第八景 降りつ積もれず
柳生新陰流継承者、柳生俊匡。
彼の課せられた使命は、世に救う魔物〝外法〟の退治である。
新陰流と、パワードスーツ「錬鬼」を駆使し、俊匡は今日も闘いに明け暮れる。
湿った空気が、闇と共に街を包んでいた。
濡れた草の匂いが、行き交う人々の鼻をくすぐる。
午後十時。
サラリーマンが足早に歩く。
都内での仕事を終え家路につくものばかりだ。
誰もが早足である。
止まれば凍りつく、と言わんばかり足を動かす。
埼玉県川越市の冬は、そこまで寒いのだ。
12月―
もうすぐにクリスマスを控え、人々は活気づいていた。
街も赤と緑の鮮やかな電飾で飾られている。
シャンシャンと鈴の鳴るクリスマスソングが流れている。
子供たちはプレゼントを楽しみにしていた。
恋人たちは愛の日の計画を立てた。
一年に一度の大イベントを活力にし、皆一様にエンジンをフル回転させていたのだ。
それぞれの生活が、それぞれの顔に表れていた。
楽しそうな者。
嬉しそうな者。
感情が人を動かし、人が街を動かしていた。
誰もが自分の事で一杯で、他人を思いやる余裕もなかった。
そんな中に在っては、花壇に腰かける少年が目に留まるわけもない。
柳生俊匡。
思い返すは、三日前の事ばかりであった。
拳を握ってみるが、力が入らなかった。
三日前の事だが、まるで五分前の事のように思い出された。
白い翼の生えた〝外法〟。
今までのどのタイプとも違う奴だった。
〝外法〟の癖に妙な奴だった。
―俺の隠し手裏剣を見破った。
恐ろしく冷静だった。
―逆に、俺を罠にはめようとした。
凄まじく、頭がキレていた。
―俺の兜割を片手で受けやがった。
異常なまでに膂力に優れていた。
いや、それは奴の奇異さを語る要素の一部にしか過ぎない。
俺がどうしても納得がいかなかったのは、「どうして、顔を見せなかったか」だ。
今までの〝外法〟は術式によって変化した己の姿を誇るように、わざと顔をさらけ出していた。
術式が自己顕示欲までも肥大化させてしまったのだ。
だが、今回の〝外法〟には全くその仕草が見当たらなかった。
どんな場面であろうと顔を見せる事がなかった。
いや、もしかすると。
顔を見せようとしなかったのではなく、顔を隠していたのかもしれない。
そうすると、何の為か。
〝外法〟の目的は人間界の征服のはずである。
それは、一族に伝わる「陰流巻物 零の巻」に記されている。
「〝外法〟の術式を用いる者、それによって〝外法〟にされたもの200年に一度現れる」と。
今年はその200年目だ。
〝外法〟が現れ、人を喰らい、血をすすっている。
自らはその「征服者」であるはずだ。
征服者はWWⅡの米進駐軍のように存在感を示せば良い。
なのに、どうして顔を隠すのか。
考えても、考えても分からなかった。
いや、それを考えるのはまだ楽だ。
大事なのは事実を受け入れると言う事だ。
あの〝外法〟に負けたという事実。
そして、〝外法〟に情けをかけられたという事実。
その事実を消化しなければならない。
出来そうになかった。
困難な作業であった。
培った技、養った精神力、全てを否定された気分だった。
御庭番技術衆の作ったアシストシステム【REN-QUI】に問題はなかった。
愛刀、奴丸も通常通りだった。
なにが悪いのか―
「柳生くん?」
俊匡の名前を女が呼んだ。
いや、女と呼ぶには若い。
まだ、顔は少女の面影を残している。
だが、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる。
そのアンバランスさが逆に男に受けるのだろうか。
俊匡が顔を挙げた。
「一之瀬・・・」
俊匡が名を呼んだ。
「もう、一美で良いって」
「そっか」
「そうだよ」
一美が人懐っこく笑う。
「ねえ、隣いいかな?」
俊匡が小さく頷いた。
一美が隣に腰かける。
数秒、間をおいて一美が口を開いた。
「あのさ、最近、元気ないよね?」
「・・・そうかな」
「そうだよ。授業中もボーっとしてるし」
「・・・うん」
「昼休みも、あんなに好きだったサッカー誘われても断ってるじゃん」
「・・・」
「なんか悩みでもあるの?」
「・・・別に」
「嘘ばっかり」
「・・・」
「話してみてよ」
「いいよ・・・」
「遠慮しないでさ」
「・・・」
〝外法〟と呼ばれる魔物と戦っている―などと、話せる事ではなかった。
俊匡が話せば一美も巻き込む事になる。
感情を抱いているわけではないが、それは避けるべきであった。
一般人を、年端もいかぬ女の子を巻きこむわけにはいかない。
これは柳生一族と、外法の闘い。
その事を忘れる俊匡ではなかった。
俊匡が立ち上がった。
家路に着く為である。
いつまでもここでこうして、だらけている時間はない。
早く家に帰り、〝外法〟の研究をしなくてはならなかった。
剣をひたすら振り、さらなる修練を重ねる。
古文書を当たり、技術を掘り返す。
御庭番技術衆の作った武器を試す。
そうして、いつまたあの翼の〝外法〟が襲ってきてもいいように備えるのだ。
しかし―
俊匡の背筋に悪寒がぞくりと走った。
また来ても、勝てはしないだろう。
そう予感していた。
敵うはずの無い相手に立ち向かわねばならぬ恐怖。
気を抜けば叫んでしまいそうであった。
初めて味わった恐怖と敗北、そして悔しさ。
波となって、自分を押しつぶす直前だった。
血を流し、骨を砕きながら異形と相対する。
それでも評価されることなく、金子が支払われるわけでもない。
そう考えると虚しくなった。
誰かの為に闘う、誰にも評価されない日々。
悪い冗談の様であった。
いっその事、死んでしまいたかった。
あの翼の〝外法〟にかっこよく殺されたかった。
「今日は寒い。早く家に帰れ」
感情を押し殺し、俊匡は一美に告げた。
「俺の事は、気にしないでくれ」
立ち去ろうとする俊匡の裾を、小さく掴むものがあった。
一美だった。
右手が、俊匡の制服をぎゅっと掴んでいる。
「どうした?」
「・・・」
「黙ってたらわかんねえよ」
「・・・つらい」
「え?」
俊匡が思わず聞き返した。
「つらいの」
「つらい?」
「そう」
「どうして・・・」
「柳生君が、柳生君じゃない気がして」
「俺が、俺じゃない?」
「うん」
「一体、どういうことだ?」
「いっつも元気で、ふまじめで、ちょっとスケベで」
一美の眼が俊匡を見据えた。
「ぶっきら棒なところもあるから、みんな勘違いしてるけど私は知ってる」
「・・・」
「柳生君のいいところ、悪いところ、全部、なにもかも」
「一之瀬・・・」
一美の眼が微かに眼がうるんだ。
思わず、俊匡がたじろいだ。
今までに見た事のないくらい色気があった。
小学校から高校まで一緒だったが、こんな表情の一美を見た事がない。
「それが、死んじゃってる気がするの」
「・・・」
「柳生君・・・」
一美が俊匡に抱きついた。
乳房が俊正の胸に押し付けられていた。
豊かさが服の上を通してでもわかる。
甘い匂いが、俊正の鼻腔をくすぐった。
俊匡の両の手が泳いだ。
そのまま抱きしめてしまいたかった。
「一之瀬・・・」
俊匡が一美の肩に手を置いた。
刹那であった。
チィン―
微かな痛みと小さな金属音が俊匡の脳内を走った。
〝外法〟が現れる前触れの頭痛、「前肢」であった。
くそう!―俊匡が歯を噛んだ。
ここで闘わねば、多くの人が死ぬ。
しかし、今ここで【REN-QUI】を呼べば正体がばれる。
チィン―
再び「前肢」が俊匡を襲った。
俊匡は両手を一美の肩から外した。
「柳生君?」
「一之瀬・・・いや、一美」
「・・・」
「俺、行かなきゃ」
「・・・」
「お前も遠くへ走れ」
「え?」
「今からここは危なくなる。だから、逃げろ」
「どういうこと・・・」
「俺を信じろ?な?」
「・・・嫌」
「我儘言うな」
「嫌、絶対に嫌!」
「一美・・・」
一美の両目から感情があふれ出していた。
「行かないで!」
「・・・」
「もう、嫌なの。好きな人が帰ってこないのは」
「・・・」
「怖いの!」
泣きじゃくる一美を、俊匡は強く抱きしめた。
耳元で微かに囁いた。
「大丈夫」
唇を唇でふさいだ。
最初はそれだけだったが、次第に一美の舌が俊匡の咥内へ進入してきた。
舌で舌をからませた。
唾液と共に互いの感情を交換した。
唇を離し、俊匡はじっと一美を見た。
「俺は帰ってくるさ」
もう一度、抱きしめる。
一美の震えが痛いくらいに分かった。
「だから、心配するな」
「・・・」
「いや、心配してもいい」
「・・・」
「でも、信用して。俺を」
「・・・うん」
一美が素直にうなづいた。
「じゃあね」
懸命に笑顔を作り、俊匡は立ち去った。
背中に痛いほど視線を感じながら、駆けた。
駆けた。
駆けた。
風の如く、人の合間を縫って。
すぐ近くに〝外法術〟を感じていた。
〝外法〟か〝外道〟がすぐそばまで迫っている。
あの翼の生えた〝外法〟も、もしかすると出てくるかもしれなかった。
だが、勝てないという恐怖よりも「一美ともう一度会いたい」という気持ちの方が強かった。
俊匡は自分自身の感情に驚いていた。
柳生一族が殺してきた「恋慕」の念が今、自分の中で生きているのだ。
それも、熱い鼓動をもってして。
恋心である。
俊匡の父はそれを「邪念」と言って切り捨てた。
俊匡の母はそれを「生命の危険」と言って遠ざけた。
両親の言う事は、正しいのかもしれない。
しかし、今、俊匡は知っていた。
その「恋心」が己に良い効果をもたらしている事を。
そう考えると、両親の意見が確実に正しいとは言えないのだ。
へえ―俊匡の唇が吊りあがっていた。
修行段階、「破」に移行したことになる。
手近な工事現場に入った。
多くの資材が置いてあったが、人の気配はなかった。
作りかけの建物が、金属むき出しのままになっている。
鉢植えに一輪のフユシラズが植えてあった。
暗闇の中でも黄色が、鮮やかに存在感を示す。
ここに通う誰かが大切に育てているようだ。
綺麗だな―俊匡は思った。
これから命をとったりとられたりする。
直前に考えたのは、花の事だった。
不釣り合いさに思わず俊匡が笑った。
今までではありえない事だった。
刹那であった。
「なにがおかしい」
暗闇から声が届いた。
いや、正確には空気振動ではない。
俊匡の頭に直接、話しかけてくるのだ。
男の声であった。
「なにがおかしいのか」
街灯の明かりの下に、男が現れた。
突如として空間に湧いて出たのである。
「ほう」
思わず俊匡が空を握る。
俊匡が唸ったのは、男の術に対してではなかった。
男の外見であった。
男には首がなかった。
男は黒い布を無造作に羽織っていた。
腰から鎖をぶらさげ、それを引きずる。
ジャラジャラと金属同士がぶつかる音がした。
不気味な男であった。
一切が不明である。
どのような武器を、どのような術理を用いるか。
全てが謎であった。
ただ一つ、空間から湧いて出るということくらいしかわからなかった。
「柳生俊正も、素直に笑うか」
男が俊匡に言った。
「余裕だな。それとも、諦観か?」
「どちらでもないさ」
俊匡が腰に手を当て、言う。
「ふむ。初めて見るな。新顔か? おっと、顔面がねえのに新顔もクソもねえわな」
下卑た笑みが俊匡の顔に張り付いた。
強烈な笑みであった。
吊りあがった口角から犬歯がのぞく。
肉食獣の獰猛な牙に思えた。
敵の喉仏に、一瞬にして食らいつく。
「人を馬鹿に出来るか、柳生」
男が腰についた鎖を握った。
「貴様の今の戦力で、どうにかなるかな」
男が鎖をゆっくりまわし始めた。
徐々に回転が速くなる。
「貴様は、鎖の声が聞こえるか?」
「……は?」
「私には聞こえるのさ」
「ふうん」
「鎖たちはこう言っているよ」
猛スピードで鎖が回っている。
ジャラジャラという鎖通りがぶつかる音が響く。
「お前の血を、吸いたい……と」
鎖が男の手を離れた。
俊匡の顔に向かって、猛スピードで飛んでゆく。
「台詞が三流だな」
頭をかがめて、それをやり過ごした。
すぐに間合いをつめ、接近戦に持ち込むつもりだった。
足が、もつれた。
「なに!?」
鎖であった。
避けたはずの鎖が足に絡んでいるのだ。
俊匡は男の挙動を見ていた。
足元に絡むような動きはしていなかった。
しかし、現実に鎖は両の脚に巻きついている。
ありえない事だった。
「ちぃっ!」
外そうと懸命に鎖をつかんだ。
ぢり、ぢりと金属がこすれる音がする。
男がゆっくりと俊匡に近づく。
「途中だけ書いてみよう」というコンセプトで始めた遊びです。ベタな展開をふんだんに取り入れてみました。続きを書く気はありません。