プロローグ2
状況を整理しよう。
こういう緊急事態の時は慌てては駄目だ。
目の前に広がるゲームの中の世界と自分の状況に混乱していた俺は、心を落ち着けるために、まずこのゲームと俺が出会ってから別れるまでの記憶を遡ってみた。
さすがに戻りすぎだっただろうか。
いや、少し落ち着いてきたが、未だに俺の脳はパニック状態が続いている。
まだ行動は起こさず状況の整理を続けよう。まだ急がなくても大丈夫だ。
あのゲームのサービスが終了して、喪失感の大きかった俺は、もう何もする気が起きず、バイトを辞め、大学も辞めようとした。
しかしそれには、二回の留年に対して強く怒ることはなく、お前にはお前のペースがあるからと許してくれた親からでも、さすがに『待った』がかかった。
『せめて大学は卒業してくれ』
そのときは、いろいろと俺に対して甘いこの親も、結局学歴というのに縛られた大人なんだなと思っていた。
だが、後でおじさんに聞いた話だと、俺の両親は、俺が何か物凄くショックな出来事を経験したらしいというのをわかっていたらしい。
両親は、そういう時は、何もかもやめてしまうと、ダメになったことばかりを考える時間を過ごし、どんどん気が重くなり、立ち直るまでにすごく時間がかかることになることを経験から知っていた。
だから、「とにかく大学を卒業する」という行動をさせることで、ダメになったことばかりを考えさせないようにさせたかったらしかった。
留年に対して強く言わなかったことといい、本当に俺に甘く、そして本当にいい両親だと思う。
それから半年、足りてなかった単位を取りまくり、教授に頭を下げ、毎日大学に足繁く通った結果、なんとかその年に大学を卒業できることになった。
しかしいざ卒業という段階で俺はあることに気づく。
俺も無意識に卒業だけを考えて余計なことを考えないようにしていたせいだろう。
信じられないかもしれないが本当に忘れていたのだ。
就職をどうするのかを。
落ち込んで卒業の事以外何も考えないようにしてた俺は、半年かかってやっと頭がまともな頭に戻った。
そして、まともになった頭でようやく就職のこと気付いた俺は、また絶望した。
俺がここまで必死に卒業しようと思っていたのは、俺がゲームに熱中しすぎて顧みていなかった、両親のためという思いが少なからずあった。
だが、大学を卒業しても何も就職できなかったら恩を返すことはできない。
慌てて職を探すが、時はもう遅く、そんな時期に募集をかけている会社など皆無だった。
そんな俺に親父が就職はどうなったかを聞いてきた。
最初は安心させたくてなんとか決まったと嘘をつこうかと思った。
しかし、嘘をついたところでその場しか凌げないことはわかっていた。
結局、俺は正直に見つけられなかったと答えた。
そのとき口から出てきた自分の声のあまりの小ささに驚いた。
そんな声でしか伝えられない状況に自分の不甲斐なさ、親不孝さを改めて感じて、悔しさでボロボロと涙が溢れてきた。
すると親父が俺の頭をげんこつでゴツンと殴った。
「大人の男が泣いていいのは親友か親父が死んだ時だけだ! 就職が決まらなかったくらいでメソメソするな!」
就職すらできない不甲斐なさを殴られたのかと思っていた俺に、親父が浴びせたのはそんな言葉だった。
子供時代以来久しぶりのげんこつ。最後にされたのはいつだったが思い出せない。
怒ってるのは口調だけでげんこつの方は実際はほとんど痛くなかった。
たぶん親父は怒ることの使い方と大切さを知っていたのだろう。
そして、親父が書類の入った封筒を手渡してきた。
それは、自衛隊員募集の書類だった。
今から応募しても試験は夏で、合格発表は秋、入隊は来年春なのだが、自衛隊では働きながら様々な資格をとる環境も整っているので、転職するにしても便利だと。
また、親父の弟である叔父さんも自衛官なので、わからないことがあれば聞ける。
もし、まだ将来のことが何も決められないのであればここに行ってみたらどうだ。
一年かかるが、大学を二年留年させても大丈夫なくらいの余裕はある。一年伸びたくらい問題ない。
お前がそれで良かったらだがと。
首根っこをひっつかまえられて、ここに行けと怒鳴りつけ命令されても文句をいうつもりもなかった。
この期に及んで強制するのではなく、あくまで俺に決めさせようとする親父の甘さと優しさにまた涙が出そうになったが、また殴らせるわけにはいかないので、必死でこらえ。ありがとう。受けてみる。と受け取った。
それから一つ質問した。さっきの男が泣いていいのはうんぬんは親父の言葉かと。
案の定、違うと。親父のじいちゃん、俺の曾祖父の言葉だと言われた。
そうだろうな。親父が自分で親父が死んだ時にしか泣いちゃダメだって言ったら、自分が死んだら泣いてくれって言ってるようなものだもんなと思い、少しおかしかったが、それは言わずにいることにした。
すると親父はこの言葉には続きがあるんだといった。
親父は曽祖父に『我慢しなきゃいけないのはなんとなくわかるが、自分の母親や妻や子供が死んだ時は泣いちゃダメなのか』と聞いたことがあるそうだ。
すると曽祖父は・・・いや、話が脱線してるな。今必要なのはどうして今の状況になったかだ。これじゃ懐かしい思い出話になっちゃってる。
精神を落ち着けるには有効かもしれないが、今は早めの状況の整理のほうが優先だ。
ただでさえこの世界のもととなっているであろうゲームとの出会いから振り返ってるのだ。もう少し急ごう。
結論から言うと、俺は自衛官になった。1年間の短期でバイトをしながら、勉強し、テストを受け、合格し、入隊した。
そこまでに波瀾万丈は特になかった。ゲームをしてた思い出のパソコン(古くなったので買い替えた2代目だが)を売ったくらいか。
何年も熱中したものの思い出を手放すのは、つらいものかと思っていたが、思いのほか、なんとも思わなかった。
より大切なモノを認識できたせいかもしれない。
自衛官になるための勉強中の一年間は、バイト代を食費として受け取ってもらえた。
勉強があるだろうからいいと、両親はまた拒もうとしていたが、もう学生じゃないし甘えたくないというと、どこか嬉しそうに受け取ってくれた。
自衛官になってからも特に問題はなかった。
強いて言えば、様々な資格もとったし、転職するかこのまま続けるか悩んでいたのと、最近両親が彼女はできたか、結婚する気はあるかと聞いてくる事が増えたくらいか。
安心させる意味でも結婚はしたいが、なかなかいい相手が見つからない。
うちの両親のような良い家族になれる人を見つけられるだろうかと考えていた時、あの事件は起こった。
日本のある山の上空に、突如として未確認飛行物体。俗にいうUFOが出現したのだ。
ただ出現しただけではない。
もし遠くを飛んでいた程度の目撃情報だけだったら、何のニュースにもならなかっただろう。
証拠として遠くの空をUFOが飛んでいる映像を見せられたところで、誰かが作ったか、たまたまそう見える何かが飛んでいただけだろうと言うような扱いで、ニュースになるかさえも怪しい。
しかし、今回現れたそのUFOは、上空から出現し、ゆっくり降りてきたかと思うと、上空30メートルほどで静止。
そのまま何をするでもなく、その場で停滞したのだ。
それも、何日もだ。
UFOの形はオーソドックスな円盤状の形。
色は黒。
直径は100メートルほどで、かなりデカイ。
そんなものが突如として、日本のとある県の山の麓に現れた。
近隣に人は住んではいないが、かなりでかいので遠くからでもよく見える。
そんなUFOが現れたのだ。
UFOが現れた付近の住民は、恐れおののいたりして、軽いパニックが起きたほどだ。
だがしかしだ。
そのUFOは何もしなかった。
ただ上空をゆっくり回りながら停滞するだけで、映画でよくある侵略戦争やら、友好の為の交渉やらそういったやりとりと言うのはは全くなかったのだ。
ただ止まっていた。
直径百メートルで、継ぎ目の見えないきれいな、明らかにこの星の技術でないであろう物体が、ただ不気味に停滞し続けていた。
そんな状況のUFOに、国内は大混乱だ。
政府はとりあえず付近の町の住民に避難勧告を出し、退去させたあと、対応策について協議したのだが、その話し合いはどうにも進まなかった。
侵略でも和平でもなにかしらの反応があれば対応は決めやすいのだが、何の行動もないのでとりあえず場当たり的な案として、光で信号を送ったり、拡声器で呼びかけてみたりとコンタクトを測ってみたが、反応なし。
UFOをもっと間近で見るために、空から観察することも考えられた。
有人機では何かあった時にことなので、無人機やドローンでUFOに接触を試みようとしたらしい。
しかし、UFOの周囲には特殊な磁場が形成されているようで、コントロールが正常に作動するかわからなかった。
もし制御不能でUFOにぶつかった場合、それを攻撃とみなし、反撃が始まることを懸念される。
結局、危険は犯せないということで、衛星や遠距離からの観察を続けるのみで留まった。
有人機での接触も危険度が不明なので、なかなか許可は下ろせないらしく、対応らしい対応がされないまま三週間が過ぎた。
そして、事件が起きた。
あるマスコミのヘリが政府その他の勧告を無視して、近距離でのUFO撮影を決行したのだ。
マスコミは、三週間、政府のあらゆるコンタクトを無視し、ただ停滞しているUFOに危機感が薄れていたのかもしれない。
あるいは、危機感はあったが、知的好奇心に勝てなかったか。
とにかく、飛ばされてしまったマスコミのヘリは、ジリジリとUFOに接近した。
しかし、何も反応がない。
懸念されていた磁場による電子機器への影響もないようで、ヘリは問題なく飛行していた。
その様子は生放送でテレビに流れていた。
見ていた国民は、三週間何もなかったこともあり、内心なにか起きないか期待していたのではないだろうか。
しかし、少しずつ近づいて行くが、何の変化もない。
たまたまテレビを見ていた俺が、やはり何も起きないのかと思いかけたその時、それは起こった。
マスコミのヘリがUFOから約二〇メートルの距離にはいった。
すると突如、UFOを写していたヘリのカメラからの映像が、UFOから発せられた光で真っ白になる。
それがテレビに映されたヘリからの最後の映像だった。
そこで急に映像が途切れたのだ。
映像だけでなく、かなり興奮した様子でヘリからの状況を実況していた、アナウンサーの声も消えた。
すぐに画面がしばらくお待ちくださいに変わり、少ししてから、画面が切り替わり、キャスターが緊張した面持ちで話し始める。
さっきヘリに何が起こったのか、遠距離からヘリを撮影していた別のカメラで撮った映像を流すらしい。
その流された映像は、とても衝撃的なものだった。
映っていたのは、UFOから発せられた光りに包まれ、その光に吸い込まれるように消えるヘリだった。
とうとう、ただ停滞し続ける以外に何の行動も起こさなかったUFOが、行動を起こした瞬間だった。
その後しばらくして、もしかしたらこれが戦争のきっかけになるかもしれない。我々は大変な間違いを起こしたかもしれないと、悲痛な面持ちで謝罪するヘリを飛ばしたTV局の責任者の会見が始まった。
結論から言えば戦争が起こるかもというのは杞憂だった。
今度こそ何か反応が変わると思われたUFOだったが、ヘリを消したあとも、ただひたすら無言の停滞をつづけたのだ。
その後、様々なことが話し合われた。
独断で行動したテレビ局の扱いをどうするか。
政府の対応に問題はなかったのか。
UFOがヘリに対して放った光は日本に対する攻撃になるのか。
日本に対する攻撃だとする場合、自衛隊はどういう行動をするのか。
そんな目の前のUFOから若干ずれた話題ばかりが盛り上がり、肝心のUFOの方は、ヘリ事件以前と何ら変わることなく停滞していた。
そのあと一ヶ月半ほど、こちらの緩慢な接触には何も答えず、ただ停滞を続けるUFOに、政府はとうとう重い腰を少しだけ上げた。
政府主導のもと、少し積極的に接触を試みる事になったのだ。
まず行われたのは衛星からの電波で操作される無人機による観測。
これはヘリと同じく二〇メートルに入った時に無人機が消えた。
そして、UFOから発せられる磁場で、機械のコントロールが狂うようなことはないことがわかった。
そして無人機を消したあとも、やはりというべきか、UFOの反応に変化はなかった。
次に行われたのは、より小回りの効く小型のドローンによる接触だ。
まず今まで他の飛行物体が消された半径二〇メートルの、ギリギリ外からひとしきり観察をした。
しかし、周りを見たところでわかることは少なかった。
それから満を持して、ドローンが二〇メートル圏内に入った時にそれは起こった。
同じようにドローンが光に包まれて消えたのは予想通りだ。
だが、今回はUFOから数百メートル近く離れた箇所から、ドローンを制御していた人たちも、UFOから突如伸びた光に包まれてしまったのだ。
この予想外の事態に、あまり変化がない為、見ることが減ってきていたUFO関連のニュースが再燃した。
なぜこのようなことが起きたのか。
何処かのえらい大学教授の推論では、UFOの周りの特殊な磁場は、範囲内に入ってきた電子機器などを制御・操作している電波の出処を探し出す機械が発生させている力場の可能性があり、操作元がUFOの攻撃可能範囲内であれば攻撃するシステムが有るのではないか。ということだった。
マスコミはドローンの制御チームが消えた責任は政府にあるとして、痛烈な批判を繰り返した。
人体実験だの、UFOの技術と人命を天秤にかけただの様々な議論がなされた。
だがそれもドローン制御チームが残していた、自分達はこの作戦で死ぬかもしれないが、死んだとしてもそれは私達の好奇心の結果であり、その責任の所在は私達にあるという内容の遺書が見つかってから、徐々に収まりを見せた。
それでも政府の責任を追求する声はあったが。
政府はこの事件の後、○○県未確認飛行物体の調査・研究特別法案を国会に提出した。
その提出された法案の内容をはまとめるとこんな感じだ。
・ある特定の条件を満たしている人物の中で、UFOを調べる意志のあるものに、UFO調査、研究を許可する許可証を発行する。
・その許可証を持っている者のみが政府主導のUFO研究チームに参加できる権利をもつ。
・その研究チーム以外の人物がUFOに直接コンタクトを測る形での独自に研究をすることを禁ずる。(ただしUFOを写した映像や、情報の分析は禁止されていない)
・研究チームが得た調査結果や未知の技術は、政府の管理下に入り、個人で扱ってはならない。
・UFOの研究費に対する寄付は受け付けるが、それに対しての情報、研究成果などの開示の要求は受け付けない。
・研究チームの参加者は、UFOの研究に関わる件で起こった被害に対し、政府にその責任を問わない。
あとは、UFOの行動が侵略行為とみなされた場合の、自衛隊の行動等を決める、細かい内容だった。
政府が研究によって起こった責任を逃れる上に、その研究成果を独り占めするかのようなこの法案は、当然批判された。
しかし、結局研究チーム参加者に対するある程度の保障を盛り込み、少し調整されたくらいで、法案は無理やり可決され、施行される運びになった。
かなり異例の早さでの施行であったが、これには理由があるのだと思われる。
UFOの情報は、もちろん諸外国にも伝わっており、かなり諸外国から干渉を受けていた。
そんな諸外国からの干渉が激化する前に、出来るだけ日本だけで研究をしたかったのではないだろうか。
実際UFO周辺に我が国のの軍を派遣する準備があるとか、UFO周辺は世界中の研究者の共有財産にしてUFOが持つ未知の技術は皆で共有されるべきだ。といったような無茶苦茶な宣言をする国家首脳もちらほらいるので、そんな俺の予想は、ある程度は的を射ていると思う。
その法が施行されてすぐに、UFO研究チームへの参加者の募集が開始された。
命の危険があるにも関わらず、かなりの数の研究者や技術者が名乗りを上げたというから驚きだ。
研究によって得られた情報や、新しい技術は、その研究者が生きてるうちに陽の目に出せるかわからない事柄であるはずなのだが、それでも研究したいと思えるのは凄いと思う。
やはり研究者のいう人種は、それが自分の直接の利益にならなくても、己の知的好奇心のを満たすことを求める生き物なのだなと思えた。
そんな自分とは全く違う生き方をしている彼らを見ていると、それを今の自分の生き方と比べてしまい、少し思うところがあった。
命がけでやるつもりの彼らに対して、不謹慎かもしれないが、楽しそうに見えてしまったのだ。
俺もUFOの研究に関わってみたい。
そんな思いを抱くまでに、さほど時間はかからなかった。
他人になんと言われようと、何かを無意識に犠牲にしようと、自分のやりたいことを追求する。
たまにテレビ画面に映り、熱心に研究するそんな彼らは、ゲームに嵌って他のことを無意識にないがしろにしていた時期の俺の姿と重なる部分があった。
大学での事や、就職での件のことあり、親を大切に想う気持ちは強い。
たぶん両親は、俺がUFOの研究をやりたいと言ったら、止めることはしない。
でも、絶対心配するし、本音では危ないことはさせたくないと思うのだろう。
俺はその思いに答えたい気持ちもある。
だが、三つ子の魂百まで、だったか、人の本質はどうも簡単には変わらないらしい。
やはり俺は、UFOに関わりたくてしょうがなかった。
まあでも、実際のところ、俺はしがない自衛官だ。
関わりたいと思ったところで関われるコネなどない。
UFOのある県は俺の勤務先の基地とは全く関係ない場所だ。
UFOのある県の基地に転属することはもしかしたら可能かもしれない。
だがそれには時間が何年かかるかわからないし、転属できたところで、遠くから立入禁止区域に入らないよう監視するとか、そんな程度の関わりしかできないだろう。
そこまでして、UFOが気まぐれで飛び立って行ったら、目も当てられない。
現実的にUFOに関われる案としては、近隣の町に、休暇をとって行ってみるくらいか。
UFOの近隣の町はUFOが来たことと、UFOが何も行動しないから危険も少ないということで、半ば観光地となっている。
両親も連れて行って親孝行を兼ねて旅行するのもいいかもしれない。
いやでも今は人がすごく多そうだ。
それにUFOに近寄って関わらない限り、全く危険じゃないと確定しているわけでもない。
両親がUFOを楽しめるとも限らない。
やはり一人でふらりと旅行に行くくらいが今の俺に出来る限界だろうか。
そんなことを考えたりしながら、テレビや新聞でUFOの推移を確認してただけの俺に、UFOに関わるチャンスがやってきたのは、UFOがやってきてから一年が過ぎようとしていた頃だった。