ところにより、海でバトるでしょう[前編]
スイが珍しく興奮した様子でぱたぱたと駆ける。
「こら、あまり先に行くな。ほらサンダルが脱げた」
笑ってナオミが追い掛けてきた。
青い空、白い雲、打ち寄せる波―――
海である。
7月末。世間は夏休みに入り、砂浜には海水浴客げ溢れている。
よく晴れた空の下、駐車場の柵まで駆けたスイは初めての海を見下ろし瞳をきらきら輝かせた。
「海、嬉しいか?スイ」
脱げたサンダルをしゃがんで履かせると、子龍はこくこくこく、と頭を強く縦に振った。
悩んだけど、来てよかった。
「おーいナオミ、荷物持つの手伝えー」
「あ、コウちゃん、私も持つよぉ?」
「コウ、飲み物全部持ってくか?あ、そのビール俺の!」
……来なかった方がよかったかもしれない。
すぐにちょっと後悔が滲んだ。
後ろから幼馴染と、他に若い男女の賑やかな会話が聞こえる。
今日は、大学の友人たちと海水浴だ。
友人とは、コウタの友人である。ナオミのではない。顔は見知っているが話をしたことはない。
なのになぜか「ナオミちゃんを連れてこい」とコウタが男友達に強く言われたとのことで同行させられていた。無理矢理。
スイを口実に断ろうと思ったが、海ってなに?と興味深々の子龍に、海を見せてあげたいという親心が勝ってしまったのである。
早まったかもしれない……
ナオミはしゃがんだままスイに縋り付いた。
元々人と関わることが苦手なところにこのメンツで、一日過ごせる自信は既に無くなっていた。
メンバーは男友達AとB。そして女友達C。名前は聞いた瞬間に忘れた。
男達はなぜかナオミに興味があるらしく、車の中でも何かと話かけてきて鬱陶しかった。やたらとコウタのことを質問されたが、そんなこと本人に聞けと思った。そしてコウタが彼らにキレていたのも不思議。
女友達はコウタにべたべただった。助手席にさっさと座り、ワゴンを運転手するコウタの世話を何かとやいていた。「彼女か」とコウタに聞いたら嫌な顔をされた。そして女友達に鋭い目で見られた。
スイと2人だけで別に来たらよかった。既に帰りたいが手遅れ。
ため息をついたら、ナオミの腕に抱えられたスイが心配そうに顔を覗き込んできた。
「ごめん、大丈夫だ」
スイに海を堪能させてやりたい。もう少し耐えようと、ナオミは小さく笑顔を作って子龍の茶色の髪を撫でた。
「来たぞ。何を運んだらいい」
「そっちのマット。あとスイの着替え」
「了解した」
「ナオちゃん、俺のこれも持ってー」
「うっせーお前は働け。ナオミ、今言ったの頼む」
コウタに声を掛けたナオミは、その後の男友達Aの言葉をまるっと無視し、指示された比較的軽い荷物だけを持つ。
スイも自分用の大きい水筒を抱えた。中身は井戸水だ。
スイもまた大きくなった。今は5歳児くらいか。背もナオミの腰あたりまでになった。
成長が嬉しい。
ナオミとスイは手をつないで海に向かった。
◆◆
「あんた、コウちゃんの何」
「幼馴染だ」
「知ってるわよ!」
じゃあ他に何があるんだ。
ナオミは座ったまま感情のない目で、仁王立ちになっている女を見上げる。
泳げないのでとりあえずスイの補給待ちで座っていたら女友達Cに絡まれてしまった。
長くウエーブした茶髪。可愛いが猫目でちょっと気が強そうな顔。華奢な割に凹凸がはっきりしている身体。赤い花柄のビキニとパニエ。
泳ぐよりお洒落重視なのか、耳に大きなリングピアスを着けている。
うん、胸子と呼ぼう。
豊満な胸を見てナオミは勝手に名づけた。
マットに一緒に座っているスイは、キュウリを齧りながら煩そうに胸子に目を向けている。
「幼馴染っていうのは聞いて知ってるわ。コウちゃんは何でも話してくれるから!でも何、いつもいつも話題はあんたのことばっか!どれだけ一緒にいるのよ!」
「2日に1回ウチに来るが」
「いいい一緒に居すぎよ!私は夏休みで会えないのに!」
「会えばいいじゃないか」
「できたら苦労してないわよ!どれだけコウちゃんと距離が近いのよ!」
「近所だが」
「それも知ってるわよ!!」
「元気だな」
「ありがとね!!」
何だ、いいヤツなのか?
目的が分からずナオミは少しやりとりを反芻した。と、納得してぽんと手を打つ。
「何だ嫉妬か」
「ちちち違うわよ!」
嫉妬確定。
実を言うと、ときどきこういう女性に絡まれる。彼女でもないのにいつもコウタと一緒のナオミを目障りに思うらしい。
ちなみにコウタは性格はアレだが、なぜかモテる。顔は悪くないし背は高くて社交的でスポーツできて気配りができて頼りがいがあるからだろうか。
ん?もしかしてコウタは優良物件なのか。
ナオミはちょっと首を捻ったが、どうでもいいかと考えるのをやめた。
「で、私はどうしたらいいんだ」
「は?」
「貴方の要求が分からない。私はコウタのただの幼馴染、それだけだ。それ以上どうしたらいい」
「コ、コウちゃんと距離をおいて!」
「じゃあコウタに言ってくれ。私は自分からは現在近所付き合い以上に関わりを持っていない」
「!」
スイが龍の姿だったころは手助けを頼んだが、今となってはそれも必要なくなっている。彼が頻繁に様子を見に来るだけだ。
胸子は猫目をさらに吊り上げる。
「…あんたムカつくわ!」
「それは悪かった。だがこれが平常運転だ」
人との交流は苦手だが、嫌われている前提ならいっそのこと気が楽だった。
しかし会話のレベルが低い。面倒くさい。
「まず自分で彼との関係を頑張って築いてくれ。私に絡んでも前進はしないと思う」
言い残し、ナオミはスイの手を引いて立ち去った。
後ろでまだ何か言っているが放置しておこう。
しかしよく揺れる胸だった。
「ナオミ、何話してたんだ?」
海側から元凶がやってきた。
シュノーケルを使って潜っていたらしい。ハーフパンツタイプの水着を履いた彼の引き締まった上半身は濡れていた。
「……身の周りはきれいにしろ。迷惑だ」
「あー…悪かったな。根はいいヤツなんだけど。なんつーか元気が有り余ってて」
「そうかもしれんが、そういう問題じゃないと思うぞ」
「正直者だからお前と仲良くなれるんじゃないかと思ったんだが」
「ご配慮ドウモ」
「棒読みだな!」
下からくいくい、とスイに手を引かれた。早く行こうと海を指さす。
ナオミは笑顔を向けて歩き出し、コウタとすれ違いながら声を掛ける。
「コウタ」
「あ?」
「あの子と付き合わないのか」
「……そんなんじゃねーよ」
「じゃあきっぱりした態度を取れ。相手に失礼だ」
「お前が言うな」
「…?意味が分からん」
距離が開いたので、会話はそれで終了した。
スイがナオミの手を小さな両腕で抱え、ぐいぐいと海に向かって引っ張る。何かムキになってるような顔だった。
この後、2人で浅い岩場を探検した。
磯の生き物にスイは大興奮だった。
なぜかスイは甘えん坊で抱っこをたくさん強請ってきた。ちょっと重かったが、きらきら笑顔でくっついてくるのでナオミは嬉しくて全ての要求に応えたのだった。
◆◆
昼食。
「ナオミ、それ何だよ」
「ソウメン」
「海でもか!?」
大きめタッパいっぱいのソウメンを見てコウタが引いていた。何がおかしいのだろう。
横ではスイが井戸水をちびちびやりながらトマトを齧っていた。
子龍は人型になってから少ないながらも野菜を直接食べるようになった。気の摂取の効率がいいのだろうか。よく分からない。
「スイ君かわいいなー。病気の療養にナオちゃんとこで預かってるんだって?」
ジュース片手に、男友達Bが聞いてきた。ちょっと馴れ馴れしい。
スイが話せないことや食べ物ののことはどうやらコウタがうまく説明したらしい。
頭を撫でられていたスイは、ぺいっと男の手をはね退けた。
「あはは。反抗期?わー色素薄いーかわいー」
更にうりうりとやられて、顔をしかめたスイがナオミのところに逃げてくる。
彼女の背に隠れ、B男を威嚇した。
「悪ぃな、スイってナオミ以外にはこうだからさ」
コウタがフォローする。
ナオミはスイを後ろから抱えるようにマットに座り、そのままソウメンを食べた。
一本欲しい、とスイがひとさし指を立てて見上げてきたので、麺を口に運んでやる。
あーんと開けて待つ姿はひな鳥のようだ。
ナオミは内心悶えた。
「ほれナオミ、茶」
「ああ悪いな」
箸を持ったままコウタからペットボトルを受け取る。
「よ、旦那!」
「気が利くねえ」
「うっせーよ!」
男友達ABがにやにやと茶々を飛ばす。胸子は睨んできた。
何なんだもう……
「ねえねえコウちゃん、これ気づいた?」
と、わざとらしくコウタの腕を引っ張り、胸子は自分の耳に彼の目を向けさせた。
耳元には金のリングピアス。
「……?…あー、プレゼントにやったやつか?」
「そう!誕生日に貰ったやつ!すごく気に入ってるの。見てほしくて着けてきた!」
どうやら誕生日プレゼントを渡す仲ではあるらしい。
スイにもう一本麺を運びながらそのやり取りを聞く。というか勝手に耳に入ってくる。目の前だから。
「あれ合同誕生会で渡したプレゼント。コウタだけじゃなく他の友達もいたし、気にしなくていいよ」
こそっとB男がナオミに親切に説明してくれた。最後の一言が引っかかったが、とりあえずドウモと頭を下げておく。
「お返しにコウちゃんの誕生日、私、頑張って選ぶからね!」
「あ、ああ…そうか、悪ぃな…」
コウタは早生まれだから誕生日は来年だ。気の早いことである。
ちらっと胸子の猫目がこちらを見た。敵対心が丸出しだ。
「もう面倒に巻き込まれた気しかしない……」
ナオミはスイの頭に口を当て、ため息まじりに小さく呟いた。
腕の中で子龍がくすぐったそうに動くのが可愛くてぎゅっと抱きしめる。
まだ一日は長い。
スイという癒しが無かったら耐えられんな、とナオミは何度か目のため息をついた。
次話は本日11/21 21:00ごろ更新します。




