山吹れいなの記憶~後編~
中学2年生にあがってすぐ、昌平がいじめの標的になった。
きっかけは、彼の両親だった。宗教勧誘のノルマが達成できず焦った彼らが、昌平の同級生――しかもよりによって、クラスの中心人物――の保護者を強引に勧誘したらしい。もし入信しなかったら子供に危害を加える、家の窓ガラスを割る、等の脅迫まがいな言葉を投げかけ、長時間家の前に居座っていたのだとか。
警察を呼んで厳重注意してもらい、なんとかその場は収まったものの、昌平の両親は懲りずに、他の保護者にも似たような脅迫まがいの宗教勧誘を繰り返した。そのせいで逮捕されたのだそうだ。
この話は、一気にクラス中、そして学校中に広まった。
「おい、アイツってカルトの…」
「よく平気な顔して学校来れるよな」
「うわこっち見た、気持ち悪っ」
「目ぇ合ったら勧誘されるぞ、気をつけろよ。おい、いい加減こっち見んのやめろ、あっちいけ!」
廊下を歩けば陰口を叩かれ、目が合ったら怪物と鉢合わせたかのように物を投げて追い払われる。
昌平は、自分ではどうしようもない親の罪を背負わされ、袋叩きに遭った。
中でも、昌平の両親に宗教勧誘された家族の子供は、執拗に昌平をいじめた。
元々、彼は昌平のことを良く思っていなかったように思う。1年生の時に同じクラスだったが、私以外が昌平を無視していたのも、彼がクラスメイト達の空気感をそういう風に誘導していたからだった。
私と昌平のクラスが分かれ、且つ彼を攻撃する理由になる出来事が起きた。
そのことが、いじめを引き起こす決定的なトリガーとなったのだろう。
昌平へのいじめは、日に日にエスカレートしていった。
顔が腫れ上がるまで殴られたり、内臓が破裂する寸前まで腹を蹴られたりするのは日常茶飯事。他にも教科書をズタズタに切り裂かれる、体操着を捨てられる、倉庫に閉じ込められる――等、中学生が思いつく限りの嫌がらせはひと通りやられていたように思う。
家が隣ではなくなり、クラスも分かれてしまったせいで、私と昌平が一緒に過ごす時間がほぼなくなった。
いや、そんなのは言い訳に過ぎない。
私は、自分がいじめられるのを恐れて、意図的に人目につくように彼と接触するのを避けていた。
そのくせ、彼に嫌われるのも恐れていた。
だから放課後、いじめの加害者たちが帰宅した後に、人目を盗んで昌平と一緒に隠された彼の持ち物を探したり、傷の手当てをしたりした。彼が絶望に沈んだ顔をしている時、「大丈夫、私はずっと味方だから」と、安全な場所から優しい言葉をかけた。
私はそれで、「自分が彼を救っている」と勘違いしていた。
ある朝、昌平は私を学校の屋上に呼び出した。
人目につきたくないから、学校の開門時間である7時より前に来て欲しいとのことだった。
「大事な話があるから」と。
その時点で、嫌な予感はしていた。
頭の中で鳴り響く警報を無視して、私は6時半を過ぎたころ、屋上に続く階段の前にいた。
普段、屋上へ出るための扉は閉ざされているが、その日だけは開いていた。
階段の先で、大きく開いた扉から眩しいくらいの朝日が差し込んでいるさまは少し幻想的だった。階段を上りながら、まるで天国に向かっているような気持になるな、と場違いなことを考えていたのを、今でも覚えている。
空気が澄み渡った、爽やかな朝だった。
初めての屋上に少し高揚していた気持ちは、柵の向こう側に立つ昌平を見つけてすぐに急降下した。
はじかれたように彼の元へ駆け出す私を、彼は不気味なほど穏やかな瞳で見ていた。
「れいな、止まって」
死の淵にいるとは思えない…いや、むしろだからこそだろうか。
驚くほど凪いだ声だった。
でもその声は、開けた屋上の空間ではよく響き、私は反射的に足を止めた。
「それ以上こちらに来たら、ここから飛び降りる」
完全に動きを封じられて、歯ぎしりをする。
ここからじゃ、もし彼が後ろに倒れた時、即座に動いても止めるのが間に合わない。
「れいな。今になってやっと、両親の気持ちが分かったよ。やっぱりどう転んでも、俺はあの両親の子供なんだ」
「昌平、こっち側で話そう」
「何かを信じるっていうのは、ストレスが少ないんだよ。自分に責任がないから。自分のせいじゃないって気楽に行動できて、他責思考で生きられる。信仰対象が絶対的であればあるほどね」
私の声はまったく届いていないようだった。
柵の向こうで、昌平は狭い足場をゆっくりと歩きながら話し続ける。
「俺、ずっとれいなのこと信じてた。れいなが居たから、今まで生きていられたといっても過言じゃないと思う」
風のない日でよかった。
もし風が吹いていたら、風にあおられてそのまま落ちてしまいそうだ。
「でも、れいなを信じれば信じるほど、期待通りの言葉や行動が返ってこなかった時に、苦しかったんだ。俺はこんなに信じているのに、今まであんなに尽くしたのに、って…中学にあがってからのれいなを信じ続けるのは、ずっと辛かった」
「昌平、今までごめん。これからは、ちゃんといじめを止めるから――」
「もう、遅いよ」
冷ややかな目が、私を突き刺す。
でもそれはたった一瞬で、彼はすぐに元の穏やかな笑顔に戻った。
なんとなく、「ああ、もうすぐ終わりなんだな」と、私の中で予感があった。
彼と過ごす最後の時間を噛みしめるような余裕は、まったくなかったけれど。
「ごめん、責めるようなことを言うつもりじゃなかったんだ。今まで信じさせてくれたこと、最後に感謝を伝えようと思ってただけで…君は、神様でもなんでもなくて、ただの人間だもんね。俺の信仰に応える義務なんて無い」
そこで、朝の7時を告げる鐘が鳴る。
もうすぐ、朝練のある生徒たちが登校してくる時間だ。
「やっぱり、れいなと一緒にいる時間はあっという間だなぁ…でも、流石に人に見られたらまずいし、そろそろ切り上げなきゃ」
昌平は、綺麗に揃えられた自分の靴の前で足を止める。
私に、眩しいものを見るような笑顔を向けて、両手を広げた。
「さようなら、れいな――愛してる」
「昌平っ!」
絶対に間に合わないと分かっているのに、私はみっともなく手を伸ばす。
居場所のない手は、生ぬるい空気だけを掴んだ。
私の叫びも届かず、彼はそのまま、吸い込まれるように空へと落ちていった。
昌平が亡くなって、やっと気づいた。
私はずっと、昌平との約束を破り、彼を裏切り続けていたのだ。
私がやっていたことは、すべて醜い自己満足。
彼を救うためではなく、単に自分が「救い手」という心地よい立場にいたかっただけ。
私は、そんな簡単なことにも、彼が死ぬまで気づかなかった。
表向きは彼を見捨て、誰にも見られない場所でだけ手を差し伸べる。
そんな中途半端な行動で、「ずっと味方でいる」なんて大口をたたき、彼を救った気になっていたあさましい自分が嫌になる。
私がやっていたことは、相手を期待させるだけさせて、最後に奈落の底に突き落とす最悪の裏切りじゃないか。
1番最低だ。
(救えないなら、最初から何もしない。もう2度と、自己満足の中途半端な正義感で、守れない約束で、誰かを苦しめることはしない)
そう誓った、中学2年生の冬を、私は一生忘れない。
~山吹れいなの記憶 FIN~




