ところにより、授けられるでしょう
ある夜半。
繊月の下、スイは風のように駆けていた。
薄い月明かり。人工の光も無い中、人の目では危うい足元も物ともせず、人では不可能な速さで進む。
父のように龍になれば更に移動は早い。が、雨を呼んで移動するのは派手でスイは好まなかった。
農地を通る道も山の中も最短距離で進み、先日車と足で合計40分かかった距離をものの10分で駆け抜けた。そして自分が生まれた清流のほとりに立つ。
自分に纏わせていた不可視の術を解除。
そしてひとつの大きな岩の上に立つと、目を閉じ精神を集中させた。
この場にある気を吸収するためだ。
ふわりと絹のような髪が浮き上がる。
月色の光が蛍のように彼の周囲を漂った。
―――"ヌシ"が起きそうだよ。
父はそう言った。
アレが"ヌシ"ならナオミが危ない。初めに気づいたとき自分はまだ幼く、また無関係だと思っていたが。
今はまだ手が出せない。力も足りないし、眠っているアレを排除する方法がない。
先日、神社の池で仕掛けてきたのはおそらくアレの手足。本体はまだ完全に起きてはいないだろう。
ならば、アレが起きるまでに力をつける。
愛しい少女を害する者の存在を許すわけにはいかなかった。
成長する。それには食事を多く採る必要がある。
生まれた地の気は自分に馴染みやすい。先日も気を吸ったが、しかしまだ足りない。
ナオミの気も吸いすぎる程吸った。少し吸いすぎたのでしばらく彼女から食事するのは控える。
身体は十分に成長している。あともう少し。
スイはさらに深く、気の吸収に意識を集中させた。
◆◆
コンコン。
「入ってる」
コンコンコン。
「入ってるったら入ってる」
「…何やってんだお前ら…」
ナオミの部屋の前で、くすくす笑いながらドアを叩くスイと、声だけのナオミ。
時間になっても出てこないと来てみたら、2階に上がったとたん目に入った光景がこれだった。
コウタはスイと場所を代わり、ドアノブに手をかけた。
開けようと押したが、ごん、と何かに当たって少ししか開かなかった。向こうにナオミのローテーブルの面が見える。もう少し押すが重くて動かない。テーブルの向こうに何か置いてるようだ。
「籠城の真似か?おい、これどかせよ。遅刻すっぞ」
ぐいぐい押すが駄目だった。
と、スイがわずかな隙間から手を入れ軽く押す。すると簡単に荷物が移動し、ドアが開いた。
「……!」
部屋の中には口を開けて硬直するナオミ。
コウタがドアの前を確認すると、テーブルの向こうには大き目の衣装ケースが置いてあった。
重そうだが、スイはこれを片手で動かした。実は軽いのか?コウタは首を捻ったが、それより時間が、と我に返る。
「朝から遊ぶな。行くぞ」
ぱくぱくと口を動かしていたが、ナオミは仕方なくといった感じで部屋を出てきた。
そのまますたすたと玄関に向かう。
「…ナオミ、荷物は」
靴を履いている幼馴染に声を掛けると彼女ははっとしたように手元を見て、それから慌てて再度2階に戻っていった。
「何やってんだか…」
呆れて見送るが、同じようにナオミを見送る笑顔のスイに怪訝な目を向ける。
「スイ、ナオミに何かしただろ」
ここ数日幼馴染の様子がおかしい。あんなに可愛がっていた龍から距離をとろうとおろおろしている。
純粋無垢を体現したような透明感を漂わせる彼は、コウタに向かって可笑しそうに目を細めてからとぼけたように肩を竦めた。説明する気は全くないようだ。
2人が無言で睨みあっているとナオミが走って戻ってきた。
スイの横を通り抜けるが、そこでスイがナオミの腕を取って止める。
そして腕を掴まれ慌てるナオミの耳の上を指でとん、と突き、次にこてんと首を傾げた。それを見て、あ、とナオミは思い出したようにポケットから何かを取り出す。
出てきたのは、祭でスイが買った青い髪飾りだった。
それを受け取ると、スイが飾りの石に指で触れる。
ぽぅっと指先が光った。
不思議な光は石に吸い込まれ、消えていく。
光が治まると、スイは髪飾りをナオミの髪につけた。ナオミは少し緊張した面持ちで大人しく飾りが着くのを待つ。
その光景をコウタは不機嫌に眺めた。
その後、玄関を出るナオミを見送りに出たスイが抱き締め離さず、コウタを混ぜて揉み合うという一コマがあった。が、「時間!」とキレたナオミに一喝され落着。
すったもんだでようやくコウタとナオミは出発したのだった。
2人は本日大学に向かっていた。
昨日からナオミの夏季集中講義が始まっていたのである。
5日間、朝から晩まで授業を受ける。これで単位がひとつとれるので夏休み中と言えど欠席はありえない。
コウタも研究室に終日かかる用事があったので、ついでに今日から一緒に行くことにしていた。
ちなみにスイは昨日、当然のように学校に着いてきたが美形のスイを発見した女性に取り囲まれてしまった。芸能人だと勘違いをされた可能性もある。またSNSで情報が拡散したのか、時間を追うごとに人が増え、夏休みにも関わらず構内は軽くパニックになってしまった。
仕方ないので図書館の書庫に籠ってもらったらしいが「女って恐ろしい…」とナオミがぷるぷる震えていたのでよっぽどだったのだろう。
ということで本日からスイは留守番であった。
「…で、スイと何かあったのか?」
「…何もない。全くない」
出掛けの態度のおかしさについて追及するも、ナオミははぐらかす。
このやり取りも何度目だろう。運転しながらコウタは気づかれない程小さなため息をついた。
「じゃあ、さっき髪飾りに何してたんだ?」
コウタは質問を変えた。人外の彼は時々不思議な術を使う。
ナオミは自分の左耳の上に着けられた飾りに触れながら答えた。
「何でも、お守りだそうだ。危ないからと」
微妙に質問からズレた答えだが、彼にそう言われたのだろう。
今日からの講義についても、スイはコウタと一緒に通学することをあっさり承諾した。いや別に許可を取る必要はないのだが。
1人より安心。ナオミから報告されたとき、スイの口はそう動いた。
コウタは祭の夜のことを思い出した。
ナオミ達の姿がないと気づいた瞬間、スイは弾かれたように走り出した。迷いなく駆ける彼の後を追ってみれば、着いた池の畔では緊張した顔のスイと青ざめるナオミ。
危険なことがあったのだと思った。またスイの顔から、あれで全てが終わったとは考えにくい。
「…何かあったらタダじゃおかねーからな…」
小さくコウタは呟いた。隣に座る幼馴染には幸いにも聞こえていないようだった。
◆◆
ものすごい雨だった。
「前が見えねえ」
コウタは深夜、家に向かって車を走らせていた。
フロントガラスに叩きつける無数の雨粒。バイト終わりに急に降り出した雨は強く、ワイパーをどれだけ動かしても視界が晴れない。
ふと、龍のスイを追ってナオミと車を走らせた日を思い出す。
あのときも前が見えない程の雨だった。
あれから約1か月。
スイ1人(匹?)で自分とナオミの生活が大きく変わった。まったく面倒なことだと思う。本当、いろんな意味で。
今朝のナオミとスイの様子が浮かび、コウタはちっ、と舌打ちをした。本当に面倒だ。
「ムカつく…」
茶髪の龍に苛立ちを吐く。
と、突然雨がぴたりと止んだ。画面が切り替わったかのように、見事に気配がなくなったのである。
そして驚くコウタの前、農道を走る車のヘッドライトの先に人が立っていた。
コウタは全力でブレーキを踏んだ。
「あぶね…!」
ひやりとした。一歩間違えたら轢いてしまうところだった。
と同時に別の汗が流れる。この時間、周囲に田んぼしかない場所になぜ人が立っている…?
ホラーは勘弁だぞ、と思いながら恐る恐るヘッドライトに照らされる人物を確認した。
「あれ?」
見たことのある相手だった。
「スイの父ちゃん…?」
そこには、美しい父龍がのんきな表情をして立っていた。
「久しいね、少年」
「何の用すか?」
「冷たいねー。これでも私一応神様なのに」
威厳がないのは多分口調のせいだろうと思ったが、コウタは返さずにおいた。
ヘッドライトをつけたまま車の外に出たコウタに、軽く手を上げて父龍は挨拶をする。
彼はいつものとおり神社の神主のような格好である。白く長い袖がヘッドライトに反射し、淡くふわりと揺れた。
「道に立ってると危ないすよ」
「そうだね。車が危ないね」
何だか微妙に自分の伝えたかったニュアンスと違う気がする。
「君の気配って追いにくいから、見つけたらすぐ捕まえなくちゃと思ってね。ナオミの残り香があって助かったよ」
「残り香?」
「最近、その車にナオミが乗ったでしょ?彼女のならすぐに分かる」
「…意味分からないんすけど、まあナオミは今日確かに乗せましたね」
「うん、じゃあ用件を言おう」
マイペースな龍だ。
「これをあげる」
父龍がふい、と空中に指を辿らせると、コウタの目の前に1枚の光が現れた。それがひらひらと落ちてくる。
慌てて両手でそれを受け止めた。
「…?何だこれ…でっかい鱗?」
コウタの手のひらサイズの、白銀の鱗。それがきらきらと輝いていた。
「そう、私の鱗。持ち運びしやすいようにこれでも小さいの選んだんだよ?」
コウタはぎょっとした。神様のーー龍の鱗。今これを自分にくれるって言わなかったか。
「あげるよ。大切に使ってね」
「…何に使うんですか。そして何で俺にくれるんすか」
「うーん1つ目の質問については、護るため、かな。そのうち要るようになる」
「はあ」
要領を得ない。詳しく聞くのも無理かと思い、追及は諦めた。
「もう1つの質問については…騎士は多い方がいいでしょ、というところかな」
「…はあ」
「せいぜい息子の邪魔をしてね」
「…は?」
「彼だけ近くに居るのずるいと思わないかい?こちらは仕事があって中々会いに行けないのに。だから君が邪魔をしておいて」
「……」
言いたいことは何となく分かった。そして嫌な予感もする。
「俺たちは人間です」
「知ってるよ?」
「神様は神様同士でやってください」
「ふふ。威勢がいいね少年。じゃあ敬意を表して……ひとつだけ教えてあげよう」
陽気だった声が後半、低くなった。
「…龍はね、執着心がとても強いんだ」
「…!」
父龍は口元に僅かな笑みを浮かべていたが、細めた目には冷たい光が宿っている。
コウタはごくりと唾を飲み込んだ。
しばしの間の後…再び陽気な声が発せられたことで緊張した空気は霧散した。
「という訳で頑張ってね、少年」
「…どうも」
「ナオミによろしく」
「…嫌です」
「あはは。その調子で息子を牽制してもらえると嬉しいな。ではね」
ひら、と父龍が手を振った。
とたんに目が開けられないほどの激しい雨がコウタを襲う。
この雨は龍がもたらしたものだとすぐに理解する。水の重さと勢いに少し身体が沈んだが、それも10秒ほどのことでまたからりと雨は上がった。
後には、何事も無かったかのように広がる星空。
コウタはずぶ濡れのTシャツを絞ろうとして手のひらの鱗に気づいた。
「……せめて車に入ってから降らせてほしかったよ…」
鱗と同じ光を湛える星空を見上げ、コウタは恨めしく呟いた。




