に考えてこの協定を守れるなど、どう考えても不可能に近かったであろうが、GEは決行したのだ。


なぜならGEには勝算があった。

GEがもつ最新鋭の技術においては、それを再現できうる企業というのは限られていた。

よって仮に技術公開されたとしても東芝がその状況を把握していれば、戦後においてそれらのライセンス料の徴収はたとえ米国が敗戦したとしても可能であると見立てていた。


それはすでにGEが「日本は引き分けにもっていく」という予定を理解していたためであり、その状況において生まれる米国の経済的損失をすぐさま補填するため、信じられないことに戦ったばかりの日本において製品生産を行うことで米国が戦争によって生んだ負債とそれに伴う不況を吹き飛ばせると思っていたのである。


どちらかといえばGEが一番怖かったのは、東芝が帝国海軍や帝国陸軍に乗っ取られてGEの特許を海軍や陸軍のものとして出願、登録されることであったが、そこは日本人の「誠実さ」と高橋是清などが豪語する「日本人は約束を守る民族」という部分に賭けたのであった。


1940年、様々な米国企業や米国人が日本から立ち去っていく中、かくして東芝の孤独な戦いが始まった――



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