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第3章6話:金管セクション、大森拓海による特別指導

五十嵐雅人の計らいにより、安中榛名高校吹奏楽部には、伊香保音楽センター関係のプロの音楽家たちが次々と特別レッスンに訪れていた。


その日、金管セクションの練習場に現れたのは、日本を代表するオーケストラの首席トランペット奏者、大森拓海だった。すらりとした長身に、常に穏やかな微笑みを浮かべている大森だが、その手に持つトランペットは、彼がどれほどの技術と経験を積んできたかを物語っていた。


金管パートの面々は、大森の登場に一様に緊張と興奮の入り混じった表情を浮かべた。

特に、副部長でトランペットパートリーダーの高峰春菜は、その目に並々ならぬ決意を宿していた。中学時代、トランペットに情熱を注ぎながらも、結果が出せずに挫折を味わった春菜にとって、プロの奏者の指導は、まさに渇望していたものだった。


大森は、挨拶もそこそこに、いきなり「じゃあ、まずはみんなで音を出してみようか」と促した。全員で簡単なウォーミングアップのロングトーンを吹くと、大森は静かに頷き、春菜に目を向けた。


「高峰さん、君の音はとてもまっすぐで、芯があるね。素晴らしいことだ。だけど、もう少しだけ、音の『始まり』と『終わり』に意識を向けてみよう」


大森はそう言うと、自身のトランペットを構え、ゆっくりと、しかし力強いロングトーンを吹いた。その音は、まるで澄んだ泉から湧き出る水のように淀みなく始まり、そして夜空に溶け込む星のように静かに消えていった。


「今、僕が吹いた音の始まりと終わり、どう感じたかな?」


大森が優しく問いかけた。


春菜は息を呑んだ。

「始まりは、まるで何もないところから『すっ』と現れるようで、終わりは、残響がどこま でも広がっていくような......」


「そう。音は、ただ出すだけじゃない。空気を取り込む瞬間から、音を出すイメージが始ま っているんだ。そして、音を止める瞬間まで、その音を慈しむように、大切に扱ってほしい」


大森は、ブレスコントロールの重要性を説いた。深い呼吸で体を支え、お腹からしっかり と息を送り出す。

そして、その息の流れを途切れさせることなく、音の最後まで「歌い切る」 こと。彼が示すブレスの仕方は、まるで体全体で楽器を鳴らしているかのように自然で、無 駄が一切なかった。


次に、大森はタンギングの指導に移った。


「君たちの音は、とてもクリアだ。でも、もう少し、音と音のつながりを滑らかに、あるいはキレ良く、表現豊かにしてみよう」


彼は、同じフレーズを、タンギングの仕方を変えて何度も吹いてみせた。ある時は、まるで絹が滑るように柔らかく、ある時は、雷が落ちるように鋭く、またある時は、雨粒が弾けるように軽やかに。同じ音符の並びなのに、タンギング一つで全く異なる表情を見せることに、部員たちは驚きを隠せない。


「タンギングは、音の『表情』を作るものだ。舌の動き一つで、喜びにも悲しみにもなる。


君たちがこの曲で何を伝えたいのか、その感情を舌の動きに乗せてごらん」


大森は、部員一人ひとりの音を丁寧に聴き、個別のアドバイスを与えた。トロンボーンの生徒には、より深い響きを引き出すためのアタックの意識を、ユーフォニアムの生徒には、豊かな音色でメロディを支えるための息の使い方を教えた。


特に、春菜への指導は熱を帯びた。


「高峰さん、君のトランペットには、内に秘めた情熱を感じる。その情熱を、もっと自由に音に乗せてごらん」


大森は、春菜が抱える、完璧主義ゆえの硬さを見抜いていた。

彼は、春菜に「間違えてもいい。心のままに、音を叫んでごらん」と促した。

最初は戸惑っていた春菜だが、大森の温かい眼差しと、その圧倒的な演奏に触れるうちに、 少しずつ殻を破り始めた。


彼女が、かつて中学時代に失いかけた「音楽の純粋な喜び」を思い出し、恐れることなく音を出すたびに、トランペットの音色は、以前にも増して輝きを増していった。


休憩時間、大森は部員たちに自身の経験を語った。

「僕も若い頃は、ただ技術を磨くことばかり考えていた時期があった。でも、ある時、師匠 に言われたんだ。『君の音は正確だが、そこに君の人生があるか?』ってね。その言葉が、僕 の音楽を変えた」


彼は続けた。


「音楽は、技術の披露会じゃない。君たちの感情、経験、そして人間性そのものが、音になって聴く人の心に届くものなだ。だから、たくさん経験して、たくさん感じて、それを音に込めてほしい」


大森の言葉は、部員たちの心に深く響いた。彼らは、プロの音楽家が、単に楽器が上手いだけでなく、その人生をかけて音楽に向き合っていることを知った。彼らの音一つ一つに、明確な意図と感情が込められていることを学び、自分たちの演奏も、聴く人に何かを伝えられるようになりたいと、心から願うようになった。


練習の終盤、大森は金管セクション全員に、課題曲の一部を演奏させた。


数時間前とは比べ物にならないほど、彼らの音は生き生きとし、深みを増していた。

春菜のトランペットは、リードするような力強さと、時に繊細なメロディを歌い上げる表現力を兼ね備えるようになっていた。


「素晴らしい!君たちの成長は目覚ましいね」


大森は心からの笑顔を見せた。


「君たちには、無限の可能性がある。これからも、色々な音楽に触れて、自分らしい音を追求してほしい」


大森の特別指導は、金管セクションの技術と感性を飛躍的に向上させただけでなく、彼らにとって「音楽家」という存在がより身近なものになった。

春菜は、大森の指導を通して、中学時代の挫折を乗り越える確かな光を見出していた。この経験は、安中榛名高校吹奏楽部が全国大会ゴールド金賞という目標に一歩近づくための、大きな糧となるだろう。


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