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東洋のエジソンを認めたトーマス・エジソン

以前より何度か小説内などで「東芝は潰せない」という話を書いているけど、ちょっとした話をしてみたいと思う。


本業とは別の分野で筆者は特許研究者なんだけど、私の場合は「法哲学」を含めた根本まで根ざしたものであって、特許技術だけで話を終わらせない幅広い分野を主体に研究していた時代があった。

その中で、何名かの専門家達が長年追いかけている存在がある。


戦時中に存在したGE特許である。


GE……ゼネラルエレクトリック。


なろう小説でもそこそこ様々な資料を集めた者なら会社名ぐらいは聞いたことがあるかもしれない。

このゼネラルエレクトリック、戦後の統治政策を大幅に緩和させた功労者であることは日本史においては全く語られていない。


いや、そもそもだ……その背景に東芝という会社の存在があり、戦前から戦時中へ、そして戦後にかけて東芝の姿勢がGEを動かしたことも全く語られていない。


まずは簡単にGEから説明するが、一言で片付くのが「世界一の多角経営企業」。

創業者はGE曰く「トーマス・エジソン」であるが、厳密にはトーマスエジソンの会社を吸収合併したので正しくは無い。


しかも当初こそエジソンの名を冠していたが苦境に立たされスランプの際に出資者がエジソンに見切りをつけ、以降は縁を切ってしまったのだが、一応エジソンとの関係性を保つためか創業者として今日においても名を連ねている。


一方東芝。

一般人からしたらテレビなどを作っている程度の会社というイメージしかないが、始まりは2つの会社から。


1つは日本のエジソンといわれ、キテレツ大百科のキテレツ斎のモデルの1人となった田中久重が立ち上げた田中製作所が芝浦に移転した際に名を変えた芝浦製作所と、


もう1つは、日本で初めて電球を実用化し、そして圧倒的シェアで明治時代の電球生産を行っていた東京電気株式会社が合併して東京芝浦電気株式会社となり、今日の東芝になったものである。


ではGEと東芝との関係とは何か?


これはアメリカの歴史について少しだけ触れる必要がある。

1880年代、列強たる英国に対して並ぶため、米国は重工業化で経済的発展を加速させ、国内では様々な生産が行われていた。


それこそ「天空の城ラピュタ」のオープニングの1シーンのような蒸気機関だらけのような状況があったわけである。


ただしそれは東側、それも北側の話で、未だ南北戦争の傷が言えぬ南部と、西側の状況はひどいものであった。

ワイアットアープによるOK牧場の決闘が1881年なのだから西側がどんな状況かはわかるものだろう。


GEはそんな時代、1889年に誕生する。

エジソン率いるGEは、電球などの家電製品を武器に戦ってスタートダッシュを決めていた企業に対し、より安価に高品質な製品を大量生産することで対抗しようとした。


しかしそれは簡単なことではない。

疲弊した南部は元々農業地であり、適した人材はいなかった。

北部は人件費が高いし他の大企業によって熾烈な人材の奪い合いが展開され、日夜労働者などがストライキを駆使し、戦う状況である。


そのストライキの渦の中に間違いなく日本人で初めて労働組合と組んで戦ったであろう人物がいて、それが高橋是清で、この者が日本の特許においては非常に重要人物であるがそれはまた別の話。


GEは西部の方の状況を見るが、西部では銃器などの金属加工技術能力はあっても当時は弱電といわれた電球などの家電製品を生産できるような知識や能力をもった者たちはいなかった。


GEはそんな状況で世界各国へ渡り、自社の開発する、つまり当時はエジソンが発明していた製品群の量産が行われる企業を探す。


そして見つけたのが芝浦製作所と東京電気株式会社だったのだ。

それが1903年のことである。


信じられないことに「東洋のエジソン」と呼ばれた男が残した会社とその人材を、エジソンの名前を冠し、エジソン自体が所属した当時のGEは認めたのである。


当時のGEの評価は「知識と知恵さえ与えれば我々の製品を製造可能である」というものだった。


なろう読者のみなさんの1903年というと、逆刃の刀をもった侍もどきが戦うような状況を想像しているかもしれないが、それはド田舎の話。


薩摩藩などは大政奉還があった1867年の時点でシーメンスの発電機を用い、ドイツ製造の紡績機でもってオートメーションで絹などを作って貿易を行っていた。


それはまさに明治時代の近代軽工業を行った富岡製糸工場のソレとなんら違いは無く、規模の大きさが違うだけであったが、日本国において最も早く近代化したのはこの薩摩藩である。


明治時代になると、この信じられないほど近代かされていた侍集団である薩摩藩は日本の近代化のモデルとされ、明治政府はこれをモデルにして東京や名古屋、大阪などといった大都市の近代化を行おうとしていたのだ。


そんな状況でGEが驚いたのは東京電気株式会社と芝浦電気の技術力で、明治新政府になってからたった20年で彼らは西部でヒャッハーしている連中とは比較にならないほどの技術力を保持していたのだ。


GEはすぐさまこの2社に大規模な出資をすると、この二社は日本において様々な分野で画期的な製品を生み出すようになっていく。


特に「タービン式発電機」などは当時同じく出資して国内展開していたシーメンスやAEGなどと比較して遜色ない製品を作っていたのだが、このドイツとアメリカの代理戦争のような状態は50hzと65hzの電気周波数の違いを日本で生み出す原因となっている。

(65hzがGEで関西、50hzがドイツのAEG製)


余談だが、両方の発電機の基礎技術はエジソンである。

AEGはエジソンの特許を買収し、GEはそもそも当時はエジソンのために作られた会社で社名にエジソンが入っている。


エジソンがいかににして電気産業の成り立ちやインフラ整備において大きな影響を与えたかおわかりだろうか。


こんな感じで大規模に日本国内で展開するGEの状況をみた他のアメリカ企業も先を越されぬよう日本に多数の出資を行うようになり、イギリス、ドイツ、フランスなどが日本において様々な出資を行ってライセンス生産を行うようになるのだが、これこそ日本の近代化の原動力となったのだ。


出資を受けられなかった日立製作所や三菱電機などはこれらに負けじと必死で戦った者達で、いわば諸外国に負けじと必死になった第二の原動力にもなったわけである。


とりわけGEの出資比率はすさまじく、米国の総出資額の20%というすさまじい巨額投資なのであった。


それもこれも日本人に対してそれだけ出資しても十分に元が取れるだけの働きをしたからである。


そして日本人はこういった出資を受けることによって最新鋭の技術に順応し、理解し、それに対抗しようとした者達を育てる結果となり、結論としてはそのような流れが日本の近代化と重工業化への道筋を切り開いたことは言うまでも無い。


それが逆刃の刀を振り回すジャンプ漫画の年表とほぼ同じなのだが、実際はこの漫画だけでなくこの年代の大河ドラマも適当な描写ばかりである。


日本がどれだけ近代化していたかというのは日本史では殆ど語ってくれないが、特許分野においてはこういった発展において「特許」と呼ばれる存在の重要性が各国、並びに日本人により提起され、世界で始めてストライキを行った男、「高橋是清」は紆余曲折を経て農商務省に所属し、彼によって特許という存在が形成されていくのだが、その高橋是清が米国で奴隷になってしまい、様々な苦境を経て日本に戻ってきたことも日本史では語られていない。


この苦境によって米国で知識を得たこの男こそ、この後の話に様々な面でかかわってくるのである。

それは正の面でも不の面でもである。


今回はそんな感じで各社の簡単な成り立ちをまとめたが、本編として語るのは1940年代。

次回からはいよいよ本題へと移ろうと思う。

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