第一話「異世界、そして少女」
《ようこそ、世界の破壊者》
「――……ぅ……?」
目を開けると、空が広がっていた。
ふたつの太陽が、交差するように輝いている。
乾いた風が頬を撫で、草の香りがわずかに混じる。
見渡せば、濃い緑の山々が幾重にも連なっていた。
「ここは……どこだ? 私は制限図書保管庫にいたはずだが――」
自分の声を聞いた瞬間、九重誠一は息をのんだ。
それは、しわがれたものではない、澄んだ少年の声だった。
ゆっくりと体を起こし、手を見下ろす。
そこにあったのは、年老いた手ではなく、小さく無垢な手だった。
「……これは……なんと、ずいぶん巻き戻されたものだ」
気づけば九重は、漆黒の台座の上に立っていた。
その周囲の地面には、幾何学模様と象形文字じみた紋様が描かれている。
そして――胸元には、あった。
《アル・アジフ》――八世紀ラテン語異本。
暗黒の神々と、禁断の呪文が記された、忌まわしき魔導書。
「旧き友よ……共に来てくれたか」
慣れた手つきで装丁をなぞると、書はトクンと脈打つように淡く光を返した。
「愛しい人」
「――!」
不意の声に、九重は反射的に振り返る。
そこにいたのは、雪のように白い肌の少女。
混沌めいた紫の瞳が淡く光を宿し、白布の外套に身を包んでいる。
「……キミは、誰かね?」
「来てくれて嬉しい」
「いや……喜んでくれて何よりだが、ここは――」
だが少女はその問いに答えずに――
小さな唇を震わせ、かすかな声で呪文めいた言葉を漏らす。
直後――空気が凍りつく。
Tekeri! lýthos!
≪てけり! り!≫
形容しがたい音が、周囲に木霊した。
「なんだ?」
地面のあちこちから黒い粘液がにじみ出す。
それはうごめき、絡まり合い、やがて巨大な塊へと膨れ上がった。
体表の粘膜が沸騰し、泡立つように無数の目が浮かび上がる。
「これは……ふむ、興味深い」
九重がつぶやいた瞬間――
すべての目玉が、ぎょろりと彼を射抜いた。
次の瞬間、地を裂く勢いで襲いかかる。
「な――ッ!?」
全身の神経が研ぎ澄まされる。
九重は《アル・アジフ》を胸に抱き寄せ、咄嗟に呪文を紡ぐ。
「Paries Nactiti e circulo arcano surge una pereatis aeternitatem servate!」
≪ナーク=ティトの障壁よ、秘環より現れよ、共に滅び永劫を護れ!≫
静寂が一瞬、世界を包む。
次いで《アル・アジフ》が強烈な光を放った。
半透明の壁が九重と異形の間に立ちふさがり――
ぶわっと膨らんだかと思うと、そのまま異形を包み込む。
壁は甲高い音を響かせながら、ゆがんだ球形へと収束していった。
内部で押しつぶされる異形は、軋む音を立ててのたうち回る。
やがて収縮が極限に達し――
壁は異形ごと、粉々に砕け散った。
「はは――……はははは! なんということ! 呪文が実体を成した!」
九重は目を輝かせて笑った。
その姿を見届けた少女は、何かを確信したように――
狂気めいた笑みを浮かべると、霧のように溶けて消えた。
▼次回「召喚反応」
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