20世紀を飾った独裁者の油断
1950年6月。
突如として北朝鮮が南に進軍する。
これらについての理由は様々な場所で語られているが、この小説内においてはやや別視点で語ろうと思う。
2010年よりロシアは1940年代~1980年代におけるソビエトの秘密資料を公に公開し、様々な反響を呼んでいるが、ここにきて特許関係も含めて面白い事情が見えてきている。
それはスターリンが日本をどう思っていたかであるのだが、まず時代を太平洋戦争前の戦前に少し戻したい。
実はスターリンは当初、本気で4カ国同盟を考えていた。
3カ国同盟の後の展開で、スターリンとしては最も危惧すべきことがあったためだ。
それは日本政府がジョセフ・グルーといった者達を通して調整することで対米参戦をせず、対露参戦を行う可能性であった。
スターリンら、当時のソビエトのトップが予想したソビエト敗北のストーリーとしてはドイツが裏切ったケースにおいて、日本が対米参戦を行わずに対露に攻めてくるシミュレーションである。
この時、米国はロシアをドイツと共に攻める日本に怖気づくのは間違いなく、対露においてドイツと共闘された場合、ロシアは2年以内に落とされるという予測であった。
実はスターリンは米国よりも当初保有していた日本の戦力を正確に理解しており、そこから導き出された予測であった。
この可能性が否定できない以上、スターリンとしては日本が参戦してこないよう仕向けなければならなかったが、この時考えた方向性として「4カ国同盟を結び、日本に石油などを支援して欧州をナチスドイツと分割統治してしまえば、後はもう大勝利ではないか?」ということを割と本気で考えていたのである。
そのため、ヒトラーが裏切るかどうかについては極めて重要な要素であり、ソ連の行く末はヒトラーによって決まると考えていた。
そしてスターリン自体は実はヒトラーのことを気に入っていて、彼は裏切らないと思っていたのだ。
ヒトラーが裏切った後にスターリンは酷く落ち込み、それを秘密文書として残した。
これはチャーチルがムッソリーニに対して抱いた感情に近く、戦後イタリアの統治についてイギリスが緩和政策を行おうとした背景にはチャーチルがムッソリーニに対し、最終的な行動と結果は非難するものの、イタリアの国内情勢からムッソリーニに対して敬服の念を抱いていたことが関係している。
同様のものがあったスターリンはドイツが裏切った状況からかなり落ち込み荒れるが、すぐさま平静を取り戻すと日本がこちらに向かってこないようソ連の幹部達に命じる。
そして開戦し、日本が米国と戦ったことでスターリンの中では「流石の米国といえど、この太平洋戦争におけるダメージは簡単に癒えるものではない」と考えていた。
そして1950年6月時点でスターリンが把握できる情報においては「日本における占領政策が緩和されたようだが、たった半年程度では日本が我々に対抗する術などない」ということで、朝鮮戦争の折、日本への攻撃を考えていた。
そこで北朝鮮をたきつけ、まずは朝鮮を戦地として米国の目をひきつけようとしたのである。
このような事態に対して米国が後手に回った理由は、南朝鮮側で米国政府が持ち上げた人間が反共主義者だが強烈な反日家で、リーダーシップの欠片も無い無能で足元をすくわれたことにあるのだが、スターリンはこの点においても理解していて、「彼は味方のようなものだ」と考えていた。
ACJが強烈なまでに韓国の民主化運動に対抗しようとしていた背景には、こういった米国政府すら省みずに独善的に行動する者達ばかりが南朝鮮の活動グループ内を占めており、こういった者に対して「全くもって信用ならん」と考えていた点にある。
特にディロン・リードにおいては商売を行おうとしたところに見事裏切られたりしているため、ディロン・リードの息がかかった者が大統領になったときは大体の状況で「見放される」
まさに日本とは真逆であるが、実はGEも南朝鮮に関してはソビエトと同じようなことをやらかして技術を盗まれたので、同じく南朝鮮内における商業活動は希薄である。
それはさておき、結論から言うと、北朝鮮が攻めてきた原因には南朝鮮側がまったくもってまとまりがなく、しかもリーダー的人物が反日家で対日関係で暴走するのを食い止めようなどとしていた隙を狙われたことが背景にあるのだが、実はスターリンは完全に油断していたことがあった。
スターリンが残し、ロシアが最近公開した秘密文書を見る限りの情報であるが、1950年時点での日本に対しての理解はこうである。
・貿易関係はズタズタ
・占領政策によってせっかくの工業は意気消沈
・そもそも防衛するための戦力などない
・米国軍は朝鮮で手一杯となるので、北海道あたりから攻めてしまおう
・恐らく2月程度で朝鮮は殆ど占領できるので、米国軍は南朝鮮の一帯に集結してしまうだろう
・占領政策の緩和があったようだが、この段階ならまだ日本はどうとでもなる
スターリンは幹部らとこういった形の話をしており、朝鮮戦争時点では本気で再び日本を飲み込もうと考えていた。
この考えが甘かったと気づくのは1ヶ月後である。
1950年7月。
下関にて集結する艦隊があった。
後に海上自衛隊設立において重要な役割を担う米国海軍少将「アーレイ・バーク」からの要請により、海防を行うために終結した海上保安庁などの武装した艦船である。
一部が特別掃海隊と名づけられた彼らは何と、南朝鮮側へ突撃することとなる。
これこそがスターリンの油断であった。
当初スターリンは海上保安庁の所持する艦艇はのべ艦船40程度で領海警備を行うだけの組織と理解しており、これらは取るに足らない戦力であるとみなしていた。
しかし、1950年7月に下関に集結した戦力は小型艦から中型艦の総勢120隻以上からなる大部隊。
海上保安庁が設立された当初、「在籍する艦船は125隻以下」という条件が盛り込まれたのだが、その条件のギリギリまで迫った数字が下関に集結している。
日本を攻め込もうと準備にとりかかろうとしたスターリンはすぐさま軍の動きを中止させるが、一体何が起こったのか理解できない。
これこそダグラス・マッカーサーが裏で行っていた帝国海軍復活のための裏工作の成果なのだった。
1949年、前回の話の段階で密かに帝国海軍の元幹部らと意見交換を行ったマッカーサーと米国海軍トップの将校らは、どういった方向性で再軍備を整えるか検討をしはじめる。
意見交換の際に日本側からお願いされたこととしては「組織としては一気に成立させたいので、大量の艦船と人員をどこかで一時的に確保しておきたい」ということであった。
そこでマッカーサーは自身がACJに妨害されない方向性での権限の行使の方法を検討し、米国が保有、管理している大日本帝国海軍の海防艦などの返還活動をコッソリと行う。
これはごく最近にて海上保安庁が秘密文書を公開して判明したことなのだが、当時50隻にも満たない保有艦艇がわずか半年で一気に倍増したのだった。
返還された中には「志賀」などの準駆逐艦ともいえる海防艦なども含まれており、
後に海上自衛隊に編入される大日本帝国海軍所属の艦艇も多数が待機状態で下関に集結しており、その総数120隻以上。
その中の一部が南朝鮮へ向かうこととなっていたが、この待機しているだけの艦船だけでも抑止力としては十分な効果を発揮した。
この状況に南朝鮮の李承晩は発狂し、「日本軍が混じっている」と騒ぎたて、スターリンも国連の演説にて「帝国海軍の兵士がアメリカの手によって朝鮮へ向かわされようとしている」と騒いだが、国連はその状況を黙殺した。
スターリンが知らないことはさらにもう1つあった。
1950年8月、太平洋で活動中の偵察部隊から送られてきた情報である。
その中には「信じられないことに、大量の日本船籍の貨物船が太平洋を行きかい、米国の要請により海上輸送を手伝っている」というものだった。
海運については「すでに機能停止」と伺っていたスターリンにとっては、これについても何が起こったのか理解できなかった。
全ては1949年の出来事だった。
ディロン・リードのたきつけによって踊らされたマッカーサーによる短期間での海上保安庁の大幅な戦力増強。
米国企業連合体やGEが自社のために必要ということで大急ぎで復興させた日本の貿易と海運能力。
これらは米国資本の投入などによってわずか半年程度で信じられないほどの復活劇を見せ、それによってスターリンは攻撃が不可能な状況となった。
特に「海運」という要素は「補給」という形で戦局を左右する存在であるので、スータリンとなっては大きな痛手である。
スターリンが太平洋で見積もった米国の海上輸送能力は実際のその時点での30%であったが、日本の「海運事業」の突然の復活により、70%も輸送能力が増強していたのだった。
これは単純に米国のありとあらゆる補給能力が倍以上になったわけで、単純に見積もっても米国の戦線維持能力が1.5倍以上になる計算であった。
しかし実際には戦線を上手く維持できなかったために朝鮮情勢は混乱を極める。
その原因は当時の南朝鮮の大統領がこの期に及んで日本がどうたらこうたらと、まるでごく最近でも聞いたような話と行動をしていたからであるが、それは日本の経済復興においてはプラスに働いた。
スターリンの持つ情報はある意味では非常に正確であった。
1949年10月まで段階でならば、彼の情報は殆ど間違っていない。
彼が油断したのは、その後に情報収集を怠ったこと。
特に日本ではこの時点で世界最大級の石油タンカーがとある日本人の主導によって建造されていたりするので、日本の状況を見たら「何かがおかしい」と理解できなくもないはずであった。
とはいえ前回の話で起きた政策緩和などは日本郵政など、様々な企業において「突然の状況変化」と認識されているので、実際には表立ってそういう行動を認識できるほどの情報は日本にすら流れてきていない。
GEや企業連合体といった者達の活動についてはGHQによる情報統制によって遮られていた。
また、GE自体も公職追放された経済界の重鎮などとの会談は当時は秘密として公にしないよう約束させている。
経済界の重鎮達としてもGEがやりたいことをGHQに察知されると日本が復活できる最後の望みが経たれるため、とにかく周囲に漏らさないよう努めていた。
ソ連はトルーマンドクトリンの影響により、情報収集は日本含めたアジアなどによって展開していたが、この一連のACJとGHQの対立によって、正確な情報を把握できなかったために起きた誤算である。
ACJとGHQがいかに短期間であの当時のアメリカらしい行動力によって日本の能力を一部復活させたかがわかるエピソードである。
ちなみに余談だが、海上保安庁の艦船を大幅増員した背景には、南朝鮮の暴走もある。
この時点で既に始まっていた拿捕やソビエトですら行わなかった日本領海内においての日本人への無差別攻撃行為を重く受け止めた米国は彼らが日本に攻めてくる可能性が出てきたために警戒能力を増強しようと考えたのだった。
李承晩は「日本軍がいる」と国連の会議内で騒ぎ立てた背景には「志賀」など、日本の領海を戦時中から必死で守ってきていた海防艦、後の中型巡視船が彼にとっては信じられないことに日本海の防衛のために米国から返還されたことにあるが、1952年以降おいて対馬周辺などににこれらの海防艦を様々な理由をつけて日本人を乗せて向かわせることとなる背景には、竹島に次いで対馬まで許したらこの地域はソ連と何1つ変わらないという米国の意思に反して暴走する李承晩へけん制する狙いがあったためである。
というか、米国が民主化を押し潰そうとした原因はこの暴走機関車のせい。
対馬などが現在においても日本の領土として成立している背景には、終戦時まで集中的に攻撃されながらも日本の領海を守り続けた海防艦が日本の領海を守るために米国管理下の状況で解体処理待ちなどの状況から舞い戻ってきて、それらによって南朝鮮の行動を完全に阻止できたからである。
本人自体もそれを理解していたために領土が根こそぎ占領されても日本がどうのと騒いでいたが、国政放置で日本批判などを展開し、国民を蔑ろにする姿勢によって当時の南朝鮮の若者に愛想を尽かされ、四月革命のデモによって一気に失墜するわけである。
こういった行動の重なりによって「無能」「使い物にならない」ということで最終的に米国に見放される李承晩であったが、ここで筆者が自身が集めた資料によって個人的評価を下すと、1950年当時の朝鮮情勢においては明らかに「金日成」の方がまともであることがわかる。
彼は特段日本政府に対して重犯罪者を解放しろなどということはやらなかった。
金日成はソ連と共闘する一方で実は割と親日家であったことが今日の北朝鮮関係の組織などを日本に存在させてしまう原因となっているが、それらの組織が暴走するのは彼をして「話にならない」と評価した息子のせいである。
この「息子」が歴代のトップの中で一番無能なのだが、彼自身はリーダーシップも状況把握能力も優れていて、北朝鮮を成立させるために真っ先に日本国が残した工業地帯を占領するなど、その行動力と状況判断能力は彼が独裁者と言われながらも人民から評価されて本来ソ連によって予定された人物を押しのけて選挙で勝利したという事実と結びつく。
これまた余談であるが、実は孫の中でも暗殺されてしまった長男は祖父に思想的にも性格的にもソックリであったことによって父親によって国外追放されて最終的に殺されるが、日本ではマスコミがお笑い芸人のように扱っている一方、実はこの男は主導者などの立場としては非常に優秀で父親がクーデターを恐れて国外追放されていたことはあまり知られていない。
暗殺された長男と現在の独裁者が海外留学中にそれぞれ残した学術論文を見る限り、長男が国家主席に入るならばヘタをすると米国は韓国を捨てて北朝鮮のために彼と裏取引を行う可能性も示唆されていたぐらいだが、現在の独裁者が自身の権力確保のために粛清した北朝鮮の幹部らは、この長男との個人的な関係を持っていた者も多く、いかにこの人物が現在の独裁体制にとって危険とみなされたかがわかる。
そもそも長男自体は親日家であり、歴史認識の面においても祖父の考えを高く評価する一方で父親については確執があるほど思想に隔たりがあった。
現在の独裁者については父親の考えを受け継ぐ立場であるが能力的には父親より遥かに優秀なのは事実で、米国が軍事行動も辞さない構えである背景には、ある意味でプーチンよりも厄介だという評価がなされているからである。
話を南朝鮮に戻すと、南朝鮮がまともな方向性になるのは、つい最近、韓国至上最悪と言われた首相の父親である「朴正煕」が独裁者の立場となるまでであるが、当初よりこの男が南朝鮮側で主導権を握っていた場合は日本国との関係性ももっとマシな方向になったと思われる。
韓国では「二代目よりも三代目、三代目よりも初代」という格言のようなものが経済界などを中心にしてあるのだが、どうもあの国では二代目がとてつもない無能になる傾向があるらしい。
余談終わり。
最終的に、こういった混乱によりスターリンはこの一連の行動を失敗と評価している。
なぜなら、朝鮮戦争における行動によって日本の復活を許す事態となってしまったからだ。
次回は1950年8月以降の日本国内のおける「戦争特需」について触れる。
そもそも日本史の教科書では「戦争特需が起こった」としか書かれていないが、なぜ「戦争特需」というものが発生したのか、GEなどを中心に解説する予定。




