急展開
(いきなり、黒幕の最有力候補と2人きり…)
結局、無策で来ることになってしまった。放課後まで時間があったとて、何も手がかりがない中謎だらけのラスボスと真っ向勝負できるような案が思いつくはずもないのだが、心の準備をする時間は欲しかった。
(そもそも、私なんかに誰かを救うとか、大勢の人の運命を変えるとか、そんな大層なことできるのかな…)
先ほどまでは、「好きなゲームの主人公に転生」という現実味のない状況を受け入れるために、無理矢理テンションハイになっていた節がある。でも、だんだん現状が読み込めてきて、割と危機的状況に陥っていると分かった今、若干ナーバスになっていた。
(今の私は、固有魔法を奪われて、ゲームの知識も肝心な部分が何も分かっていない。精神年齢だけが27歳の高校1年生…)
転生したばかりの頃は、漫画の主人公になったかのような万能感があった。しかし、改めて現状を言語化してみると、ただの痛々しい凡人だった。
「あれ、レイナちゃん? 来るの放課後って言ってなかったっけ」
考えを巡らせながら歩いているうちに、美術室の扉の前まで辿り着いていたみたいだ。ちょうどレオが中から出てきたタイミングで鉢合わせたようで、私を見たレオは一瞬驚いた顔をした後、嬉しそうに表情を緩めた。
私も気持ちを切り替えて、彼に微笑み返す。
(うだうだ考えていたってしょうがない、もう引き返せないんだ。とにかく今出来ることは、レオに近づいて黒幕かどうか確かめること…)
今朝の襲撃で殺されなかったのだから、2人きりになったところで死ぬことはないだろうし。そう考えたら、少しだけ気持ちが楽になった。
「ちょっと放課後に来るのが難しそうだったので、ホームルーム抜けてきました」
「入学初日なのに結構ぶっ飛んだことするねレイナちゃん。全然明日でもよかったのに」
「レオさんとの約束は守りたいなと思ったので。あと、絵も早く見たかったですし」
「嬉しいこと言ってくれるな~。ありがとね、中入って」
美術室に入ると、油絵具と木と、溶剤が混ざった匂いが立ち込めていた。窓と扉を全開にして換気をしているようだが、その強い匂いは未だに室内に色濃く残っている。イーゼルがいくつも並び、使い込まれた机の上には、パレットや筆洗いの瓶が所狭しに置かれている。部屋の奥まったところにシーツが乱れたベッドが鎮座しているが、それには見て見ぬふりをした。
(さっきの女の子たちの会話聞いてちょっと見直してたのに、やることはやってんのかい)
「そういえばレイナちゃんて、かなり絵に詳しいよね? ルネサンスとかは有名な流派だから知ってる人も多いけど、バロックみたいな新興の流派まで知ってるなんてさ」
「あ、ああ…」
正直、絵に関しては全く詳しくない。バロックは、ゲーム内でレオが好きだと発言していたから知っていたが、それ以外の美術に関する知識はからっきしだ。
(さっきのはレオの機嫌を取るために咄嗟に出た発言だからな…ここで知ったかぶりして、後からボロが出た時が怖い。レオみたいなタイプは、見栄張ったってバレた時に好感度ガタ落ちしそうだし…)
「正直まったく詳しくないんですけど、前に見て好きだなと思った絵がバロックだったので、それだけ覚えてて…」
これもその場しのぎの嘘だが、玄人ぶるよりかはボロが出にくいだろう。
「レオさんは、雰囲気がそんなに静かな感じではなかったので、もし描いてるならバロックかなと思ったんです。だから、絵を見てみたいなと思いました」
「ははっ、確かに俺はお上品な絵を描くようには見えねえよな。ご想像通り俺が描いてるのはバロックだよ。どれも素人作品で大したものではないけど、好きなだけ見てって」
私はお言葉に甘えて、整然と並べられたキャンバスを1つずつ覗き込む。レオは、私がゆっくり見れるようにするためか、特に私に構うことなく絵を描く作業に没頭していた。
イーゼルに立てかけられたキャンバスの絵は、全て美しい女性が描かれていた。先ほど、私が「人物画が好き」と言ったから、人物画を描いたキャンバスだけを見やすいようにイーゼルに立てておいてくれたのかもしれない。立てかけられた絵は10枚ほどだったので、すぐに見終わってしまった。
ふと近くの壁を見やると、その一角には完成作とは呼べない小さな紙切れがピンで留められていた。色の研究、構図のメモ、筆圧の試行。誰に見せるでもない痕跡が、まるで時間そのものの層のように貼りついている。
きっとキャンバスの絵も1枚1枚、多くの時間と研究を費やして完成させたのだろう。
ゲームでは知ることができなかった情景の細部まで見えることで、彼が本気で絵と向き合ってきたことがひしひしと伝わってきた。
部屋の手前から順に、キャンバスや壁の絵を見ていたら、導かれるように部屋の奥のベッドに辿り着く。あまり見ないように通り過ぎようとしたが、ベッドの下にキャンバスがはみ出ているのが見える。
(なんでこんな場所に…?)
思わず気になって引き出してみる。出てきた絵を見て、私は息を呑んだ。おそらく抽象画であろうその作品は、形と呼べるものはなく、意味を説明できる輪郭もない。それでも、否応なく視線を引き寄せる力があった。
濃淡の異なる色が、ぶつかり合い、溶け合い、裂けるように画面を占めている。荒々しく振るわれた筆の跡は、まるで感情そのものが叩きつけられたかのよう。その絵を見ていくうちに、ただ「上手い」と片付けるのが躊躇われる感覚を覚える。
(この絵、ゲーム内でも見たことない…これまでの絵もすごく上手で手が込んでいたけど、この絵は段違いで時間も思いも込められている感じがする…)
再度ベッドの下を覗くと、奥の方にまだ何枚かキャンバスがあった。引っ張り出してみると、それらは全て明確なモチーフが分からない抽象画だった。どの絵も視線が吸い寄せられるような魅力があり、思わず魅入ってしまう。
(ゲーム内で、レオは「人物画を描くのが1番好き」って話していたけど…素人目で見ても、人物画じゃなくてこちらの絵に情熱が込められているのは明らかだ)
私がプレイした第八章の時点で、レオは家の事情や絵描きの夢を話すくらいには、主人公に心を開きかけていた。それでもなお、彼は自分が本当に描きたい絵…心の底の本音までは、主人公に話していなかったのだろうか。
「あ~…それ、見つけちゃった感じ?」
気が付くと、レオは私の背後に立って、手元のキャンバスを一緒に覗き込んでいた。
「不気味だよな~、その絵。それ、俺が絵を始めたての頃の絵でさ、黒歴史だからそこにしまってんの。変なもん見せて悪かったな」
「…誰かに、不気味だって言われたの? この絵」
レオは、その絵について触れられるのを避けているようだった。でも、このまま流されてしまったら、一生彼の本音を聞けないような気がして、問いかける。
「昔、父親にな。ぐちゃぐちゃして気持ち悪いってさ」
ポツリと呟くように言った後、彼は悲しみに蓋をするように瞳を閉じる。でもすぐに笑い話でもするような軽快な口調で続けた。
「その時はまだ子供だったらから容赦ねえな~って思ったけど、まあ事実だしな。父親が言うことはいつも正しいんだよ」
この世界では、おそらく抽象画という概念がまだ生まれていない。絵画というものが、人や物、風景など、実在するモチーフを描くのが常識ななか、形のないものを描き起こした彼の作品は、彼の父…理事長にとってかなり異質に映ったのだろう。それに加えて、理事長はレオが絵を描くことに反対していたはずだから、必要以上に強く否定したに違いない。
「実際、描いてて喜ばれたのも人物画だしな。誰にも喜ばれない絵を描くのやめて、女の子を綺麗に描いてあげるようになったら、皆喜んでくれたしな。今度、レイナちゃんも描かせてよ」
「…私は、この絵が好きだよ。人物画もすごく素敵だと思ったけど、モチーフのないこの絵たちが、レオの感情とか情熱とか…絵に対する気持ちが、すごく伝わってくる」
それは、初対面の時のようなゲーム知識を生かした言葉でも、彼の気を引くために戦略的に言った言葉でもない。私が思ったことをそのまま言葉にした本音だった。
「……」
「ねぇ、お父さん以外にも、この絵見せてみなよ。絶対、この絵を好きだって言う人がたくさん――」
「はい、もういいよ」
棘のある声で、言葉を続けることを拒絶されると同時に、腕を掴まれて強い力で引っ張られた。その拍子にキャンバスが音を立てて地面に倒れ、世界の向きがひっくり返る。流れるような仕草で、すぐ傍にあったベッドに押し倒されていた。




