一、
はっきり言って、私は今の家族が嫌いです。
肩まで伸びた髪を後ろで一つに束ね、鏡に映る自分の顔を睨んだ。
父親譲りの整った顔立ち、冷たそうな切れ目の瞳に、どんなに口角を上げても微笑んでいるとしか思われない唇。
清楚、美人、箱入り娘。
どうせなら、かわいい顔つきの母に似たかった。
*
「おはようございます、いつきお嬢様」
身なりを整えて居間に入ると、たくさんの家臣たちが私に頭を下げた。
朝日が燦燦と差し込む広い部屋、道を作る壁のように整列した老若男女、誰も彼もが中学生の小娘にへりくだる。
その道を通り抜け、中央に位置する長テーブルの端の席へと腰を下ろす。
「おはようございます、父様」
長テーブルの向かい側に置かれている珈琲を見つめながら言うと、その席に座っていた男がゆっくりと顔を上げた。手元には朝刊が三つ、珈琲以外の飲食物は見当たらない。
珈琲を飲みながら新聞を読む、それが父の日課だ。
「おはよう、いつき」
それだけの言葉を告げ、微笑んだのか口角を上げただけなのかわからない父が再び視線を落とした。
朝食時に新聞を読むのがサラリーマンの性と聞くが、彼らに給料を与える立場にある父が、今新聞を読む意味はあるのだろうか。
パラパラと、速読にしても早すぎる異常なスピードで紙面をめくり、時折珈琲カップを口に運ぶ。
互いに俯いたまま言葉は交わさず、続々と並べられる朝食を黙々と片付けて席を立った。
「いってらっしゃい、いつき」
「いってきます」
挨拶というか常套句というか、片言隻語。
朝の挨拶はそれだけ、日常会話さえない。
あの日から、父とは必要最低限の言葉しか交わさない仲だった。
母が他界したのは三年前、私がまだ小学生のころ。
交通事故、突然の死だった。
父は取り乱し、血眼になって犯人を探した。事件の詳細は私の耳に届かなかったが、その後すぐに轢き逃げ犯は消えた。
もともと寡黙だった父は以前にまして喋らなくなり、母の明るさによって支えられていたうちの家庭は崩壊した。
父が母をどれだけ愛していたかは、まだ幼かった私でも十分理解できた。普段無愛想で感情を面に出さない父が、母の前ではよく笑った。
妻以外に対する人付き合いが苦手な父を見て、母は「かわいい」と笑っていた。
私だって、そんなお母さんが大好きだった。
*
屋敷に戻ると、分厚い資料の束を抱えた父と鉢合わせした。
「……部屋の掃除、してた」
何も聞いていないのに、父が勝手に答える。
首を傾げる私に、父はさらに説明を加える。
「当主の間って、とこ。いつきが産まれる前に、暮らしていた場所」
言葉足らずにも程がある。
父の言いたいことはつまり、
当主の間という名前の部屋があって。私が産まれる前に夫婦二人でそこに住んでいた。その場所を今、久しぶりに掃除をしていた、と。
話に聞いたことはあった。
父が学生時代使っていたその場所に、嫁入りした母がそのまま居着いたのだと。
当主の間は屋敷の本棟から少し離れた場所にある。家臣に干渉されず二人で、夫婦水入らずで父と母は、その場所に暮らしていた。
「いつきが産まれてから、清掃はずっと、家臣に任せてたんだけど……そういえば、保存状態大丈夫かなと思って」
「保存状態?」
「いや……」
なんだ、この人。
なにこの口下手な人。
父といえば、寡黙だけど威厳があって、口を開けば強い口調で正論を述べて、私や家臣達を萎縮させる。
発する言葉に無駄はなく、的確に伝えたいことだけを述べて。
決してこんな、挙動不審に言葉を紡ぎ出すような人ではない。
「今日は仕事休みで、時間があるから」
「お休みなら、少しでも寝たらどうですか? 睡眠時間たりてないですよね?」
「あぁ、ありがとう。もう少し片付けたら、休む」
「……お疲れさまです」
靴を脱ぎ、父の脇を通り抜ける。
手伝う。
そういえばよかったと思って振り返った時にはもう、父の姿は消えていた。
「……仕事、休みなんだ」
だからって今日、掃除しなくても……
休みの日をわざわざ、そんな事に使わなくても。
いや、休日を使おうと父の自由、私が口出しをすることではない。
たかが娘が、父の行動を支配するなんて。
『今日はお父さんお休みだから、遊園地にいこう!』
母の言葉を思い出した。
居間のテーブルを囲んでいた父と私はポカンと口を開け、やがて父が読んでいた本を閉じて母に向き直った。
「おまえ、ゲーセンのことを遊園地って言うなよ」
「楽しく遊べる地。ほら、間違ってないでしょ?」
「園、は?」
「……じゃあ動物園に行く?」
「すり替えるなよ」
呆れたようにため息をつく父だが、その顔はとても楽しそうで、母も嬉しそうに笑っていた。
そんな両親が、家族がとても大好きで。
父の休日を支配できるのは母だけで。
無機質な天井を太陽の光に変える、そんな魔法を使える母がとても、大好きだった。




