ところにより、土産の相手を探すでしょう[後編]
自分の部屋の窓辺に座るその人は、相変わらず美しかった。
白銀の長い髪に海よりも青い瞳。切れ長の目に薄い唇。神主のような白い衣と水色の袴を身につける、麗人。
本性は巨大な白銀の龍である、スイの父親であった。
気づけばいつの間か雨は止んでいた。
「やあこんばんは。ナオミ、元気にしてた?」
目を細め、美しい声で問いかける。
「…あ、はい。なんとか」
うっかり一瞬見惚れ、返事が遅れた。
彼は、息子とよく似た顔でふわりと笑った。
前会ったときにも思ったが、なんともフレンドリーな龍だ。人見知りなナオミも不思議と緊張せず会話をすることができる。ナオミの初対面恐怖症も龍は対象外なのだろうか。
きれいすぎて戸惑う以外は困ることはない。そういう意味で彼はナオミにとって稀な存在だった。
「夜にお邪魔してごめんね。顔が見たくなったものだから」
誰の、とは言わなかった。当然息子のことだろうとナオミは隣に居るスイの肩を抱いて、前に進ませる。
気のせいかスイの動きが硬い。
「スイ、元気ですよ」
「……ああ、元気そうだね」
息子の顔を見たものの、父龍は特に感情を見せずに言葉を返した。すぐにナオミに視線を戻す。
「ナオミの顔色もよさそうだ。息子は食事をきちんと調整しているようだね」
「はい。眠気もなくなりました」
「そうよかった。安心したよ。ナオミの気は我々にとって上質だから、気を抜いたら食べすぎちゃうんだよね」
「そ、そうなんですか」
「そう。いい匂いだし」
匂い?ナオミは首を倒す。気と匂いってどう繋がるのだろう。
父龍は窓枠から降り、ナオミに近づく。
背、高い。
初めて間近で見て思う。身長は180cmは超えていそうだ。体格もきっとそれなりにいい。衣を重ねて着ているので分かりにくいが、首筋を見て何となく想像がついた。
衣からは森の中にいるような何ともいい香りが漂ってくる。
美しい顔が近づき、また満たされるよい香りにナオミの頭がくらりとする。慌てて足を踏ん張った。
す、と白衣の長い袖がこちらに延び、ナオミの顎が父龍の右手に捉えられた。
深い青の瞳が、ナオミを見て細められる。
「うん、本当にいい匂いだ」
白く長い指が彼女の顎と喉をさすった。ナオミの背に、ぞくっと何かが走る。
「美味しそうだね」
壮絶な色気が含まれる声で、麗人は言った。
「……気のことですよね」
ナオミが絞り出した声に、麗人は少しだけ愉快そうな色を瞳に灯した。
「……そうだね」
逸らされない青の瞳に吸い込まれそうになる。
どん、とナオミの腰に何かが当たった。
父龍の手がナオミの顎かられる。
はっと我に返り自分の身体を見下ろすと、隣からスイがしがみつき、父龍から彼女を引き離していた。
父龍から離れても、スイは父に視線を向けたままぎゅうとナオミの腰を抱きしめる。その表情は冷たく、目に強い敵意を表していた。
「ス、スイ?」
スイがナオミを見上げる。一瞬前の表情は消え、変わりに形のいい眉がしかめられている。
だいじょうぶ?と小さく口が動く。
答えず、ナオミはスイを抱きしめ返し、頭を撫でた。パジャマからスイの体温が伝わり肩の力が抜ける。
「仲良くやっているようだね。妬けちゃうね」
先ほどの雰囲気はどこへやら。父龍はのほほんと2人を冷やかした。
ナオミがホッとしているとスイがとんとん、とナオミの腕を突いてきた。見ると、口を動かしている。
ヤ・サ・イと言っているように見えた。
「…?ヤサイ?……ああ!」
祖母から言われていた野菜、あれば父龍のためだったのか。アヤ達が帰った後は誰も訪ねてこなかった。父龍が待ち人で間違いない。以前ナオミが、彼が祖母の野菜を誉めていたと伝えたのを覚えていたのだ。
「あの、祖母が作った野菜があるんです。多分お父さんのために用意していたのだと思います。…持ってきてもいいですか?」
きょと、とスイによく似た顔で父龍が目を丸くした。が、すぐに相好を崩す。
「サエさんの野菜があるの?嬉しいなあ。じゃあ遠慮なく頂いていい?」
「はい。祖母も喜びます。持ってきますね」
ナオミは野菜を準備するため、部屋を出て行った。
「さて……と」
ナオミが階段を降りる音を聞きながら、父龍は息子に向き直る。
スイは恐ろしく冷えた空気を纏って対峙した。その冷たさすら少年の美しさを引き立てている。
「相当ナオミに執着してるようだね。驚いたよ」
子龍は表情を変えず、念話で何事かを返す。人語は無理だが、スイは龍同士で通常使う念話は問題なく使える。
息子の返しを聞き、父龍は小さく笑った。
「…そうかもね。でも仕方ないと思わない?あの娘、本当にいい匂いがするのだし。私の気に充てられても萎縮しないし、それに何より…とてもかわいい」
スイの眉が跳ねた。
ばちばち、と空中に光が複数走って父龍を襲ったが、彼は身じろぎひとつせずそれを弾く。
「おやおや、嫉妬深いね。曲がりなりにも父親なのだから遠慮してほしいところだけど」
肩をすくめるが若干演技がかっている。
「もう雷も操れているみたいだね。思ったより成長が早いけれど…まだまだ未熟。もう少し修行なさい。せめて」
突然夜の闇に爆発音のような雷鳴が轟いた。同時に上空に巨大な稲妻が走る。
「せめてこれくらい。…でないと、ナオミどころか自分も守れないよ?」
スイの目が鋭く父を睨んだ。
くすくすと父龍が笑う。
「そう、気概だけは一人前だねえ。えらいえらい。じゃあひとついいことを教えてあげよう。"ヌシ"が起きたみたいだ」
ぴく、とスイが反応した。父龍の目を見つめる。
「そう、その"ヌシ"。何百年ぶりかなあ。あの娘に気づいちゃったみたいだね。もしかして引っ張られちゃうかもよ?……無理無理、私は動けない。これでも水神様だからね、いろいろ忙しいんだから」
スイの目がまた鋭く光って父龍を射抜く。
父は今度は本当に困ったように肩をすくめた。
「"私と仕事どっちが大事?"って言われてるみたい。それ人間の女性が男性を追い詰める一番のセリフだって言うよ?君も私の息子なら、女の1人くらい護ってみせなさい」
くすり、と妖艶に微笑んで見せる。
「でないと……横から攫われてしまうよ?」
スイはそれを正面から受け止めた。ふ、と父親に負けない美しい笑みを浮かべる。
「…立派なことだね。じゃあ頑張りなさい」
と、ちょうどそこでナオミが部屋のドアを開けた。
一瞬で今までの緊迫した空気を嘘のように消し、龍たちは彼女を迎え入れる。
ナオミの両手には紙袋に、めいいっぱいの野菜。重そうに運び入れ父龍の側に置く。
「すごいね。こんなに沢山貰って構わないのかな」
「大丈夫です。来たら渡して、ってメモありましたし。全部お父さんに用意してたみたいですから」
「ありがたいな。じゃあ頂くよ」
「はい」
ナオミが苦労して持ってきた紙袋は軽々と父龍に持たれてしまった。相当な力だ。
父龍は紙袋を受け取ったが、立ち去らない。ナオミの前に立ったまま微笑み、じっと彼女を見つめた。
「?どうし…」
「白潤」
「え?」
「白潤。私の名前。あまり呼ばせたことないのだけど、ナオミなら特別。お父さんじゃなく、名前で呼んで欲しいな」
スイがぎょっとしたように父を見る。すぐに2人に近寄ろうとしたが、身体が動かせなかった。
父の術に縛られている。ぎ、っとスイは歯ぎしりした。
ナオミはそんなスイの様子に気づかず、父龍から急に言われたことに柄にもなく動揺していた。
「ほ、本名とか真名とかいうやつでしょうか。それって結構大変なこと…な気がするんですが」
「呼んで?」
美しい人はナオミを見つめ、重ねて言う。微かだがその目の奥に熱を感じた。
数秒の戸惑いののち、ナオミは折れる。
「分かりました……白潤さん」
「さんはいらない。ついでに敬語も取って」
便乗してハードル上げられた!
ナオミは数歩引いたが、同じだけ父龍に距離を詰められてしまう。後ろには壁。逃げられない。観念するしかなかった。もう割り切って通常モードで行くしかない。
両手を上げ、降参ポーズで答えた。
「…わかった、白潤。ちゃんと呼ぶ」
「…ありがとう」
美しい顔にとろりと蕩けるような笑みが浮かんだ。美人の可愛い笑顔、半端ない。
…あれ?似たようなことをちょっと前に思った気がする…。
油断して、白潤の顔が近づいていたのに気付かなかったのは誤算だった。
「!?」
自分の頬に、白潤の少し冷たい唇が触れたと分かったのは一瞬あと。
さら、と頬に長い白銀の髪がかかった。
そして固まる彼女の耳に、歌うような美しい囁きが落とされる。
「可愛いナオミ。最後にひとつだけ。息子が話せる準備は整っているよ。あとはナオミがもう一歩だね」
「?どういう…」
ナオミが聞き返そうとすると、何かが弾けるような音がし、父龍の向こうで硬直の解けたスイが手を振るのが見えた。
怒りが爆発したスイにより、部屋中にバスケットボール大の水球が次々生まれていく。
「ではまたね、ナオミ」
水球などまるで無いかのように、笑顔でふわりと窓辺に移動した白潤は、そのまま窓の外に身をひるがえす。
スイが作り出した水球が後を追って飛ぶも、命中することなく宙に散った。
とたん、先ほどまでの静けさが嘘のように雨が大量に天から落ちてきた。
窓に駆け寄りナオミが暗い空を見上げると、黒雲の隙間に白銀の身体が見え隠れする。
文字通り、父龍は嵐のように去って行った。
後ろから盛大な舌打ちが聞こえたが、ナオミの耳には入らない。
唇が触れた頬を押さえ、彼女は茫然と龍の姿を見送ったのであった。
父龍がどのキャラよりもフライングゲット。




