ところにより、喧嘩をするでしょう
龍の住処を探す日帰り旅―――
結論から言うと、コウタが探してきた候補地2箇所はーーーハズレだった。
龍が祀られているという神社。
(小さくてボロかった)
龍の名前がついている滝。
(きれいだったが思い切り観光地だった)
「役立たず」
「うるさいな!」
滝の前で喧嘩する20歳前後の男女。
周りがカップルや親子連れな中で、組み合わせとしては違和感がないはずなのになぜか2人は浮いていた。
女性がシャレっ気のないTシャツとジーパンなせいか、もしくは駐車場から平坦な道を5分程度歩くだけの滝の前で2人とも大きなザックを背負っているからなのか。
女性の方は黒髪のショートボブに、きれいな卵型の顔。
瞳も大きく可愛らしい容姿のはずなのに印象が暗く見えるのは、あまり温度が感じられない目が原因かもしれない。
男性の方は明るい茶髪を短くした表情豊かな細身の青年。
今はぷりぷりと怒っているため分かりにくいが、黙っていればハンサムとは言えないまでも精悍な顔立ちでそれなりにモテそうだ。
「そもそもネット情報だけでほいほい候補地に挙げるのが浅はかだな」
「偉そうに言うなー!お前は探してすらないだろ!」
「うるさい。昨日はすごく眠かったんだ。元々3日後って予定だったんだから昨日の今日で探しているわけないだろう」
ナオミはぷい、と横を向く。
担いでいるザックの中にはスイが入っている。
「だったら俺も時間不足だ!理不尽だ横暴だ!褒められこそすれ、罵られる筋合いないわー!!」
「先導するならそれなりに根拠を持て」
「じゃーお前だってどうなんだよ!候補地に行ってどうやって住処って判断するか考えてすらなかっただろ!?」
「ち、ちゃんと考えてた」
「嘘つけ!"ス、スイが反応したら住処だ!"とか目を泳がせながら言ってたくせに!!」
「泳がせてない」
ぎゃーぎゃーと言い合う2人。周りの観光客はそんな2人から自然に距離を置いている。
その空気にはたと気づいた男女は、少しの間の後、わざとらしい咳をしてその場から立ち去るために歩き出した。
「こ、このあとどうする?」
自分の醜態に珍しくぎくしゃくとしたナオミが前を向いたまま聞く。
「んー…今昼前か。ここからならあと1箇所行けるかな。どうする?」
これまでの2箇所はかなり近場だった。もう1つの候補地は少し離れているが今から行けばコウタのバイトには十分間に合う距離だ。
「…他に候補もないし、行く」
「おっけ」
ハズレでも文句は言うなよ、というコウタの言葉にナオミは不承不承といった態で頷いた。
◆◆
3つ目の場所は、龍神が住むという伝承のある蛍ヶ池という名の池だった。
ナオミが住む地域でも特に山深い地区にあり車では行くことができない。幸い、池は名所のため山のある程度の高さまで車で上ることができ、駐車場からはハイキングコースが整備されている。
2人は車を停め、駐車場から徒歩45分程の距離にある池に向かった。
「おーい、ナオミ、起きてるかー?」
コウタが前を歩くナオミに声を掛ける。
「いくら何でも歩きながら寝ない…」
言っていることは強気だが、声に覇気はなかった。
滝から出発した直後ナオミは車の中で爆睡した。
正直朝から眠かったが我慢していたのだ。スイッチが切れるように寝てしまったのは、滝の前の喧嘩でエネルギーを使い切ったからかもしれない。
まだ眠い。すごく眠い。
ふらふらと歩く幼馴染の背中に向けてコウタが呆れたようにため息をつく。
ほとんど平坦で比較的整備もされてはいるが、未舗装の道だ。足元が不安である。
「最後にここで休憩しようぜ。そんでいい加減目を覚ませ。もうすぐ着くから」
池まであと500m、と書かれた看板の前でコウタがぐいっとナオミのザックを引っ張った。
ナオミはぼんやりした顔で引っ張られるがまま、案内板の横の大きめの石に腰を下ろす。
蛍ヶ池はまあまあ標高が高い位置にあるらしい。ナオミに登山の経験はあまりないが、周囲の木が近所の山の物より低いのを見てそんな気がした。
お蔭で地上より少し涼しくて気持ちがいい。肌に感じる風を受けながら背伸びをした。
水を飲み、目覚ましにハッカのガムを噛んでいるとようやく少し目が覚めた。
彼女の横ではコウタがナオミのザックを開け、中のスイに霧吹きで井戸水をかけてやっていた。
瓶ごと移動できない場合を考えて霧吹きを用意していたが、スイには概ね好評のようだ。マイナスイオン効果か。
「目ぇ覚めたか。じゃあ行くぞー」
ナオミの様子を見て、コウタが声をかけてきた。
スイも心配そうに身体を伸ばしてきたので、ナオミは大丈夫、と小さく笑って頭を撫でてやった。そのままザックの中に入るよう頭を誘導する。
スイは大人しくザックに納まった。
ここは時々池からの帰りの人とすれ違う程度でほとんど人気はない。スイについて人目を気にする必要はないのはありがたかった。
ハイキングを再開すると、ほどなく目的地である池が見えてきた。
今ナオミたちがいる場所から少し下ったところにあるため、全体がよく見える。
楕円に近い形の池は一番長い場所で直径200m程だろうか。低木が周囲に生い茂り、透明感のある水には晴れた空と少しの雲が映っている。
「きれい」
思わず呟いた。
「確かに思ってたよりいい感じの場所だな。ナオミ、あそこの休憩所みたいなとこまで行くぞ」
言われてみれば、池のほとりに東屋らしきものがあった。
頷いて足を速める。
ちょっと気持ちが高揚した。
東屋には、石製の長椅子とテーブルがあった。
そこにコウタだけが荷物を下ろす。
ナオミのザックの中身はスイだけだが、コウタの荷物には2人と1匹分の水や食料が入っており重量もなかなかであった。
休憩もそこそこに、ナオミはザックを担いだまま池に向かう。今周囲に人気はないが念のためスイを完全に出すことはしたくない。
後ろからコウタも追いかけてきた。
池のほとりで、ナオミはザック地面に下ろし鞄の口を開ける。
すぐに龍の頭が出てきた。鞄の口からまっすぐ上に身体を伸ばし周囲を観察する。
次にはしゅる、と下向きに流れるように頭を移動させ水面に顔を近づけた。
「…スイ、どうだ?」
水面ぎりぎりを探るように顔を滑らせていたが、ナオミの声に振り向いたスイはため息をひとつつくと、やる気が無さそうに鞄に戻ってしまった。
「あー今までで一番反応があったのに!ここも駄目なのかー」
固唾を飲んで見守っていたコウタが、脱力してしゃがんだ。
「ここも、スイの縁の場所では無かったってことだな……」
ナオミも少し肩を落として池のほとりに膝をつく。
そのまま四つん這いになって池の淵ぎりぎりまで進み、水面を覗き込む。
池に自分の顔が映った。
淵からいきなり深そうな池だった。底が見えない。中心に行けばもっと深いだろう。昔は本当に龍神が住んでいたのかもしれない……
水面を見ながらそんな風に考えていると、ゆら、と池に映った自分の顔が揺れた。
一瞬、視界全部が揺れたような気がした。もしかして頭の中身が揺れたのかもしれない。
ナオミは平衡感覚を失った。
先ほどの眠気と怠さが尾を引いていたのかもしれない。こんな体調で来るんじゃなかった。
後悔がぐるぐる回るが、そのままがくっと力が抜け、腕で身体を支えきれなくなり身体が池に向かって傾いた。
目前に池が迫る。
「ナオミ!!」
落ちた、と思った瞬間、遠くにコウタの声が聞こえた。
本日11/17 20:00に次話を投稿予定です。