四話 伊藤ほのかのファーストキス その二
「さあ、いきましょうか、黒井さん!」
「そうですわね、伊藤さん!」
私達は肩を組んで歩いている。
黒井さんと喧嘩している最中に朝乃宮先輩が、
「殺るなら、とことんやり」
笑顔で木刀を渡された。
それで即仲直り。
私、黒井さんとは気が合うわ~、マジで。一瞬でシンクロしちゃったもん。命の危機、感じたからかな。
見回りを再開し、次のまかり角を曲がったとき。
ドン!
「きゃ!」
あまりの衝撃に、尻餅をついてしまった。
痛たたたたたっ。もう、誰なの!
私はぶつかってきた相手を見上げた。
こ、こわ!
彫刻のような引き締まった体型と日本人離れした彫りの深い顔の大男が私を見下している。
身長、高ぁ! 先輩と同じくらいあるかも。けど、視線が冷たい。それにすっごく機嫌が悪そうな顔をしている。
こ、ここは謝っておこう。
「ご、ごめんな……」
「邪魔だ、ブス」
カッチーン!
なんで、初対面の男の子にそんなこと言われなきゃいけないの!
私は怖さを忘れて立ち上がり、文句の一つでも言おうとしたけど、朝乃宮先輩が割り込んでくる。
「女の子に向かってブスやなんて、無粋なお人やね」
「俺様に意見するな、女」
「いややわ……意見やない、感想や。ほな、いこか、伊藤はん」
朝乃宮は私の背中を押してくる。有無を言わさない雰囲気なので、反対できないんだろうな……ちょっと文句言いたかったのに。
渋々、この場を離れようとしたとき。
「おい」
さっきの失礼な男の子が呼び止めた。
その瞬間、信じられないことが起こった。
「!」
男の子がいきなり朝乃宮先輩に殴り掛かった! しかも、顔に!
朝乃宮先輩は反応し、上体をそらして回避する。
状況が理解できなかった。
なんで? なんで、殴り掛かってきたの? 女の子の顔を殴るなんてありえないでしょ!
「やるじゃねえか、お前」
「……ほんま、無粋な人やね」
朝乃宮の顔に笑顔が浮かぶ。氷点下のように冷たい、鋭利で刺し殺すような殺意を男の子に向けている。
「お前、俺様の暇つぶしになるかもしれないな。匂いがする」
「匂い?」
「欲求不満で全てを壊したい、そんな匂いだ」
朝乃宮先輩は何も答えない。ただ、笑っている。
怖い……それが私の感想だった。朝乃宮先輩は男の子の意見を否定しなかった。
つまり、朝乃宮先輩は破壊衝動を抱えているってことだ。
先輩が言っていた。風紀委員で一番危険な人物は朝乃宮先輩だと。
それを聞いたときは、女の子に酷い言い方をしたらダメですよって何も考えずに説教をしたんだけど、今なら分かる。
朝乃宮先輩は、目の前の男の子を叩きのめそうとしている。
一触即発のなか、サッキーが恐る恐る朝乃宮先輩に近づき、裾を弱々しく握る。
「ちーちゃん……」
「……大丈夫や。心配せんでええ」
朝乃宮先輩の怖い雰囲気がすっと消えていく。いつもの優しい笑顔に戻る。
私はほっとしていた。
そして、サッキーに心の中であんたは仏だよって某なんとかまる子ちゃんのようにしみじみと感謝していたんだけど……。
「おい、邪魔するな」
「!」
息が止まった。
男の子がサッキーめがけて拳を振り下ろしたのだ。それを朝乃宮先輩がサッキーを庇い、殴られた。
男の子の拳は朝乃宮先輩の肩に食い込んだ。朝乃宮先輩の顔が苦痛で歪んでいる。
女の子を本気で殴った……正気なの? ええええっ! ありえないんですけど!
「ちー、ちーちゃん!」
「……大丈夫、問題ありません。せやから咲、そんな泣きそうな顔せんとって。ウチにはそっちのほうが辛いわ」
朝乃宮先輩は微笑んでいた。痛いはずなのに、それでも慈しむように微笑む姿に、サッキーは泣きそうになりながらも笑顔になる。
「朝乃宮先輩! 上春! あなた、これ以上は見過ごせませんわよ!」
黒井さんが朝乃宮先輩と獅子王先輩の間に立つ。
す、すごい! 流石は風紀委員! 怖くないの? 私なら戦略的撤退を実行するんだけど!
男の子は黒井さんのことなんて目に入らないような態度で、朝乃宮先輩を見下していた。
「……勘違いか」
男の子は興味が失せたような顔をしている。勘違いってなんのこと? 男の子は朝乃宮先輩に何を求めているの?
「つまらん。依存しあうような弱者に用はねえよ」
男の子は黒井さんを無視して、走り去っていった。
黒井さんはハンカチを濡らしに、サッキーは朝乃宮先輩の怪我の具合を見ている。
私は怖くて動けなかった。
「朝乃宮先輩、これを」
「おおきに、黒井はん」
「ちーちゃん! 殴られた場所、見せてください!」
「大げさやね、咲は」
「もう! もっと自分を大切にして!」
私はあの三人の輪に入れなかった。
そんな私を朝乃宮先輩は、殴られた場所にハンカチを当て、近寄ってきた。
「無理せんでええよ、伊藤はん」
朝乃宮先輩に優しく抱きしめられ、私はようやく体の力が抜けた。
怖かった……ほんと、怖かったよ……。
どうして、先輩はここにいないの……相棒なんだから、助けてよ……。
しばらくの間、私は朝乃宮先輩のぬくもりに体を預けていた。
少しだけ、泣いた。
朝乃宮先輩が暴力を受けた事件から三日が過ぎた。
私と先輩、橘先輩、御堂先輩の四人はプールに向かっている。用件は水泳部のみなさんに謝罪する為だ。
当たり前だよね、あれだけのことをしたのだから。部室は半壊、怪我人多数。
まあ、厳密に言えば先輩も被害者なんだけどね、御堂先輩の暴走に巻き込まれたんだから。
橘先輩は完全に被害者。被害者が被害者に謝らなければならないという理不尽。同情するわ~。
事の結末は一応、水泳部女子部に話して、依頼は完了。事後処理を終えたら、任務終了。
御堂先輩は恥ずかしいのか、それとも罪悪感があるのか、うつむいたまま。絶対に前者だと思う。
先輩達は憂鬱そうだけど、私は密かに喜んでいた。
最近、暴力沙汰があったからちょっと落ち込んでいたけど、今日はいい気晴らしになりそう。
やっぱり心のオアシスは必要だよね。
「嬉しそうだな、伊藤」
御堂先輩が私を睨んでくるが、私は涼しい顔で受け流す。
「だって、今日は危険なことないでしょ? 最近、バイオレンスばっかりだったし」
「……獅子王一か」
先輩の呟きに三日前の出来事を思い出す。
朝乃宮先輩を殴った男の子を調べてみると、ボクシング部のエースで全国三連覇と成し遂げた三年生の選手だ。
ただ、暴君で、気に入らないと暴力をふるう問題児でもある。
確かに輝かしい功績だけど、だからといって何をしても許されるわけがない。
近いうちに対策を立てるみたいだけど、今はそんなこと忘れて、美術鑑賞といきますか。やっぱり、イケメンの引き締まった上半身裸は一つの芸術作品だよね。
「御堂、伊藤さんのリクエストにちゃんと応えてよ。暴力はなしだから」
「分かってる……分かってるけど」
橘先輩が釘を刺したけど、御堂先輩は髪をかき乱し、悩んでいる。そんな御堂先輩に私はアイコンタクトを送る。
イケメンパラダイスが待っていますよ、御堂先輩。
ナ・メ・テ・ル・ノ・カ!
私はそっと目をそらした。怖いです。いや、マジで。
ぐすん……慰めただけなのに……やはり、虎には人間の言葉は通じないみたい。
「御堂、伊藤にあたってどうする。いい加減、そのしかめっ面をするのはよせ」
「……また、伊藤をひいきにする」
「後輩だからな。いい加減、腹をくくれ」
先輩、その言い方はかえってスネちゃいますよ。
でも、私もライバルに塩を送れるほど、人ができていないので指摘はしないでおこう。
「? 藤堂、顔色悪くないか? 大丈夫?」
「……大丈夫だ、問題ない」
先輩、疲れた顔してる。
テニスにバスケット、水泳、ボクシング部の問題が立て続けに起こってるから、仕方ないよね。私は平気だけど。
屋内プールに着くと、独特のにおいがした。
体育は選択授業で水泳を選ぶことができるけど、私は選ばなかった。
近くに海があるのにわざわざ水泳を選択なんてしない。それに学校指定の水着が可愛くない。
さて、水泳部のみなさんは……あ、ああっ!
プールに一人、見慣れた男の子がいた。
獅子王先輩、なんで!
獅子王先輩はプールに入り、スクワットをしている。まだ、こっちには気づいていないみたい。
どうしよう……。
先輩達も気づいたみたい。足が止まる。
「御堂、正道、今日は謝罪にきただけだからね」
「分かってる」
「了解」
先輩達はそう言ってくれてるけど、不安になってしまう。
何事もありませんように……。
その願いもむなしく、事件は起こった。先輩達が水泳部に謝罪してる最中だった。
「うるせえ! 俺様に指図するな!」
水面に叩きつけたような大きな音がした。音がした方を見てみると、一人の生徒がプールに落ちていた。
獅子王先輩ともめている人達はボクシング部員だろうか……険悪な雰囲気になっている。
しばらくして、獅子王先輩がもめていた人達を殴った!
ぼ、ボクシングって拳をボクシング以外で使っちゃダメなんじゃないの! 矜持じゃないの?
私はそっと、隣を見る。案の定、先輩は歩き出していた。獅子王先輩に向かって。
やっぱり! 止めに入る気だ! 怖くないの? あんな光景をみせられて。
相手がだれだろうと、間違っていると思えば止めに入る先輩って、改めてすごいと思う。
私なら絶対無理!
「おい!」
「……誰だ、てめえは! 俺様に何か用か?」
「風紀委員の藤堂だ。暴力を振るっているのを黙って見過ごすわけにはいかない」
か、格好いい~。現実であれ言うの、かなり勇気がいるって最近気づいた。ほんと、凄い!
至近距離で先輩と獅子王先輩が睨み合っている。こうして並んでみると、獅子王先輩の体格は先輩に負けないくらい、いや先輩よりも大きい。
ど、どうなるの?
見つめあう先輩達。別の意味でもドキドキしてきた。
ダメだ、私。腐ってる……。
「ま、待ってください!」
止めに入ったのはもちろん、私ではなく一人の男の子……だと思う。
線が細くてショートボブ、薄い桜色の唇にパッチリ目でシミ一つない。憂いのある顔が守ってあげたくなる庇護欲全快のオーラ―を発している。
見た目は女の子にしか見えない。でも、ボクシング部と同じジャージを着ているし、女子の部はなかったはず。
暑苦しそうなボクシング部に女の子のマネージャーなんていない。(偏見)
だから、消去法からあの子は男の娘だと推測できる……んだけど、私より綺麗だし、小顔だし、眉毛長いし……言ってて女として自信がなくなってきちゃった。
でも、どこかで見たことあるような気がする。どこだったっけ? あんな綺麗な顔、一度見たら忘れないはずだけど。
「獅子王さん、止めてください!」
「うるせえ! 俺様が悪いみたいに決めつけるな! 大体、悪いのはアイツらだろうが! 好き勝手言いやがって! お前はそれでいいのかよ!」
なんだろう? 何か言い争っているけど、何のことかさっぱり分からない。
あの男の娘が原因なのかな? どうしよう、あの男の娘もこのままだと、殴られ……殴られる? 怪我をする……担架……担架?
「あっ!」
そ、そうだ! 担架に乗っていた男の娘だ!
顔が腫れていたから分からなかったんだ! でも、体型とジャージに書かれた名前が同じだ。
彼の名前は……。
「古見、お前、いつから恩知らずになった。練習を付き合ってやってのに」
「……」
古見……古見君だ! 間違いない! 退院したんだ。
獅子王先輩が先輩を無視して古見君に近づいていく。
近づいた瞬間、古見君の胸倉を乱暴に掴む。
「これ以上、俺様に意見してみろ、いくらお前でも許さねえぞ」
獅子王先輩が古見君を突き飛ばし、殴り掛かろうとする。
「危ない!」
「ああっ! 先輩!」
古見君を庇った先輩が獅子王先輩の手にあたって、プールに落ちた!
ちょ、なんで! 信じられない!
「ちょっと!」
私は怖さも忘れて獅子王先輩に詰め寄ろうとしたけど、誰かに手首を握られ、前につんのめる。
い、痛い! 痛い痛い!
「伊藤、ここは譲れ」
こ、怖い……。
私は冷水を浴びせられたように立ち尽くす。
御堂先輩がここまでキレた姿を初めて見た。今にも獅子王先輩を殴りかかろうとしている。
「御堂!」
「……」
橘先輩の鋭い声に御堂先輩が止まる。
「今日は謝りに来ただけ。問題、起こさないでよね」
御堂先輩が人を殺しそうな目つきで橘先輩を睨んでいる。橘先輩は目をさらさず、御堂先輩の目を見つめている。
どれくらいたったのだろう。十秒もたっていないと思うけど、永遠のように長い時間が流れた気がする。
「おい!」
獅子王先輩の一声が、二人の睨みあいを中断させた。
「喧嘩ならよそでやれ」
あ、あんたのせいでしょうが!
私は心の中でツッコミを入れた。そう、危機管理できる私、決して口に出すことはしない。
モブに魔王倒せとか、なろう系小説の主人公でもないかぎり、無理ですから!
「いくぞ。シラけた」
獅子王先輩が私達に背を向けて歩き出す。
「逃げるのか?」
や、やめてよ、御堂先輩! せっかく収まりかけていたのに!
「お前は駄目だ。臭い」
えええっ~。女の子に臭いとか、フツウ、言う? ありえない!
わ、私は臭くないよね?
当然ながら、御堂先輩は更にブチ切れていた。
「んだと、コラ!」
「お前は臭いって言ってんだ。仲間の為とか、人の為とか……戦う理由を他人にあずけてるヤツの臭いだ。俺様がそんな弱者と戦えるか」
「待ちやがれ!」
御堂先輩の声を無視して、獅子王先輩は立ち去っていった。
プールから音がする。先輩が自力でプールの中から出てきた。
いけない! 忘れてた!
「せ、先輩! 大丈夫ですか!」
私は濡れないように先輩に近寄る。
「誰か! タオル! 先輩、怪我はありませんか!」
「……大丈夫だ」
タオルを受け取り、先輩の体を拭きながら体を触る。
いいガタイしてるよね、やっぱり。
いけないいけない、私ったらこんなときまで何をしているの? 真面目にやれ。
「あれが、獅子王先輩か。また、厄介な人が現れたね。噂以上の問題児だ」
橘先輩がため息をつく。それ、マジ禿同。
「どうかした? 伊藤さん? 怖くなった?」
「いえ、そうじゃなくて……」
なんだろう? 違和感というか、何か引っかかる。
何に?
このときはまだ分からなかった。




