ところにより、夜の学校でしょう
その日は良い天気だった。
9月に入ったもののまだまだ残暑は続き、夏らしさを損ねない青空。そしてまだまだ厚い雲。
世間ではとっくに終わった長期休みの高揚感を思い出させる天気だった。
怠惰に昼過ぎに起き、軽く祖母の畑を手伝い、夕方には庭と玄関に打ち水を撒く。
緑と土が溢れるこの土地は都会よりも放熱が早く、昼の暑さはすぐ消え、夜は涼しい。
昼夜の温度差を少しずつ大きくし、多少ではあるが秋を実感し始めることができた。
そして夜。
祖母が知人の急な不幸を知り、慌てて喪服を着て出て行ったあとしばらくして。
「乗せて行ってください」
ナオミはコウタ宅の玄関で頭を下げていた。
Tシャツにハーフパンツというラフな姿で上がり框に立つコウタは、頭を掻きながら対応した。
「なんで今の今まで気づかなかったんだよ」
しっかり90度にお辞儀したままのナオミは顔だけを上げ、視線をそらしながら気まずそうな表情をする。
ちなみにスイは家で待機中のためここにはいない。
「…二日酔いで気持ち悪くて午前中はそんなの気にしなかったし、その後も畑で作業とか夕飯の支度とか忙しかったんだ」
「普通1回くらい確認しね?」
「普段から基本放置だ」
「…お前友達少ないからな。携帯なんて無くても気にしねーか」
「うるさい。今日まではそうだが明日は違うぞ。戦友から打ち上げの連絡が来るかもしれないんだ。どうしても今日中に取りに行きたい」
そこは身体を起こして断固反論した。
今までの自分と思うな。
ところで話のネタは言うまでもなくナオミの携帯電話である。
前日アヤの家でしこたま飲み、朝に3人で帰ってきたところだった。二日酔いでボロボロだったナオミが覚醒したのは昼過ぎ。そこから今まで携帯が無いことにすら気づいていなかった。
ちなみにナオミが言う「戦友」とは昨日までの過酷な集中講義でグループを組んだメンバー達のこと。
打ち上げは明日の夜。急に決まった打ち上げの場所を手配し、連絡をくれる手はずになっていた。
戦友からの連絡を無視するなんてできない。なんとしてでも今日中に携帯を取り戻したい。
「で、携帯ありそうなのは学校だって?アヤんちじゃねーの?」
「アヤの家では携帯を使っていない。最後に使ったのは、講義のあとコウタに連絡を取ったときだ。だからきっと講義室にある」
念のためコウタはその場でアヤに電話をしてみる。が、「ないわよー?」と明るく返事が返ってきた。
「…にしても、こんなときに車検なんてな」
「…それはすまない。携帯が無いせいで車検内容の確認を受けれずに引き取りが延びた…」
だから乗せて行ってください、とナオミはもう一度頭を下げる。耳元で青い髪飾りが光った。
集中講義の期間中はコウタに乗せて行ってもらえることになって、どうせ数日使わないからとナオミは車を車検に出してしまった。それが失敗だった。
今日夜になって整備工場から連絡がないなと携帯を探し、どこにも無いことが発覚したのである。
現在21時過ぎ。田舎ではこの時間から公共交通機関を利用し、2つ隣の市にある大学まで往復するのは無理だった。こうなれば車を出せる人に頼るしかない。
祖母の帰宅は多分夜半になる。
コウタに借りは作りたくなかったが、戦友との友情のため、断腸の思いで頭を下げた。
「仕方ねーな。分かったよ」
「すまない」
「その代わり今度ちょっと付き合えよ。スイ抜きで」
「う。奢るとかは無理だぞ」
「バイトやってねーやつにそんなん求めるか。拒否するなら乗せていかねーぞ」
「…分かった。了解した」
ということでちょっと脅した後、コウタはナオミ、そして当然のように着いてくるスイと共に学校へ向かうことになったのである。
◆◆
ナオミとコウタが通う大学は公立である。
見栄えも大切にされる私立とは違い、基本的にどの建物もとても古い。
今3人は、築40年以上は経っている学部のメイン棟に来ていた。
廊下の壁は煤けたクリーム色、床は深く淀んだ緑。並ぶドアは灰色の重い金属扉。
本来もっと明るい色だったはずだが、長年の使用で黒ずんだ内装は、夜間灯と非常口のランプだけが点いた現在の視覚的な暗さを引き立てていた。
「いつも思うけど、この棟って古い病院みだいだよな。実際病院だったんじゃねえの?」
薄暗い廊下を歩くコウタが呟く。その声は誰もいないフロアに妙に響いた。
後ろを歩くナオミの顔が強張る。
「そ、そんなこと言うな」
ナオミはお化けの類が大嫌いだった。夏の間、バラエティーでもワイドショーでも特集で怪談話が流れると光の速さでチャンネルを変えた。夏のテレビ番組はまったく油断がならない。
それに、昔病院だった、かつて墓場だった、などというネタは会談のセオリーではないか。嘘でも身震いする。
夜中に大学に来るのは初めてである。ナオミはコウタのデリカシーの無さに怒りながらも、隣のスイのシャツを握って身を寄せた。
そうしてから、なんだかんだでスイは安心できる場所なんだとナオミは自覚する。
先日不意打ちで口づけをされて動揺し、そして捕食されそうな雰囲気に怯えて逃げ回っていたが、そもそもずっと世話し見守ってきた相手である。警戒心を抱く相手でなかっただけに、いざとなると無意識に寄ってしまうのだ。
スイがこちらを向き微笑んでくれるのを見て、安心しきっている自分に苦笑した。
ナオミを怖がらせて楽しんでいたコウタは後ろを振り向くが、くっつく2人を見つけて眉を上げ、引き離しにかかった。
そして手を捕まえたナオミに対し、意地の悪い顔を浮かべ低い声で言った。
「なあナオミ、知ってるか」
「や、やめろ。嫌な予感がする。聞かない」
「この棟の前に水のない噴水があるだろ。あれ、実は昔中央に女神像があったらしいんだよ。その女神像が撤去されちまったのは、なんと夜中に血の涙を流すという…」
「聞かない、聞きたくない!」
耳をふさいでしまった。「あー」と声を出し続きを聞かないようにしているが、途中までしっかり聞いていたから意味がないだろうに。
「最後まで聞けって」
笑いながらナオミの両手を耳から離す。
「やーめーろーばかー」
じゃれていると、スイが笑みを浮かべながらコウタの手を掴んでナオミから離した。ちなみに目は全く笑っていない。
2人が睨みあう。
解放されたナオミはコウタから逃げた。
さっさと用事を終わらせて学校から出よう。
2人を廊下に残したまま目の前の目的地、昨日使っていた1階の講義室に入った。
この講義室は教壇を一番底にした、いわゆるすり鉢状になっている。ナオミは部屋に入ると教壇の横を通って階段を上がり、部屋の中央、一昨日自分が座っていた席の椅子の座面を確認した。しかし、携帯は見当たらない。
かがんで4人掛けのベンチの下を覗き込むと、一番向こうの椅子の下に携帯が転がっていた。
「よかった、あった…」
ナオミの愛すべきガラケー。先日神社で買った家内安全のお守りもきちんと着いていた。お守りは小さく可愛かったので、キーホルダーの金具を取りストラップとして装着していたのである。
ほっとした。警備員か清掃の人に拾われて無いかと思ったが、まだ夏休みのため放置されていたようだ。
携帯までショートカットをするため膝立ちで椅子の上を進み反対側に降り立つ。そしてしゃがんで手だけを伸ばし、携帯を拾おうとした。
これで拾えばミッション終了である。安心感で気持ちが軽くなった。
…しかし、手を伸ばし、あると思っていた位置まできても携帯が指に触れない。
「……?」
目測を誤ったか、と思い、もう一度椅子の下を覗き込む。
しゅる。
「!!」
意外なモノを見てしまい、ナオミは固まる。
そこに携帯はなく―――1匹の赤い蛇が目を光らせてナオミを見つめていた。




