六話 伊藤ほのかの再戦 勝率0パーセントのリベンジ編 その六
第二ラウンドのゴングが鳴り響く。
獅子王先輩のペースが上がる。
ジャブとストレートの連打が藤堂先輩の体をガードごと揺らしている。獅子王先輩の猛攻に、先輩は防戦一方になっていた。
「ギア、あげてきたね」
「このラウンドで仕留めるつもりだね」
橘先輩と長尾先輩が難しい顔をしているってことは厳しいって事?
先輩……。
先輩は耐えている。耐えて、耐えて、わずかなスキをついて反撃して、時間を稼いでいる。
先輩は左右に体を振っているけど、あれは何なの? 体力を余計に使うだけじゃないの?
「なんで、先輩は体を振っているんですか?」
私の質問に長尾先輩が先輩達を見つめながら答えてくれた。
「一つは攻撃の的を絞らせないためのディフェンス。もう一つはまだ戦えますってレフリーにアピール。必死なんだよ、正道は。時間を稼ぐために」
サンドバッグ状態になっている先輩をみて、私は泣きたくなった。
もう、やめようよ、先輩……。
「こんなことで大丈夫なんですか?」
「正道はこの三ランドで終わりだけど、獅子王先輩はまだ二試合ある。獅子王先輩はスタミナを温存しなければならないから、本気で攻めることができない。小さなアドバンテージだけど、これに賭けるしかない」
橘先輩の思惑通りになっている。
次の戦いの為に獅子王先輩のスタミナを減らす。つまり先輩は捨て駒だ。格好よくない。前座扱いで、ただ痛い目にあっているだけ。
先輩に勝ち目なんてあるわけがない。素人の私が見てもはっきりと分かる。
先輩はどうして戦ってるの? 痛い思いまでして。
「なんとか耐えてるね、正道は。特訓の成果かな?」
「フン、私がワンツーマンでしごいたんだ。簡単に負けてもらっちゃ困る」
御堂先輩は不機嫌そうな顔をしていても、先輩から目をそらさずにじっと睨みつけている。
どんな挙動も見逃さないようにして、先輩をすぐに助けにいけるようにスタンバイしているんだ。
あの特訓って、獅子王先輩の攻撃を耐えきるためなの? 勝つ為じゃないの? 胸の奥が痛い。
今回、私にできることはないの? 何かできることは……。
私にできることは、先輩から目をそらさずに、震える足で必死に立っていることしかできなかった。
あっ! 先輩の膝が、体制が崩れた! 倒れる!
そう思ったけど、先輩は倒れず、両足でしっかりと踏ん張っている。でも、動きが完全に止まってしまった。
先輩、逃げて!
私は心の中で必死に祈った。
カン!
「ゴング!」
ふぅ……あぶなっ! ゴングに救われたよ。
先輩がふらふらになりながら戻ってくる。満身創痍の体を引きずって。
獅子王先輩との手数の差があり過ぎて、ポイント勝ちはありえない。ぼろぼろの先輩にKO勝ちなんてありえない。
もう、戦う意味なんてない。ここまでやれば十分。獅子王先輩だって疲れてる。
だから、もういいよ、先輩。
「先輩」
「……い……とう……か」
話すのもしんどそう。言葉がとぎれとぎれになってるし、肩で大きく息をしている。かなり疲れてる。これ以上、傷ついてほしくない。
私にできること。
それは試合を終わらせること。
「先輩、ギブアップしましょう。コーナーから出なければ、戦わなくてすみますよ。私が頭を下げますから、ね?」
「……ダメ……だ」
もう! なんで意地を張るの! 勝てっこないのに!
「先輩、獅子王先輩に勝てる要素がありますか? ないでしょ? 意味ないですよ。今の先輩、意地を張っているだけです。ダレトクなんですか? 時間の無駄ですよ」
嫌われてもいい。先輩がやめてくれるならそれでも。私にできることなんてこれくらいしかないから。
「伊藤、お前な!」
「御堂、黙って。ここは二人に任せよう」
私をとめようとした御堂先輩を橘先輩がとめてくれた。
それって、もうやめてもいいってことですよね、橘先輩? それなら、もうやめるべき。
私は審判にこの試合をやめてもらうよう言いにいこうとしたとき、何かの力で足が止まる。
先輩が私の手首を掴んでいた。
「先輩、いい加減にしてください。何が不満なんですか?」
「……納得……いかない……から」
いい加減にして! 納得がいかない? そんな理由で戦ったって、勝てるわけがない!
私が先輩を守らないと……。
「納得? 古見君のことですか? はっきり言わせてもらいますけど、お節介が……」
「……ちが……う。伊藤を……守れなかったこと……が……納得……いかなかった」
「えっ?」
私を守れなかったことが戦う理由なの?
先輩の目は、今にも倒れそうなのに強い意志が宿っている。
「俺は……伊藤を……まもれなかった。それが……納得……いかない。伊藤を……なか……せた……アイツが……ゆるせ……ない。だから……戦う……今度は……最後まで……貫くは……己の意思……恥じるべきは……自分を誤魔化す……こと」
最終ラウンドのゴングが鳴り響く。
先輩は立ち上がり、私を押しのけていく。私はただ、突っ立っていることしか出来なかった。
「伊藤さん、ここは黙って正道を見守ってあげてよ。正道はさ、行動で示すタイプだから」
私は橘先輩が何を言っているのか、理解できない。
行動で示す? 一体何を?
私はやめてほしいだけなのに。先輩が傷ついてほしくないだけなのに。
「何を示すんですか? 私の為に戦っているなら、やめてくださいよ! 先輩の傷つく姿なんて見たくない! それが私の願いです!」
「バカ野郎!」
御堂先輩に怒鳴られ、私はビクッとなる。
御堂先輩が怒ってる? なんで?
「藤堂はな、見せたいんだ! 獅子王に負けないところを! 試合に負けても、勝てなくても獅子王に挑むのはな、お前の為なんだよ! お前の心が折れたから、立て直すために戦ってるんだ!」
どきっ!
心拍が一気に跳ね上がる。御堂先輩が何を言いたいのか、本能で理解できた。怖くて、足が震えだす。
だって、だって……獅子王先輩……怖いよ……何をされるか、分からないから……。
震えている私に、御堂先輩は怒鳴りつけてきた。
「いつものお前はどこにいった! 自分にできることを必死になって考えて、行動してただろうが! 今のお前は逃げているばかりだろうが!」
そう……私はずっと、先輩の傷つく姿が見たくなくて、試合を止めることばかり考えて、先輩の応援すらしていない。怖くて、逃げてたんだ……先輩は戦っているのに。
御堂先輩は情けなくて俯いている私の肩を掴み、言いきかせるように怒鳴る。
「お前、獅子王に何かされて元気なかっただろ? 藤堂はな、お前に元気になってほしくて、頑張ってるんだ! それを分かれ、このバカ!」
元気になってほしい?
私は雨の日を思い出した。
私が落ち込んでいたとき、押水先輩に何をしてもダメだったとき、先輩は何をしてくれた?
私を元気づけてくれた。私を励ましてくれた。だから、私、先輩の事が好きになった。なのに、私……私は……。
決めた! 私は、応援する!先輩の為に!
それしかできなくてもいい。やれることをやるんだ!
私は目をこすると、前を向いて、先輩の戦いを見届ける決心をした。
試合は私の予想もしていない展開になっている。
獅子王先輩が前に出てこない。リングにいる二人は向かい合ったまま、動かない状態が続いていた。
なんで? 今まで獅子王先輩は攻めていたのに。
「まずいね」
まずいって何が? 先輩が殴られないからいいことじゃないの?
橘先輩の困った顔に、私は不安で押しつぶされそうになる。




